エッセイ | もしも女性器が服を着るなら。
1月に受けた健康診断で、毎年のことではあるのだけど様々な項目で再検査や経過観察を言い渡された。その中で、今回新たに〝ある疑い〟の記載があった。
〝子宮留膿腫〟
なにそれ、という感じで調べると、閉経後の高齢の女性に起こりやすいものだった。
無症状で進行するというところが怖い。まるで爆弾を抱えているみたいじゃないの、というわけで、指示通り大人しく半年待って、ついに検査をした。
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婦人科というところは何度行っても慣れない。
今回受診したクリニックでは、まず受付で、診察する医師は男か女か、希望はあるかと訊かれた。二秒くらい迷って、「どちらでも」と答えた。なんとなく、男性医師を選んだ方が順番が早く回ってくる気がした。
それに、今までのわたしの経験だけで言えば、男性の方が診察が丁寧だったので、そんなに嫌ではなかった。
内診の前に診察室で医師と面談をした。
机を挟んで医師の正面に座ると、何となく俯いてしまう。このすぐ後にとてもデリケートな部分を見せる相手なのだから、あまり目を合わせたい気分にならない。なにかお互いに気まずさを抱えていた。
「ではこのあと診させてもらいますね」
と申し訳無さそうに言った医師に、
「別に…ええよ…」と心の中でつぶやいた。
いよいよ診察を受ける。
「下、全部脱いで座っていて下さい」
と看護師に言われて脱衣籠を見ると、ひざ掛けがなかった。
下半身をまっさらにして内診台に腰掛ける。医師の目の高さまで腰の位置が上昇し、足を自動で開く内診台に自ら両足をセットした。ひざ掛けもなしに座っている自分が悲しい。いくらか丈の長いトップスを着ていたので、引っ張って股をギリギリ隠した。
数分後、「先生が来るので椅子上げまーす」と言われて、ため息が漏れる。
ぱかーっと開かれた股の前を、忙しそうに看護師が行ったり来たりしていた。
医師が来るまで少しだけ待ち時間があった。いったいどんな景色なのだろう、と毎回思う。一度でいいからそちら側へ行かせて、と切に願う。診察する側の立場になったら、きっと諦めがつくこともあるのだろう。
※
ここで、婦人科の内診台がどんなものかご存知ない方のために、わたしが図を書いてみる。
まあまあリアルなので、見たくない方は逃げるか高速スクロールをお願いします。
そのうちに医師がやってきて、わたしの両方の内ももにそっと触れた。
「リラックスして始めましょう」という。
「…断る」とこころのなかで悪態をつく。
医師の診察はとても丁寧だった。
内診、エコーと続いて、子宮留膿腫の疑いは全く無いようで、痛いこともされなかった。
医師は、器具を引き抜いたあともしばらく説明を続けた。わたしの耳は医師の説明を聞き、わたしのヴァギナは医師を見つめ続けていた。
「頼むから早く降ろしてくれ…」とこころの中で泣いた。
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つい先日、「ヴァギナ・モノローグ」という本を読んだ。なかなか正直なヴァギナに関する本だった。
この本には、女性たちがいかに自分のヴァギナについて知らないかが書かれている。
そこにあることさえ信じたくない人、
自分の大切な体の一部でありながら、自分のヴァギナを見たことがない人、
その名前すら口にすることを拒む人、
などなど。
ヴァギナのことをタブーとする人たち(時代背景、環境)の現実が書かれている。
ちなみにわたしは、自分のヴァギナを鏡を使って見ることがある。それはだいたい婦人科検診の前だけど、確かに、見て喜ばしいものではない。グロテスクだし、素敵とも思わないけど、「自分自身が見ていないのに他人に見られるなんて嫌だ」という自意識から、一応見ている。
この本の中で、多くの女性が回答している面白い質問があった。
この本は図書館で借りて、もう返してしまったので正確な文言ではないけれど、「ヴァギナに服を着せるとしたらどんなものを着せる?」みたいな質問だったと思う。
なかなか突飛な質問だけど、ちょっと考えてみる。
そういえば、わたし自身ヴァギナについて誰かと話し合ったことはこれまであまりなかった気がする。
わたしが四年間毎日続けているオンラインのトレーニングは、骨盤底筋を使うことに重きを置いているので、その際『膣』というワードを連発する。
『膣(ちつ)』を『臍(へそ)』くらいカジュアルに口に出す。本来それで良いと思っている。
実際、ヴァギナ・モノローグでも、口が重かった女性達にヴァギナを語らせると止まらなくなる様子が書かれている。
それくらい、実はヴァギナについてみんな語ってみたいものなのかもしれない。
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