エッセイ | おじさんと小説
知人と久々にランチをした休日。出先でヤマト運輸から不在通知をメールで受け取った。
休日の朝、私のもとに届くゆうパックであれば、それは九割以上の確率で送り主はおじさんだ。だけど、今回はヤマト運輸からの荷物だったために、私はしばし考えてしまった。
ちなみに、おじさんというのはわたしの長年の文通相手のことで、御年80歳、血縁関係にはない。幼少期の近所付き合いから、住む土地が変わっても30年間文通を通じて、今も友人でいてくれる貴重な存在だ。
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出先から家に戻り、再配達の手配をして荷物を待つ。
そして届いた段ボールは120サイズの大きなものだった。
送り主はおじさんだった。しかも郵便ポストには、同時に手紙も届いていた。四方八方、おじさんに囲まれている気分。
胡蝶蘭にうっとりしながら手紙を開封した。(開け方…)
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早速手紙を読み進める。不思議と胡蝶蘭のことが一切書かれていない。花を贈ってくれた相手とは思えない素っ気なさだ。
これはどういうことかと言えば、おじさんとの文通ではよくある現象で、手紙よりも、数日後にサプライズで送った贈り物が先(今回は同時)に届いてしまうことがある。
だから時々、話が噛み合わない。
手紙の内容はと言うと、わたしが前回おじさんに宛てて書いた、現在書き進めている長編小説に関する話だった。
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おじさんといえば、わたしに「小説を書いてみたらどうか」と何度も勧めてくれた張本人だ。それなのに、実際に書き始めたことを報告してから、一度は公募に挑戦することを示唆したものの、それ以降のおじさんは小説の話題には触れようとしなかった。
そっけないおじさんの反応にもめげず、その後も私から時々話題に出し、ようやく今回、10万字近いものを書いたと報告して反応をもらったのだ。
おじさんは、まるで小説を書いているなど初めて聞いたかのように驚き、心から喜んでくれた。
もしかすると、おじさんにしてみれば、長編小説以外は、小説を書いたこととして認められないのかもしれない。
というのも、おじさんは昔から長編小説を書き続けてきた人だからだ。
余程気分が良かったのか、普段の手紙は横書きのおじさんが、今回は原稿用紙に手紙をしたためている。
そこからはおじさんの小説家への憧れが語られた。おじさんは昔から、小説家を目指し、公募に挑戦する人だった。
おじさんの作品は、暗くてリアルで、読む人に考えさせる社会派の作品だった。その中には男女の濡れ場があり、幼い頃からおじさんを慕う私としては、正直、読んではいけないものを読んだ気がした。
だけど、時代背景や、その地域で生きる男女を描くには当然、必要な場面だったのだろう。
今であれば私自身、そういう男女のシーンを書くことも読まれることにも、ほとんど抵抗はないし、おじさんだってそうなのだろうけど、初めて読んだ当時は、おじさんの知らなかった部分を覗き見たような気持ちになった。フィクションだし、おじさんは登場人物でもないから全く関係ないのだけど。
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おじさんは「人間としてやりたかったこと」の一番に〝小説家〟をあげている。
ちなみに、二番は音楽家。三番目にアスリートだそうだ。
おじさんは音楽が好きだし、数年前からはフルートを始めて、借家を防音に加工したり、とにかく元気だ。
〝健康であること、楽しんで夢を追うこと〟
おじさんから、また素敵な言葉をおくっていただいた。
私は今まさに、夢見がちに小説でチャレンジしようとしているのだけど、まるでおじさんと一緒に夢を追っているようで、ますます楽しくなってくる。
〝楽しんでいるのなら何も恥じることはない〟
きっとおじさんなら、そう言ってくれると思う。
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