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「働かざる者食うべからず」は修道院の戒律【アシモフの雑学トリビア・豆知識】

「働かざる者食うべからず」という言葉を、たいていの人はレーニンの発明だろうと思っていますが、そうではありません。もともとはキリスト教の修道院の戒律です。

[小室直樹]

「働かざる者食うべからず」という言葉を聞くと、多くの人はレーニンが言ったものだと考えるだろう。しかし、この言葉の起源はもっと古く、キリスト教の修道院の戒律にまで遡る。
もともとは新約聖書の一節で、パウロがテッサロニキ(ギリシア北部のエーゲ海に臨む港湾都市)の信徒に宛てた書簡の一節。
「働かざる者は食うべからず」という戒めは、早期キリスト教徒の共同生活の基本原則として用いられていたのだ。

具体的には、『テサロニケの信徒への手紙二』3章10節で、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と述べられている。この一節は、労働の重要性と共同体の中での責任を強調している。

レーニンがこのフレーズを引用したのは、革命後のソビエト連邦での労働倫理を強化するためだった。彼は労働者階級の努力を正当化し、怠け者を非難するためにこの言葉を利用した。つまり、レーニンは既存の宗教的な戒律を、共産主義の理論と実践に適用したのだ。

歴史の中で、このように古い知恵や戒めが再解釈され、新たな文脈で使われることは珍しくない。この場合も、宗教的な教えが政治的なイデオロギーに変換され、多くの人々の意識に刻み込まれたというわけだ。


『テサロニケの信徒への手紙二』3章全文

最後に、兄弟たちよ。わたしたちのために祈ってほしい。どうか主の言葉が、あなたがたの所と同じように、ここでも早く広まり、また、あがめられるように。
2 また、どうか、わたしたちが不都合な悪人から救われるように。事実、すべての人が信仰を持っているわけではない。
3 しかし、主は真実なかたであるから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるであろう。
4 わたしたちが命じる事を、あなたがたは現に実行しており、また、実行するであろうと、わたしたちは、主にあって確信している。
5 どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせて下さるように。
6 兄弟たちよ。主イエス・キリストの名によってあなたがたに命じる。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。
7 わたしたちに、どうならうべきであるかは、あなたがた自身が知っているはずである。あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかったし、
8 人からパンをもらって食べることもしなかった。それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた。
9 それは、わたしたちにその権利がないからではなく、ただわたしたちにあなたがたが見習うように、身をもって模範を示したのである。
10 また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。
11 ところが、聞くところによると、あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことである。
12 こうした人々に対しては、静かに働いて自分で得たパンを食べるように、主イエス・キリストによって命じまた勧める。
13 兄弟たちよ。あなたがたは、たゆまずに良い働きをしなさい。
14 もしこの手紙にしるしたわたしたちの言葉に聞き従わない人があれば、そのような人には注意をして、交際しないがよい。彼が自ら恥じるようになるためである。
15 しかし、彼を敵のように思わないで、兄弟として訓戒しなさい。
16 どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さるように。主があなたがた一同と共におられるように。
17 ここでパウロ自身が、手ずからあいさつを書く。これは、わたしのどの手紙にも書く印である。わたしは、このように書く。
18 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。

テサロニケの信徒への手紙二:第3章

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