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見えるべきものまで、見ないようにしているもの

今日は少し早めに日記を。

毎朝、私よりもはるかに仙人みたいな暮らしを今している人から心配してなのか連絡が来るので、昨日あったことや今日の気分などを伝えるのが日課になっている。長い時間ではないが、まるで家族のようなひとだ。

この町にひとりでいると、いろんなことを考えてしまうから、誰かと話す時間は癒される。癒されるけど、clubhouseでは話すことが少し怖くなってしまって、アプリ削除はもうやめたから見にはいくものの、なにもせず閉じている。そもそも、部屋自体がかなり減っている。

この間会った方に「人と会ってパワーチャージしている」と言われたことを話したら、確かにそうだが、それが長丁場になってくると逆にオーバーチャージしてしまうんじゃないか、と言われた。

この間くらいの短時間。それくらいならパワーチャージになる。でも日をまたいで複数人とずっといるとか、そういうのは帰宅後のダウン状態が半端じゃないだろう、と。

確かにそれは、その通りだ。

パワーをもらいすぎて疲れてしまうのか、使い過ぎるのか、なんなのかよくわからないけれど私の日記を見れば一目瞭然で「人と会った次の日のダウンっぷりが半端ない」のだ。

とても楽しいのに、なぜか落ち込んでしまう。

現実味がないように感じてしまうからだろうか。家のドアを開けると、急に現実に戻るように魔法が解けてしまうみたいなんだろうか。わからない。

会いたい人はいるが、しばらくは控えた方がいいのかな。このご時世でもあるし、そのほうがいいんだろう。そう、思うようにはしている。

そういえば、最近絵を描いていない。

この日に記憶が飛ぶくらい夢中になってこんな薄黒い絵を描いてから、どうせ今描いてもこんなものしか描けないだろうと、描くことをやめていた。

太宰治の小説のような「死への希望」しかないような、単色の灰色みたいなものくらいしか、今の私には描けないだろう、と。

「銀河鉄道の夜」と違い次の小説にと、選んだ太宰治の「人間失格」は、もう生きることを諦めている人が書いているような文体が延々と続き、声に出して読み上げてみても、見える感情の色はなんのゆらぎもない灰色しか見えない。

初心者が見るには暗すぎる、と止められていた小説をあえて2冊目に選んだのだが、止める理由がなるほどとよくわかった。

小説をずっと読めなかったこともあり太宰治という人間について、私は何も知らないが、この小説の文字を綴っている時点ですでに生きる希望をなくした、いやなくしたことにすら気づかず、ただ「死」を望んでいる。そんな文章だ。

その、変わらない灰色の感情の色に気分が悪くなり、私はこの小説を読み進められないままでいる。

そしてそんな彼の文章が、たびたび自分と似たようなものを感じてしまうため、私も今はこんな風な色しか見えないような気がして、絵を描いていなかった。

共感覚で描く絵は、描くまでどんな仕上がりになるか私も全くわからない。

今現在の感情の色やテクスチャを見ることもあるし、ふと思い出した感情の色を描くこともあるから、描き終わってみないと本当に、よくわからないのだ。

「せっかくだから、描いてみれば」と朝言われたので、久しぶりに描いてみた。最近はなんとなく、紺色の世界、という感じはした。

しばらく使っていなかったiPadを取り出してきた。

指と、頭に浮かぶ色とテクスチャの、硬さ・形を、読み取ることに集中し、久しぶりに描いた絵がこれだった。

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https://www.instagram.com/aoiyamart/

思いのほか、「生気」のある絵になったことに少し驚いたが、灰色の単色ではないことに安堵した。

この絵をみて私は、自分の思い込みから、本当は心の中に希望があるのに絶望で塗りつぶしてしまっていて、実際は見えるべきものまで、見ないようにしているものが実はたくさんあるのかもしれないと、そう感じた。

これは、描いてみないとわからないことだった。

自分で「こうだ」と決めつけずに、なるべく毎日絵も描いていってみよう。そこにまた、何かヒントを見つけることができることもあるかもしれないから。

生きるか死ぬかの毎日を、漂うように過ごしているが、そんな生活の中でも愛を知ることができるようになる日が、いつか来るだろうか。

それまでは、私は文字を書くことも、絵を描くこともやめないで続けていきたいなと、

そんな風に思えるきっかけの絵になった。


山口葵

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