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冒頭で出会うVol.19_サイン会控え室

「柴山センセ、どうしたの」

控え室で文芸雑誌をよんでいた柴山勝敏は肩をたたかれた。柴山に声をかけたのは十五年のながきに渡る柴山の無名時代からの、ときに落選作にペンを入れてアドヴァイスをくれたりして励ましつづけた柴山より十五は若い某出版社の編集の朝香だった。かたくなに純文学をかきつづける柴山勝敏をみるにみかねた朝香は「柴山さん、悪いけどね、柴山さんのそういう文体でいまのまま純文学をかきつづけたって埒があかないよ。ここは思い切ってサスペンスでも書いてみたらどうだ」と舵を切らせると、それが功を奏して、その年の暮れに、柴山は五十を過ぎてようやく小さなサスペンス新人賞を獲った。朝香のアドヴァイスのおかげで柴山は念願の作家デビューを果たした。いまでは脱稿した原稿はまず朝香にみせる、そんな間柄だ。

「柴さん、今日は元気ないじゃないですか、緒方十吉サスペンス賞受賞記念サイン会ですよ。デビューしてからの念願じゃなかったの」

柴山のとなりのパイプ椅子に座った朝香は毟るようにマスクを外した。胸ポケットに入れていたタバコを一本とりだして火をつけようとして一瞬とまる。柴山をみる。吸いますよ。おれは大丈夫、と柴山は目の前にあるスチール灰皿をバーカウンターの飲み物のように滑らせる。サンキュっす。咥えタバコで合図する朝香。タバコの先が紅をさしたような赤になる。朝香は旨そうに目を細めて紫煙を天井に吹く。朝香が目をつけ柴山が作家デビューするまでの十五年にもわたる互いの時間が、サイン会の控え室にゆっくりと染み渡っていった。

朝香は灰を、スチールの灰皿にポンと落とす。柴山は文芸誌を閉じた。

「そそ、きてましたよ。あの着物のオバチャン、尾内君江さんですよね。おれに、蒼ヰ先生いますか? ですって。尾内君江が列の最前にならんでいたんで、二列目からの人が、えっ、て戸惑ってましたよ。真上に「柴山勝敏サイン会」って看板がぶら下がってるのに、これって柴山勝敏先生のサイン会でいいんですよね? だってさ。んで、これ」

朝香は内ポケットから封書をとりだした。

「尾内君江から。柴山勝敏先生じゃなく、蒼ヰさんに渡してくれってさ」

長テーブルの上にはデパ地下で買ったらしい不二家のケーキの箱が置いてあって、柴山がケーキの箱を、それだれから? という意味あいで顎でしゃくる。すると朝香は封書で箱をたたいた。この封書をもってきた尾内君江が勝手に買ってきたんだという意味なのだろう。

朝香くんよんでくれよ。おれダメなんだよ、こういうファンレターってのは。わかるだろ。自分がどこにいるかわからなくなるんだ。できればよみたくない。そのままあそこのゴミ箱に抛って捨ててもいいよ。柴山はいった。朝香は封書をひっくりかえして浜松の住所を確認してわらった。白く長くなったタバコの先の灰が紺のスーツの胸元に落ちてそれを手で払う。短くなったタバコを咥えながら朝香は言葉を継ぐ。

「浜松から新宿の紀伊國屋のサイン会場まで長距離バスだったら朝イチだろうな。大変だったろうになあ」朝香は爪がインクで黒くなった手で封書をちぎった。

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「私は、小説のことはよくわからないのですが、受賞作「火事」を読みました。感想を書かせていただくと、わたしは「真琴」に「真琴の家族」に亡くなって欲しくなかったです。私はハッピーエンドの小説がいいと思います。できたら蒼ヰさん、いや、新たに生まれ変わった柴山勝敏先生の、ハッピーエンドの小説が読みたいです」

今日は、暦の上では「立春」ですが、まだまだ寒い日が続きますのでお身体にお気をつけてください。

2022年2月4日(金) 〒431-2122静岡県浜松市北区○▽□

尾内君江   

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「で、尾内君江はなんでまた柴さんの無名時代の、蒼ヰを知ってたんですか? デビューしてすぐに作家蒼ヰのアカウントぜんぶ削除したっていってたじゃないですか。尾内君江はむしろそっちのファンだったみたいですけど」

ドアが開いて紀伊國屋の職員が顔をだした。そろそろです。あ、わかりました。朝香が答えて灰皿にタバコをねじ込む。去ろうとする職員を呼びとめた柴山はケーキの箱をさして、これ、ぼくらふたりとも甘党じゃないんで事務所で召しあがってください。いうとアルバイトらしい青年は深々とお辞儀をしてケーキの箱をもっていった。青年が去った控え室のドアがゆっくりと閉まっていく。

ガチャ。ドアが閉まる。柴山は語り始めた。

尾内君江さんて人さ。じつは昔からの文通相手なんだよ。二十年来のさ。おれはずっと前から文通でもペンネームを「蒼ヰ」で使ってたんだ。つまり尾内君江は二十年来ずっと蒼ヰという名の男と文通をしているわけだ。といって柴山はじぶんの顔を指さした。朝香はハッとなにかに気がついた。え、そういうことだったの? ああ、じつはそういうことだったんだよ。

「じゃ、柴さんの新人賞を受賞した作品、ある日、作家に届いた手紙に始まって、小説がストーキングされた主婦に乗っ取られちまう「わたしの小説」の、ストーカー主婦のモデルは尾内君江だったのか! 」

柴山はゆっくりと頷いた。朝香は継ぐ。

「それで、彼女は、それ、つまり柴さんの「わたの小説」を読んだんでしょう」

パイプ椅子に座った柴山は目を瞑って天井を仰いでいた。

「すぐに、読まさせていただきました。って、手紙がきたよ」

時が止まったんじゃないか。というほど長くかんじる沈黙がふたりの間に横たわった。

「自分の現実世界が変わらない。だから自分が恋焦がれる作家にファンレターを送る。作家に自分の夢や熱意を手紙に認めておくりつづける。冬は寒いですねってセーターとかマフラーも送ってくる。あなたは素晴らしいひとだ、でもわたしはあなたの作品だけは理解ができない。なぜ、あんなだれもが死んでしまうようなものを書くんですか? わたしは作家であるあなたをこんなに理解しているのにあなたはこのわたしを理解してくれないのか? なぜそれを小説にしないんですか? ほらこれがあなたが描きたかったことじゃないんですか? だからあなた売れないんですよ。最後にはじぶんの思い通りにならない作品を作家を脅してまで変えようとして、ついに殺してしまう。選考委員からは、元ネタがスティーブン・キングの「ミザリー」のパクリじゃないかとの指摘もあったが、それにしても新人にしちゃ、よくできてる。上手くかけてる。斬新さやフレッシュさはないが、及第点ってところだ。その評価での、新人賞受賞だった」朝香は当時の選考会の選評を思いだしていった。

柴山は目を瞑ったまま天井を見ている。

「この期に及んで、尾内君江はまだ、柴さんにハッピーエンドを要求しているわけか? もうかれこれ十五年ですよ、あのひとチョットここがさ」

朝香は、じぶんのこめかみを指さしている。目を開いた柴山はそれを見て笑った。

「いや、でもさ、そういうのって一番の、読者でもある気がするんだ。常に筆者を否定するアンチ読者っていうかさ。そんでさ。いつか、彼女のいうような、だれも死なない。だれもが幸せになる、ハッピーエンドで終わる、殺人事件書いてみたいな〜、なんてね」柴山がいう。

朝香が、柴さん、あんたバカか? またこめかみをつつく。柴山はわらった。

「じゃ、次の作品、それでお願いしますよ。それで直木賞とろう!」

朝香が意気込んでいった。

「なんだそれって? 朝香くんにはテーマでもあるのかい? 」

柴山が答える。朝香はひとさし指を天井に突きあげていう。

「だれも死なない東京大虐殺」

控え室のなかでふたりで久しぶりに涙がでるまで笑った。あー腹いて。

「よし、直木賞の前に、まずはサイン会をやっつけちまうか」



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