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震える両手を押さえ煮麺を啜りながら涙を隠したあの4月の東京駅

今日から5日間、東京で仕事をこなすという新たな挑戦を行いにきた。

東京駅に久しぶりに足を運ぶと、4月に撮影のために訪れたことを思い出した。
心因性の腱鞘炎で心身ともにボロボロ、重い荷物を運ぶことも苦痛の中の撮影の仕事だった。

私の相棒であるCanon 6D MarkIIはなかなかの重量のあるカメラだ。きちんと持てるだろうか、そして何よりこんな気持ちのまま仕事をし、自分のもやがカメラに写ってしまわないか、不安の中たどり着いた東京駅。

両手にテーピングをし、カメラバッグにMarkIIを入れた私は、「とにかくやりきろう」と相棒に祈るように話しかけた。

自分が自分では無くなってしまうような仕事だと感じていた。私は指示されるがままにシャッターを切って、私ではなくても良いのではないか、と悩んでいた。

そんなモヤモヤの中で始まった撮影。

撮影は、確かに指示をされることも多かったが具体案ではなくイメージを伝えてもらうだけで、私とMarkIIはその日最後まで見事に理想のイメージ、それをさらに上回れると自信を持てるような写真を撮りきることができた。

笑顔に自信がなかったと言っていた撮影の依頼者の方は、仕上がった写真を見て「この表情でも大丈夫なんだと思えた」とメッセージをくださった。

「営業はいくらでもできるけれど、その写真を撮れるのは葵さんしかいない」

これは私がいつまでも大切にしている友人からの言葉で、この日、本当にそれを実感することができた。テーピングで痛々しかった両手も最後までなんとか持ってくれた。

東京には、嫌な思い出が多くて、もう来ることをやめようか、そう悩んでいた事も度々あった。

それでもこの仕事をやり遂げたこと。いろいろな東京の風景を見ながらこの街には

たくさんの絶望があるけれど、その倍以上に希望に溢れている街だ。

私はそう感じ、ここでの仕事を諦めたくないと思いながら、名古屋に戻るため再び東京駅に向かった。

新幹線に乗る前に、煮麺のお店に入りお腹を満たした。優しい味が心に沁み、私はこの日の思いを忘れないようにしようと、溢れそうになる涙をお店にいる人にバレないように隠しながら麺を啜った。


今日、東京駅に着いたときにそんな記憶が蘇った。

あれからもう、9ヶ月が経った。

いろいろな変化が起きて、あの時泣いたのは「それでもここでの仕事を諦めたくない」という気持ちも大きかったから
東京のこの地でこの日記を書いている「今」を、私はあの頃の私に伝えてあげたい。

あの時誓った思いや、譲れない信念、やり遂げた達成感
全て無駄にならずに「今」に生きている。

諦めずに仕事をキャンセルしていたらこんなにも、「絶望と希望の街」への執着は湧かなかっただろう。気づかなかっただろう。

それを今は執着とも言えないほどに軽やかに、
そう軽やかにここに来ることができている。

二度と持てないだろうと思っていたスーツケースに、5日分の荷物を詰め込んで。
私はあの時の自分の心、そして周りの支えてくれたひとたちへ改めて感謝を込めたい。

今日がまた「あの頃」と思い起こす未来の私は、どうなっているだろう
きっと今よりもまた大きな希望を抱えているに違いない。

そう信じている。そう、信じられる。

今の私だから。


山口葵

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