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ChatGPTって何だ? 20230501mon
799文字・20min
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久しぶりにコラム。
ChatGPTってよくわからずに、ネットで調べた。
僕らの問いをAIがネット上を検索してそれらを総合してぼくらに提供する。単純に考えれば、自動検索機能だ。
数学の世界で超難解な問いがある。この数式の問いにはすでに解答は存在する。だが、日本人が日本語でこの数学の問いをChatGPTに質問すると出鱈目な答えがでる。それはその数式は日本語の論文では存在しないためだ。すべて英語(あるいはその他の外国語)でChatGPTに質問すれば正解は秒で得られる。ChatGPTはその言語圏でしか機能しない。
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いま川端康成を読み直している。
「今後はこんなのもChatGPTでもかけるんかいな」と唸る。
名文はやはりグッとくる。
純文学を書くときぼくはじぶんの固有の文体を模索しながら書く。その行為は油絵を描くのに似ていると思う。エンタメ作品では避けられる工夫を純文学では凝らす。句読点の位置、読者を立ち止まらせる工夫、テーマに暗喩させるメタファーの布石、伏線、その回収とか。立ち止まって、読み返し、いったん離れて、また手をいれ直す。永遠と塗りなおして富士山の形が変わる油彩画のようだ。
エンタメ作品は工業デザイン、例えばナイキのマークのようにシンプルで誰にもわかり文章や構成が求められる。エンタメは起承転結が読者から求められるが純文学はそれがない。
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純文学はChatGPTは真似できぬだろうとは僕は言っていない。
ChatGPTがネット上の数十億のデータから答えを導きだしてもやはり自伝や私小説の個人の体験は強みだ。人生を歩んできて、何を見(てき)たか、どう感じ(てき)たか。いい作家の文章にはそれが文字ににじみでる。川端康成の死への恐怖とか。
「いやあ、人が老いていくこういう孤独観ってChatGPTって書けるん?」
思っちゃう。AIもいずれ「山の音」とかが書ける時代がやってくるのだろうか。
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