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お茶の上で(その3)

 映画『街の上で』についての記事です。ネタばれを含みます。

7 夜が明けて

 二人が布を広げて始まった特別な時間にかけられていた魔法は、翌朝、イハが容赦なくカーテンを開け、朝の光を招き入れることで、解けることとなる。夜の場面では濃紺のカーテンであったが、陽の光を通すとそこは水色の幻想的な光となり、イハのシルエットを浮かび上がらせる。(寝ぼけている青は見過ごしてしまっているが、ここの朝日を浴びたすっぴんの中田青渚も美しい。)
 夜の時間が終わり、再び昼の時間がはじまるのだが、それは昨日までと同じ時間なのだろうか。二人が過ごした天上の時間は、直接、地上の時間に連なるものではない。因果論としてものごとを動かすものではない。だが、それは地上の世界を揺るがしていて、昨日と同じ一日が始まっているようで、決定的に何かが変わっている。

 まずイハの三番目の彼氏が訪れ、青を「イハの新しい彼氏」と認識して帰って行く。「会わせろ」と言われても会わせられなかったイハは、青がその役割を果たしてくれたことで「ありがとう」と青に礼を言う。(この「偶然」の出会いについては、イハを何者と捉えるかにおいて多様な解釈が成り立つが、ここでは触れない。)
 面倒くさい彼が何をするか、イハも読み切れないが何かを予感し、そのまま青を帰すのをやめて「コンビニ行くから途中まで送るわ」と一人とせず一人にならない万全の体制をとる。

 青とイハが歩いていると、序盤の古着屋の場面で一悶着あった茂と朝子がカップルとして歩いてくるのとすれ違う。これは寺田さんに告白した茂が、二番目に好きな朝子とつき合い始めた時系列とも言えるが、茂と朝子がつき合っている元々とは違う世界線にいるとも解しうる。

 一夜が明け、そして世界が変わっているのだ。

 青とイハ、雪とマスター、そしてイハの第三の彼氏が邂逅する場は映画館が爆笑に包まれる場面だが、『真夏の夜の夢』から明けた世界のように、世界があるべき秩序へと取り戻していく場面とも言える。(雪はまだ本心に向き合えず、お巡りさんの言葉の力が必要であったが。)

8 青の再生

 青は、イハには何でも話すことができた一夜を過ごし、自らのうちに秘めていたイメージを喚びおこし、また雪への気持ちを前向きに捉えなおすことができた。世界が変わったとも言えるが、むしろ青が変わったのだ。
 「おはよう。生きとったな」はイハから青への祝福であろう。
 それにより世界が違う姿を見せ始めている。

 それを象徴するのが「チーズケーキの唄」であろう。部屋に戻った青はカセットテープを探しだし、だがデッキがないので埃をかぶったギターを引っ張り出して「チーズケーキの唄」を弾き語ってみる。そうしている青は、音楽をやっていたことを恥ずかしいことのように隠している青でも、古着屋で本を読んでいるだけの青でもない。もう一度、自らの言葉や音楽で語り始めることを予感させるのであり、ここで青は再生を果たす。

 町子の映画の完成披露会のあった日の夕方、古着屋で本を読んでいる青のもとにイハが訪れ、青はうれしそうに迎え入れるが、イハの邪魔をしないように読書に戻る(イハは古着を見に来たわけでは全くないのだけれども)。その本を読む姿すら、穏やかで充実し、こうごうしい感じすらする。
 その様子をそっと眺めやるイハの視線には、思い残しを感じるけれど、青が自分のテリトリーに入ってくることはないとイハは知っているのだろう。そのような青に変えたあの一夜はイハの力ではあるけれども。

(終わり)

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