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寒い日、ふと父の人間性に触れた日の事を思い出す

その日は特別に寒かった。
朝LINEを開くと「これだけ積もりました〜」と真っ白になった、実家の裏庭の写真が母から届いていた。
今年はちょっと雪が早いなと思いながら、そんな日に限ってリモートではなく出社しなければならなかったので、出かける準備をしていた。

本気の冬将軍に対抗し、ならば私も本気を出そうと家中のありとあらゆる“あたたかいもの“を身に纏い、もはや外気に晒されているのは目の周囲の皮膚だけ、という職質覚悟の完全防寒スタイルで外に出た。

毎年「寒い」という言葉を発すると、必ず誰かに「aotenさん雪国生まれやから寒いの得意でしょ?」的な事を言われる。私はすかさず「雪って意外とあったかいんですよ」とテキトーに答える。雪ハラお家芸である。

仕事を終えて帰る頃には日も落ちて、より気温が下がっているようだった。
最寄りの駅から歩く人々も足早で、帰宅を急いでいる様子だ。
私も寒さに震えながらとぼとぼと歩いていたその時、遠くの方で消防車のサイレンが聞こえた。どこかが火事なのだろう。

その音を聞いて、ふと、随分と昔のことを思い出した。

私がまだ大学生の頃の事だ。

吉幾三ばりにオラこんな村嫌だと田舎から都会に出て遊びほうけていた私が、1年ぶりに年末帰省した。

実家には在来線で2時間以上はかかる。
電車を乗り継ぎ、雪が舞い散る中ようやく到着したその時、大きな違和感を感じた。そして次の瞬間、道を挟んで向かい側にあった家がまるっと無くなっている事に気がついた。

おじちゃんとおばちゃんの家が、無い。

その家にはおじちゃんが住んでいた。
正確にはその数年前までおばちゃんと2人で住んでいた。
私は小学生の頃、良くおばちゃんに遊んでもらっていて、学校帰りに多くの時間をその家で過ごしていたのだ。
おじちゃんは酒飲みで、ギャンブラーで、借金もたくさんあって、私たち子供には優しかったが、おばちゃんはとても苦労していたという事を大人になってから知った。

おばちゃんは若くして病気で亡くなった。今から思えばまだ50代後半だったのではないか。それからおじちゃんはめっきり元気がなくなって、それでも1人でずっとそこに住んでいた。

その家が、まるっと無くなって更地になっていたのだ。

慌てて実家に上がり込み、ただいまの挨拶もそこそこに「お母さん!おじちゃんの家無いんやけど!?」と聞いた。

「…家な…火事で燃えたんよ」

その衝撃は今でもよく覚えている。
心臓がバクバクして、おじちゃんの安否を母の口から聞くのが怖かった。

「ああでもおじちゃんは、大丈夫やったで」

私が顔面蒼白になっているのに気がついて、慌てて母親が言った。
おじちゃんは無事で、離れて暮らす娘さんのところに住んでいるらしい。

私は窓の向こう側に見えるその更地を眺めていた。
そこにゆっくりと雪が降って白くなっていく。おじちゃんとおばちゃんが暮らしていた過去が、全部雪に埋もれて無くなってしまう気がした。

その夜、姉と会った。

「火事の事、知らんかったわ」
「そうそう、燃えたんよ。言おうと思ってたんやけど」

携帯も持ってない、インターネットも身近ではない時代だっただけに、離れた家族と気軽にコミュニケーションを取るような日常ではなかったのだ。

「なんか、悲しいなぁ。おじちゃん無事でよかったけど、思い出の家がすっかり無いんなんて」

私がそう言うと、姉がしれっと耳を疑うような事を言った。

「お父さん、燃える家に飛び込んで行った話、聞いた?」

聞いてない、というか、今もちょっと聞こえてない気がする。
もう一度お願いします。

「な、何の話?」

「お父さんすぐに火事に気がついて、おじちゃん家に行ってん。おじちゃん自力で着のみ着のまま逃げ出てきたから何ともなかったんやけど、おばちゃんの遺影と遺骨が中にあるー!って叫んでさ。そしたら、お父さん取ってきたるわって家飛び込んで、それ取ってきてあげたんやて」

そんな、どこぞの小説かドラマか映画みたいな事が現実にあるのか。
しかも主人公が父だと言うではないか。

私は衝撃を受けた。
私が知る父とは全くかけ離れた人物像だったからだ。
寡黙で、頑固で、明らかに子供が苦手で、あまり喜怒哀楽を表に出さず、いつも冷静な父がまさかである。

それまでに父とのエピソードで、強烈に印象に残っているものがあった。
私がまだ高校生で、姉が社会人1年目のある日、姉が泣きそうな顔で父と母に「今日は会社に行きたくない…でも病気じゃない、でも行きたくない…」と訴えていた。私はそれを横目で見ながら、そんなんわざわざ言わずにお腹痛いってサボればいいのにさ〜、と思っていた。

父がしばらく熟考する様子が続き、沈黙が流れた後、静かに言った。


「休みなさい。お父さんも、昔、会社サボって、数珠、買いに行った事あるから。大丈夫や」

キラン。

まるで棒読みしたようなセリフの後“キラン・どや!“のキメ顔で姉を見た。
私はえー…数珠ー…ってなって、姉がお父さァァァァァんって号泣するのを見て、えー…泣くんやーってなった、そんな滑稽なエピソードだ。

父は小学生の頃に父親を亡くしているので、子供との接し方がわからなかったのかもしれない。父なりに熟考して発した言葉が“数珠を買うためにサボった“と言う消化し難いエピソードで、姉はともかく私の中では変な距離感があった。

そうじゃない感。

そんな父がバックドラフトよろしく、炎の中に衝動的に突っ込むなんて、信じられなかった。

「お父さん、火事の時大変やったんやって?」と聞くと、「ん、ああ、まあそうや」とそれ以上は語らなかった。

それは危険で、望ましい行動とは言えないかもしれない。
しかし、おばちゃんを病気で亡くしてからどれほどおじちゃんが後悔していただろう、とか、その遺影と遺骨をどれほど大切にしていただろう、とか、父なりにその思いに寄り添った結果なのだと思った。もしかしてとても情の深い人なのかもしれない。それ以降私の父に対する距離が縮まった出来事だった。

家に到着した。
また今夜、実家は積もるかもしれないなぁと思いながら、LINEで『火の元は注意してね』とメッセージを送っておいた。

父からは、ブラウンが両手を上げて紙吹雪をパーっと舞い上げているスタンプが届いた。

それじゃない感。

#日記 , #エッセイ , #雪国 , #父親 , #お父さん , #思い出 , #それじゃない感 , #冬

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