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かすみ草とステラ 大青春祭(2022/10/3)

こんなものが見られるとは思わなかった。

10月3日、Spotify O-EASTにて開催されたかすみ草とステラ大青春祭を見終えて。
すごく楽しかったし、充実したいろんな思いが去来するなかで、つかみきれず言葉にできずにもどかしく思っていた感情に一番近いのはこれだと思った。

これまでで最大規模キャパのワンマンライブを開催するということで、メンバーもスタッフも気合い入っていることは感じていたけれど、単にライブが素晴らしかったというだけではない。

というより、本当にライブを見ていたのだったか?

いや、青春をコンセプトとするこのグループが、文化祭を舞台としたステージを創り出すなかで、いつしか本当の文化祭に紛れ込んでいる、そんな体感が生まれていた。
それはいわば良質な演劇空間のようなもの。劇場に生み出された世界のなかに自分も生きている、そんな感覚であるが、それがまた一筋縄ではない。

演劇であれば、ステージの幕が下りれば、役者はその役から切り離された中の人に戻っていく、それが一応のお約束だけれども、大青春祭の幕が下りてもかすみ草とステラのメンバーはそのままにいるのだ。
このライブでは、メンバーもそれぞれ役が振り分けられているのだけれど、それはメンバーが培ってきた関係性を踏まえたキャスティング(当て書き)で、「大青春祭」という舞台をやり終えて出てくる中の人が、そのままアイドルであるという構造。特典会は出待ちのようなものだ。(これ、普通にやるとダメなやつですけど。)

それにしても、コンセプトがバチッとはまるとこんな力が生まれるのか。驚かされる。
コンセプトライブというものがあるが、かすみ草とステラの場合、急ごしらえのものではない。楽曲は初期から学生生活を主題にした歌が多く、2nd衣装は制服だったし、また最近のMCなどでのわちゃわちゃ感も同級生のようであって、いわば年季が入った関係性が築かれている(それはメンバー間にとどまらず、ファンとの距離感においてもだと感じる)。
それに、この夏、大きく躍進したグループの一つとして、青春を疾走している感が広く共有されている。

それらが全てこの「大青春祭」に投げ込まれて溶けあっていて、つまりはかすみ草とステラというグループの世界に迷い込まされていたのだ。
そんなことがあると誰が予想し得ようか。

そして、この世界観は確かなライブパフォーマンスにも支えられている。

どんなに企画が優れていても、パフォーマンスがそれなりだと醒める瞬間が訪れがちなのはよくあること。もちろん技術的な課題があることは彼女たち自らがよくわかっていると思うけれど、強い思いだけでなくて、確かな研鑽がなされていて、求心力ある舞台姿に惹き込まれ続けるし、何ならその努力に感動してしまう。
O-EASTの広い舞台は、いつも以上にメンバー間が離れてのパフォーマンスとなるが、しっかり空間が埋まっていて、細かいことは気づかぬながらも、あれっこんな振付だったっけ?と、楽曲の意味を踏まえてそれぞれ再構築されたような密度のあるパフォーマンスが繰り広げられていた。

(このあたり、スタッフ側もよくわかっていて、前々日の大阪でのライブでは、3人ずつのユニットで披露された「ネコにかすてら」「メルティ・ホワイト」、そして特別パフォーマンスだった「カタルシスダンス」はやらなかった。前週のライブのない一週間にメンバーが作り込んでいたのだろうし、この3曲は大青春祭でのいつもと違うパフォーマンスに集中させていたのだろう。会場設営などもそうだが、スタッフ側の本気度が随所に垣間見えたように思う。)

以下、幾つかの場面について。

「君と週末の秘密基地」は教室の椅子を使ったパフォーマンス。
歌うときは立ち上がったりしてスポットが当たるけれど、歌割り以外のメンバーは座ったりおしゃべりしたりしていて、クラスのなかでもそれぞれがいろんな思いを持っている、そんな教室の雰囲気がよく出ている。全体が主人公ひとりの歌ではなく、似たような思いを抱えた生徒たちそれぞれが歌う歌として一つに再構成されていて、これはミュージカルではよく見られる手法だが、この曲の持つ新たな一面が見えたように思う。
「っていうか気づいてくれるかな 切った前髪に」のところ、前後半で歌うメンバーが変わるが、デート前日のドキドキ感はみんな違うけど、でもやることは似ていて思いは共通している、そんなことがにじみ出てくる。
そういう風に見てみると、かすみ草とステラの楽曲は多声的にも響く曲が多いことに気づかされる。

衣装替えの時間をつなぐ形で3人ユニットで1曲ずつ披露していて、後半は渡辺・有岡・鈴森で「メルティ・ホワイト」。
鈴森はるなが男の子役、有岡ちひろが女の子役を演じつつ歌って微笑ましい1曲となったが(キスを仕掛けたり?いや、しかけたり)、渡辺萌菜扮するサンタさんは口全体を覆うしっかりとした白髭と眼鏡で顔がほぼ見えない状態。けれど、曲が進むにつれて、二人のカップルが結ばれるようにしっかり働いているのが伝わってきて、さすが自称オタク兼メンバーだと感心した。(もえなすからのお便りによれば、このサンタさんがMVPと言われたという。)
こうやって自分だけでなく周りもうまく行くように働く人がいること(ここでは演出の一環ではあるけれど)がかすてらの強みにも思う。

特別バージョンの「カタルシスダンス」は鈴森はるなのソロから。みんながはけて、O-EASTの舞台に独り残って立って、上方からのライトのみが差す暗がりから踊り出す姿には痺れる。メンバーが入ってきては出ていって、広い舞台でも収まりきれないかのように踊り歌う姿は、持てる力を存分に発揮しているようでかっこいい。かなりハードな曲ではあろうけど、この曲に賭けている、そんな意気込みが伝わってくる。
横浜ワンマンで予告なしに新曲披露されたときからたくさん見てきたけれど、O-EASTならではのやりたかったことをやり切れたのではないかと思うし、この曲の可能性をさらに広げる舞台だと感じた。

文化祭の最後は「正夢の少女」(その後に後夜祭はあったのだけど)。前半で「青より青く」をやっているので最後は正夢だろうと思ってはいたけれど、一生懸命駆け抜けてきた最後にやるのにふさわしい曲だし、この曲にまた新たな意味が重ねられていくことが感動的であった。
終盤、有岡ちひろが「これから見える景色は どんな結末だろう」とソロで歌うが、そこで金色の紙吹雪が大量に舞い散って、別世界が現れる。その演出を知っていたかはわからないけれど、目の前の光景に感極まって一瞬歌が止まりそうになり、けれどしっかり歌いきった彼女に成長を感じた。
この夏の一番の思い出として超NATSUZOME 2022のメインステージがよくあげられるが、前日のZOMEステージで「青より青く」を演ったとき、有岡さんは胸がいっぱいになって最後のソロを歌えなかった、そんなことがあった。配信投票を1位で終えた翌日の、そんな姿も尊くは思ったけれども、きっと本人は悔しく思っていただろうし、その思いがいまを支えているように感じた。みんなと作るこのステージを絶対に成功させる、きっと歌いきる、そんな強さが底光りしている、そんな気がした。

「青より青く」は前半で軽音楽部のライブとして演奏される。それはそれではまっていたけれど(エアギターの振付がぴったりはまる)、最後に大アンコールでもう一度演ってほしかったというのは一つの心残り。「終わらない夏」を締めるのはやっぱり青青だと思うけれど、いや、まだ夏は終わらないということかも知れない。

ふと思い出したのは映画『うる星やつら ビューティフルドリーマー』。学園祭の前日が繰り返しずっと続くお話であり、それはあることによって起きたものだが、これはかすみ草とステラの大青春祭と通じ合うものを感じる。

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