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かすみ草とステラと祈り

「言葉では伝えきれない 思いがこんなにあるんだよ。」(『青より青く』)

言葉とは不完全なものだし、伝えたくても伝えられないことがたくさんあることは当たり前のことのように思って過ごしている。けれども、そんな言葉では伝えきれない思いを自分のうちに持ち続けられているだろうか。そのような思いがあったことは覚えていても、思い自体はいつの間にかなくなってしまっている、そんなこともよくあることだろう。「忘れたことさえも いつか忘れてゆく」(タイトル未定『綺麗事』)までゆかぬとも。

それが大人になることなのかも知れない。
そして、言葉では伝えきれない思いを持ち続けていられるのは、それこそが青春のときであるように感じる。そのような思いを持ち続けるには、実は無尽蔵なエネルギーが必要で、惜しげもなくそのエネルギーを注ぎ込めるのは、大人になる前の青春のときだからできることだ。それは年齢で決まるものではないけれども、そんなことを考える。

そして、青春のただなかでさえ、そんなこと、言葉では伝えきれない思いを持ち続けるようなことを諦めそうに、挫けそうになることもよくあること。
それほどまでに大切なものであるのに、いや、だからこそでもあるのだろうか、諦めさせようという力はいつもやってくる。

かすみ草とステラは青春が一つのコンセプトになっている。それは楽曲の主題が青春を扱ったりするにとどまらず、グループが、メンバーたちが青春を駆け抜けているのだ。
だからだろうか、そのライブは、大切なもの、憧れだとか夢だとか、言葉にならない思いだとかを守ってくれる、そんな場になっている、そんなことを感じる。
彼女たちが「言葉では伝えきれない」と歌うとき、自分の大切にしているものを持ち続けていいんだよ、と肯定してくれる励ましを受け取る。青春を通り過ぎてしまった人にとっても、そのときその場所では、おそらく、青春は臨在している。青春を裏切ろうとするたくさんの力はそこでは無化され、大切なものを大切にしてよい、そんな場が立ち上がっている。
大切なものを守ってくれる場とは、いわば聖堂であろう。そしてその聖堂を護るのは、おそらくは祈りなのだろう。

『正夢の少女』で「これから見える景色は どんな結末だろう」と有岡ちひろが思いをこめて歌い上げるとき、ときに白く発光して見えるのは、きっと彼女の肌白さや白いライトのせいだけじゃない。私たちにとって大切な場所を懸命に守り抜こうとする、それは祈りに通じるものを感じる。

「かすてらと大青春はじめませんか。」

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