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全力で書かないなら作家をやめた方が良い


朝起きて、こんなコメントが来ていて、なんだか嬉しくなった。


村上春樹さんの著書「村上さんに聞いてみよう(読者との一問一答集)」で、かれはこんなことを言っていた。

うろ覚えで書きます。

僕はよく読者に「作家さんていいですね。机に座ってするすると書いてお金をもらえるなんて」みたいなこと言われるんですけど困っちゃうんです。じつは作家はみなさんが思っているほど楽な仕事じゃありません。

マラソンに例えて言うならば、一つの執筆をこなした後は、ハーフマラソンを走り切ったほどに体力を消耗します。つまり執筆は肉体労働なのです。

村上春樹

だから、ぼくは日々、からだを鍛えています。

(村上春樹さんの毎日のルーティンを紹介)

彼は毎朝、四時に起きて四時間の執筆。それから軽い食事。
その後に、十キロメートルのジョギングか一キロメートルの水泳、あるいはその両方をやる。午後から二回目の四時間の執筆をする。毎日の執筆量はきっかり原稿用紙十枚。決めている。それから夕食をとる。好きな余暇、音楽や翻訳作業をする。お酒をのんで夜八時には就寝。

かれをそれほど執筆に体力が必要だと思わせているのは何か。

それは彼がこよなく愛するレイモンド・カーヴァーの言葉があります。

レイモンド・カーヴァーの「書くことについて」より。
もし全力で書かないのなら作家を辞めた方が良い。
「その語られた物語が、力の及ぶ限りにおいて最良のものでないとしたら、どうして小説なんて書くのだろう? 結局のところ、ベストを尽くしたという満足感、精一杯働いたというあかし、我々が墓の中に持っていけるのはそれだけである」

村上春樹さんはその意味を、翻訳家としてこう訳しています。

『時間があればもっと良いものが書けたはずなんだけどね』、ある友人の物書きがそう言うのを耳にして、私は本当に度肝を抜かれてしまった。今だってそのときのこと を思い出すと愕然としてしまう。(中略)もしその語られた物語が、力の及ぶ限りに おいて最良のものでないとしたら、どうして小説なんて書くのだろう? 結局のところ、ベストを尽くしたという満足感、精一杯働いたというあかし、我々が墓の中まで 持って行けるのはそれだけである。私はその友人に向かってそう言いたかった。悪いことは言わないから引の仕事を見つけた方がいいよと。同じ生活のために金を稼ぐに しても、世の中にはもっと簡単で、おそらくはもっと正直な仕事があるはずだ。さもなければ君の能力と才能を絞りきってものを書け。そして弁明をしたり、自己正当化したりするのはよせ。不満を言うな。言い訳をするな」
(拙訳『書くことについて』)

普段は温厚なカーヴァーにしては珍しく厳しい物言いですが、彼の言わんとすると ころには僕も全面的に賛成です。今の時代のことはよくわかりませんが、昔の作家の中には、「締め切りに追われてないと、小説なんて書けないよ」と豪語する人が少なからずいたようです。いかにも「文士的」というか、スタイルとしてはなかなかかっこいいのですが、そういう時間に追われた、せわしない書き方はいつまでもできるものではありません。若いときにはそれでうまくいったとしても、またある期間はそういうやり方で優れた仕事ができたとしても、長いスパンをとって俯瞰すると、時間の経過とともに作風が不思議に痩せていく印象があります。


野原綾さん。
あさから強烈な、アッパーパンチをありがとう。
本当の意味で目覚めました。
今日も頑張ります。


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