#仏法

禅/大乗仏教【仏教の基礎知識20】

日本でよく知られている禅宗には二つの主要な宗派がある。その一つである曹洞宗は、座禅を中心とした修行を行うが、もう一方の臨済宗は公案や禅問答を含むため、理解が難しいとされることが多い。これから、「禅の悟り」や「喝」の意味について解説する。 臨済宗臨済の人物像 臨済義玄は、中国唐代の禅僧であり、臨済宗の開祖。当初は経典を学んでいたが、心の安らぎを得ることができず、禅の道に転じて黄檗希運の門に入る。そこでの厳しい修行を経て、大きな疑問に直面した後、大愚に師事し、その一言で悟りを

如来蔵思想/大乗仏教【仏教の基礎知識19】

法華経 仏教における三乗の教説は、伝統的に異なる救済の道として理解されてきた。すなわち、菩薩乗(大乗)は仏を目指し、声聞乗と独覚乗はそれぞれ阿羅漢と独覚を目指すとされる。しかし、『法華経』はこれらの三乗を方便とし、究極的な真理として一乗を説く。この転換は、仏教の解釈における重要なパラダイムシフトであり、すべての修行者は最終的に仏に至るという普遍的な救済観を提示する。 まず、三乗の伝統的な役割を再検討する。声聞乗と独覚乗は、自利的な悟りを目指す道と見なされ、そのために各々が仏

唯識説/大乗仏教【仏教の基礎知識18】

サーンキヤ学派の諸原理 八識とサーンキヤ哲学諸原理対応 チッタ(Citta)⇒アラヤ識(阿頼耶識) チッタはサンスクリット語で「心」を意味する言葉で、非常に広い意味を持つ。仏教やヨーガでは、心の活動全般を指す。この「チッタ」が仏教の阿頼耶識(あらやしき)に対応するという考え方がある。阿頼耶識は、八識説における最も根本的な意識で、過去の経験や業(カルマ)を蓄える倉庫のようなものであり、すべての意識の根源とされる。 アハンカーラ(Ahaṃkāra)⇒末那識(まなしき) 我執:

般若心経03/大乗仏教【仏教の基礎知識17】

尾題:これが般若波羅蜜多のマントラである 五蘊皆空 原典では色と空の関係を、 Ⅰ「色性是空 空性是色」 Ⅱ「色不異空 空不異色」 Ⅲ「色即是空 空即是色」の三段に分けて解説してある。 しかし玄奘はⅡとⅢの二段に省略した。(中村元) 羯諦咒 『般若心経』で説かれる「般若の智慧」を否定するとなれば、この経典自体が矛盾だらけということになってしまうだろう。しかし、禅問答のような表現を好む人がいるのも事実だ。特に、『般若心経』が「般若、般若……」と繰り返し「空」の智慧を強調

般若心経02/大乗仏教【仏教の基礎知識16】

霊性を否定したる宗教はありえない カルマに法則はない 神の定義が明確でないと明確に伝えることができない。例えば、天界を統べる存在や、この世界で言うところの大統領や権力持つような高位の神々、絶対者がいる。これらの存在があるからこそ、カルマ(業)の概念が成立するのであって彼らなしではカルマの法則は成り立たない。 カルマ自体は単なる記録であり、それ自体では因果は働かない。裁く者がいるからこそ、カルマが作用する。ちょうど裁判所がなければ法が無意味になるのと同じだ。カルマは、過去

般若心経01/大乗仏教【仏教の基礎知識15】

苦の根源(無明) 私たちは、この世界の外側の価値や地位を追い求め、それによって幸せになれると考えている。しかし、この外的な価値を追求している限り、どれだけ上に行こうが下に行こうが、一度その場所に身を置いたら、内情は同じだ。誰もが自分の置かれた状況の中で、苦しみと戦っているのだ。 そして、とにかく「上」へ上がり、それらの目標に到達さえすれば、幸せになれるのではないかという期待を捨てきれずに、私たちは自分の今までの生き方を続けている。しかし、その期待は常に裏切られるのだ。 ブ

中観派の分裂/大乗仏教【仏教の基礎知識14】

中期中観派と後期中観派ディグナーカ・ダルマキールティ・シャーンタラクシタ 中期中観派は、ナーガールジュナの思想を論理学や認識論を通じて強力に弁護しようとした仏教の学派である。ナーガールジュナの主張は、すべての現象が「空」であり、本質的な実体を持たないというものである。この難解な思想を他者に納得させるため、中期中観派の僧侶たちは高度な論理学と認識論を駆使し、彼の教えを理論的に説明し、正当性を主張した。 しかし、後期中観派になると、論理学と認識論だけではナーガールジュナの思想

中論03:四句否定/大乗仏教【仏教の基礎知識13】

四句否定・テトラレンマ言葉の使い方にはいろいろな問題がある。特に、ナーガールジュナや中観派と呼ばれる仏教徒たちの言葉の使い方は、一般の人には理解しにくいことが多い。その中でも、「四句否定(テトラレンマ)」という概念がある。これは論理学的には意味をなさないが、仏教やインド哲学の本質に関わるもので、これを理解することで言葉の問題の難しさをある程度解明できる。 彼らの言葉の使い方と、数学や物理学のような厳密な論理の世界での言葉の使い方には大きな違いがある。論理の世界では、言葉は

中論02/大乗仏教【仏教の基礎知識12】

最高の真実永遠の本体(自性・スワバーヴァ)=幽体 中観派の基本論理瞑想の深いレベルに達すると、言葉や論理を超越した世界に入るため、学説や命題は成り立たない。中観派の立場からすれば、どんな学説や命題も成立しないのは当然のことだ。 命題というのは、数学的には真か偽かが確定するものだが、文脈によってどちらにもなり得ることが一般の人には理解されていない。 例えば、「火は熱い」という命題は論理的には真だ。しかし、特定の文脈では「火は熱くない」とも言える。例えば、火の画像を見ている

中論01/大乗仏教【仏教の基礎知識11】

帰敬偈ここでいう、戯論とは言語的多元化・言語的な多様性・概念化という心の働きのこと。 もろもろの戯論を滅す ⇒ 思考が静まり、沈黙している状態。 『中論』を読んで理解できる人はほとんどいない。八千頌般若経も同様で、普通に読んでも理解するのは難しい。これらの経典には、人間の論理では理解しがたいことが書かれている。人間の頭脳は自然に論理的思考をするようにできており、文章を読む際にも自然と論理的に読もうとする。 しかし、八千頌般若経や中論は通常の論理を超えた内容を含んでいるため

金剛般若経02/大乗仏教【仏教の基礎知識10】

基礎論理学:形式論理学/アリストテレスの論理学思考の三原則 神は、契約を絶対に守ることを要求した。だから、成立したか、成立してないかが重要になる。よって、ここから、「矛盾律」が出てくる。そして、そこには、中間があってはならない。どちらかしか認めないのだ。これが「排中律」である。そして、契約は言葉で行なわれる。用語の定義が求められる。ここから、「同一律」が生まれた。 形式論理学は、ギリシャで完成された。 しかし、人間の論理として実施されたのは、絶対的唯一神の存在を確信する宗

金剛般若経01/大乗仏教【仏教の基礎知識09】

「空」の哲学は、大乗仏教の中でも特に深遠で難解なテーマである。 この哲学は言葉で説明するのが難しい。言葉自体が「実体」として捉えられることが多く、その意味を固定化しがちだからだ。大乗仏教では、言葉はあくまで指標であり、真実を直接表現するものではないとされる。言葉の背後にある真理を理解することが重要。 「空」の哲学を理解するには、理論的な学習だけでなく、瞑想や実践を通じて体験的に理解することが求められる。言葉の限界を超えたところに、本当の理解がある。 「空」とは、「無」でも

説一切有部・五位七十五法【仏教の基礎知識08】

色の概念が肉体から物質へ 五位七十五法五蘊を十八界という形で説明する方法もあるが、説一切有部では、五蘊を全く違う形で、非常に細かく組み替えて説明する。それが五位七十五法である。まず大きく無為法と有為法の二つに分ける。 無為法:生滅変化を超えた常住絶対なもの 有為法:原因・条件によって生滅する事物 無為法(時空・非五蘊) 虚空無為 物の存在する場としての空間を指す。虚空とは、あらゆる物体や存在の基盤となる空間のことで、変化や条件に依存せず、恒常的であるとされる。 択

浄土経【仏教の基礎知識07】

竹下雅敏説 3万2000人もの大勢の修行僧たちと共に、ラージャグリハの鷲の峰に滞在していたと書いてある。この記述は地球レベルの場所を指しているわけではない。すでにゴータマ・ブッダが亡くなってから200~300年が経っている。したがって、師がここに滞在していたというのは明らかに霊界のことを指している。霊界のある場所に3万2000人もの修行僧たちと一緒に滞在していたということだ。 仏説とは霊界でゴータマ・ブッダが直接弟子に語った内容を指す。それを霊界通信を通じて降ろしてきたもの。