青波限

日本映画が好きです。

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最近の記事

限りなく白く ライブ100回までの覚書

 北海道のアイドルグループ 限りなく白く が2024/4/22の毎月定期公演Aprilにてデビューから100回目のライブとなりました。デビューから7か月でこれだけのライブができているのはありがたいこと。これからますます活躍が広がっていくことを期待しつつ、いつか思い出すときのよすがとして記録を残しておきます。 (数え方には異動があるかもしれません。貼り付けている表でカウントしています。) 2023/9/23 限りなく白くデビューライブ @Sound lab mole  デ

    • タイトル未定のなかへ

      〜ワンマンライブ『SPOTLIGHT』〜  タイトル未定2ndシングル「群青」はメディア先行でリリースされた。  CDの発売はビッグイベントなので、いわゆるライブアイドルでは発売日前にリリースイベント(ミニライブ)を重ねることも一般的だと思うけれど(売上ランキング上位を目指す場合など)、「群青」については発売前のライブはなく、ラジオのタイトル未定冠番組での楽曲の初披露、地元テレビ局の朝の情報番組でのMV初披露、CD発売日にサブスク含めた楽曲配信の開始・MV公開、公開収録を行

      • 君を象った恋

        タイトル未定『栞』に寄せて  今、この歌の主人公である私は、君に恋をしているのだと思う。そしてそれは本当の恋だと確信している。恋人ではないと歌いつつ、特別で仕方ないもの。それを恋と名づけるべきなのか、わからずにいるけれども。  そして、「君を象った」恋とは、君との恋ではない。  それは君との恋ではなくて、君の似像との恋なのか、あるいは君との恋の似像であるのか。  それはわからないけれど、いずれにしても君との恋、今している本当の恋ではない。  そのはずなのに。「いつか」、

        • タイトル未定『花』に寄せて

           タイトル未定の『花』には二つの花があると思う。  一つは「いまだまだ名もない花」。  そしてもう一つは「その花を未来と呼ばせてほしい」と歌われる花。  タイトル未定というグループ名にあるように、グループのコンセプトは「何者かになろうとしなくていい。何者でもない今を大切に。」だから、「いまだまだ名もない花」の「花」とはグループやメンバーそれぞれと響きあうもの。  そして、この曲はタイトルを「花」としているから、もう一つの花もはじめの花と重なり合うように思うけれど、この二つ

        限りなく白く ライブ100回までの覚書

          かすみ草とステラ 大青春祭(2022/10/3)

          こんなものが見られるとは思わなかった。 10月3日、Spotify O-EASTにて開催されたかすみ草とステラ大青春祭を見終えて。 すごく楽しかったし、充実したいろんな思いが去来するなかで、つかみきれず言葉にできずにもどかしく思っていた感情に一番近いのはこれだと思った。 これまでで最大規模キャパのワンマンライブを開催するということで、メンバーもスタッフも気合い入っていることは感じていたけれど、単にライブが素晴らしかったというだけではない。 というより、本当にライブを見て

          かすみ草とステラ 大青春祭(2022/10/3)

          かすみ草とステラと祈り

          「言葉では伝えきれない 思いがこんなにあるんだよ。」(『青より青く』) 言葉とは不完全なものだし、伝えたくても伝えられないことがたくさんあることは当たり前のことのように思って過ごしている。けれども、そんな言葉では伝えきれない思いを自分のうちに持ち続けられているだろうか。そのような思いがあったことは覚えていても、思い自体はいつの間にかなくなってしまっている、そんなこともよくあることだろう。「忘れたことさえも いつか忘れてゆく」(タイトル未定『綺麗事』)までゆかぬとも。 それ

          かすみ草とステラと祈り

          青春群像、前から見るか?後から見るか?

           まったく奇跡のような夜だった。  青春時代にのみ訪れるような、そんな夜だった。  星はきらきらとまたたき、空全体は明るく輝き、ほら、こんな空を見上げていると、思わず知らず、心に問いが浮かんでくる。このような素敵な空の下でもやっぱり、怒りっぽい人、気まぐれな人、わがままな人たちが、生きているなんてことが、いったいありえるだろうか。  そう、これがいかにも若者らしい問いだということは僕にもわかっている。たしかにいかにも若者らしい問いではあるけれど、神様があなたの心に、この問いか

          青春群像、前から見るか?後から見るか?

          ちくわについて

          ちくわの穴はなぜあるのだろう。 それはちくわがちくわであるために、というのを暫定的な答えにしておこう。 ちくわを作るには、芯に練り物を巻きつけて加熱するので製造工程上必須であるとも言えるし、 穴がなければもはやちくわではない(蒲鉾か何か)とも言える。 穴があるから、煮炊きするにも火が通りやすいし、その穴に何かを詰めれば簡単に料理にもなって、パンに詰めればちくわパンにもなる、というのは実用面から見たものだが、それもまた大事なこと。 ちくわは穴があるからちくわなのだ。 2022

          ちくわについて

          タイトル未定が響くところ

           タイトル未定前人未踏ツアー東京公演の日、『溺れる』の演奏時刻に渋谷では豪雨警報が出たと阿部葉菜さんが書いていた。そして、その歌詞にある「突然降り出した雨」とは思わず零れてしまった涙だと実は思っているとも。  楽曲にせよ何にせよ、表層的な意味に止まらず多層的な意味合いを持つことは当たり前のことだけれど、その曲に一番親しいところにいる歌い手がその一端をのぞかせてくれたのはうれしい。  そして、作り手がどこまで意図しているかはともかく(作り手の意図は契機ではあれど決定的なもので

          タイトル未定が響くところ

          かすみ草とステラと怒り

          青春とは悔しいものだ。 青春が、だけではないが。 かすみ草とステラの楽曲は青春に生きる人のさまざまな側面を描く。それは多くのアイドルソングに共通するものだし、大人になってしまった後だから感じるノスタルジックな甘酸っぱさを、等身大の少女たちが描き出す美しさがある。 楽曲の世界観はそうなのだが、それがライブで演じられるとき、そこに通奏低音として悔しさや怒りが響いている、時としてそんな響きをからだで受け止めているように感じる。大地を拳で叩きつけずにはいられない、そんな痛切な思いす

          かすみ草とステラと怒り

          お茶の上で(その3)

           映画『街の上で』についての記事です。ネタばれを含みます。 7 夜が明けて 二人が布を広げて始まった特別な時間にかけられていた魔法は、翌朝、イハが容赦なくカーテンを開け、朝の光を招き入れることで、解けることとなる。夜の場面では濃紺のカーテンであったが、陽の光を通すとそこは水色の幻想的な光となり、イハのシルエットを浮かび上がらせる。(寝ぼけている青は見過ごしてしまっているが、ここの朝日を浴びたすっぴんの中田青渚も美しい。)  夜の時間が終わり、再び昼の時間がはじまるのだが、そ

          お茶の上で(その3)

          お茶の上で(その2)

           映画『街の上で』についての記事です。ネタばれを含みます。 4 青がしまっていたイメージ イハの部屋での長回しは恋バナと言われるが、実際の長回しはイハの恋バナから始まる。その前の青の恋バナは冒頭だけが描かれ、話のほとんどは青のモノローグになっている。モノローグは、この映画においてはもう一箇所、映画の冒頭のみに置かれているが(ある女性の声である)、モノローグは心の声を描き出す効果を持ち、ここでは青がイハに何も隠さず話をすることで、あることへの気づきをもたらす。  青のモノロ

          お茶の上で(その2)

          お茶の上で(その1)

          映画『街の上で』における再生 令和3年4月9日に公開された今泉力哉監督の映画『街の上で』は、日常あるような光景が描かれ、大きな出来事が起きるわけではないと言われる。実際、そのとおりなのだが、ではなぜこの映画がこれだけ人を惹きつけるのか。それは私たちの日常の何気ない生活の中にも気づかぬうちに大きな出来事は生まれていて、この映画はそれをすくい上げているからではないか、と思う。そのことを、この映画の白眉である荒川青(若葉竜也)と城定イハ(中田青渚)のシーンから読み解いてみたい。  

          お茶の上で(その1)