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最後の弟子 / 1月17日(6:30〜15:30)の人物動静(美月、蒼ヰ、三橋)

物語の舞台(場所)、九州の東に張り出した半島の沿岸にある東国市。大別空港。東九州ベイグランドホテル。霧岬漁港。東国市街。霧岬漁協。


美月華樹 / 67歳☟(家は、東京葛飾区)

6時30分、起床。

7時45分、羽田発、大別行き飛行機に搭乗。

9時12分、大別空港到着。霧岬漁協員の蒼ヰ瀬名に迎えられる。

9時30分、東九州ベイグランド到着、チェックイン。美月は蒼ヰを昼食にさそう。蒼ヰからチェックインは宿泊なので出発は明日でも構いませんとガイダンスをうける。蒼ヰに礼をいう。1525室にて休憩。

12時30分、ホテル内の鮨屋「酉」にて蒼ヰと軽い会食。蒼ヰが文学青年だとしる。過去に弟子をとっていたことを話す。

13時30分〜15時30分、三階宴会場大広間にて「モテる作家のファッション着こなし術」講演。

15時30分〜、講演後、

①蒼ヰと市街地にある居酒屋にでも食事に?(状況はコロナ禍にて)

②車で空港高速道路を走って府別に繰りだすか?(状況はコロナ禍にて)

③未定(ぼくが小学生の頃の、1980年代、次はどちらを選ぶ? 赤い扉は129頁へ、緑の扉は32頁へ、ってそういう探偵小説ありましたね。あれはフリオ・コルタサルの「石蹴り遊び」が原型です)。^ ^


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蒼ヰ瀬名 / 35歳☟(家は、海辺沿いのアパート)

6時30分、起床。

6時35分、部屋をでて車で漁港に出向く。

6時45分、漁協を開ける。歩いて漁港に行って、漁港に残っている漁師のみなに挨拶をする。

7時30分、漁協に戻って、ひとりでコーヒーを淹れて飲みながら書類整理。オンタイムで三橋眞也が出勤する。三橋は、あれ、真帆ちゃんは? 蒼ヰは、まだ出勤していない。いうと、真帆ちゃん今日は遅いねえ、という。今日も日高さん、酒で潰れているかもしれないな」という。

7時31分、安藤真帆が出勤する。事務所に、日高以外の三人が揃った。いつものことである。三橋が、今日タカさんが万一午前中こなかった場合の仕事を蒼ヰと安藤に振り分ける。

8時30分、「車で市街地のタカさんのアパートにいって、タカさんを乗っけて、講演会の会場のベイグランドホテルに行くよ」と三橋はいって自家用車のセダンに乗って市街地にある日高の市営住宅に向かう。

8時40分、「今日の講演会の作家の先生を空港まで迎えに行く、そのまま先生の夜のアテンドをするかもしれない。先生の意向にもよるけど、ホテルは押さえてある。翌る日は、府別温泉に接待ってなるかもしれない。だから今日はぼくはこのまま家に直帰だ。今日の鍵番は三橋さんみたいだけど、安藤さん、合鍵の場所はわかるよね? あそこ。日高さんのデスクの脇の金庫にぶら下がってるやつね。3時半になったら閉めていいよ」といって老作家を空港へ車で向かいに行く。

9時00分、空港の駐車場に到着。

9時12分、空港ロビーにて、老作家を歓迎。握手をする。

9時30分、東九州ベイグランド到着、老作家をチェックインさせる。1525室まで鞄を持って案内する。「昼食に寿司でもどうですか?」誘われる。断れずに「わかりました」。

9時35分、昼食まで時間がある。漁協に戻ろうか。ほかに自分が腰を落ち着かせる場所などない。漁協に帰ることにする。

9時50分、漁協到着。「三橋さん、さっきまた戻ってきて、ここにいましたよ〜」と安藤真帆は三橋のデスクをさした。じゃ日高さんは? と訊くと安藤は妙な笑いを見せたったきり答えない。安藤は日高をよく思っていないようだ。じぶんのデスクで午後の講演会のあとのこと、府別温泉などのことをぼんやりと思う。

10時05分、「どうぞ」安藤がコーヒーを持ってくる。なにかを蒼ヰに言いたげだ。安藤は漁港から入江の先、緑から次第に青が濃くなっていく遠浅の海をぼんやりと眺めていた。安藤真帆の視線を追うと、入江の上に架かる橋の下で子供たちが遊んでいるのが見える。安藤は携帯を弄っている。それから大きく深呼吸を二度、する。いったいどうしたんだ? 

10時06分、「蒼ヰさんあれ」と安藤真帆が橋の下で遊んでいる子供たちを指さす。え、子ども? 子どもらがどうしたの? 違うの、子どものもっとさきのほう。よく見て。入江の先の、遠浅に浮かんでるの。あれってひとじゃない? 海でひとが溺れてない?

10時07分、「確かめに行かないんですか?」安藤真帆はいう。が蒼ヰは聴いていない。ぼくがあそこの岸まで走っていって目視でひとが溺れているのを確認してどうするんだよ? それよか安藤さん、湾内スピーカーからサイレンを鳴らして。蒼ヰはデスクから緊急対応マニュアルをだしその37ページを指さす。真帆ちゃんここ、赤のマーカーのとこ。湾内放送をかけて、ぼくは近隣の漁船に無線をながすから。

10時30分、近くにいる漁船から、人ではない。よくできたダッチワイフだ。蒼ヰちゃん、要るか? 引き揚げて帰るぞ。肌がつるつるして白いなあ。外人みてえだなこりゃ。無線から笑い声が聞こえてくる。

10時49分、漁協のドアが開く「蒼ヰちゃん、ちょっときてよ、タカさんが荒れちゃってさ、駐在の狭山さんと揉めてるんだ。殴り合ってるんだ」蒼ヰは事務所を安藤に任せ、目と鼻の先の漁港へ駆けだす。

10時50分、漁港の市場のなかで日高さんと狭山巡査長が揉み合っている。蛸壺や網を手入れしている老婆たちに囲まれて喧嘩をしていた。周りを見ても三橋の姿は見えなかった。日高と幼馴染みの狭山巡査長はパトカーに乗って去っていった。蒼ヰは力の抜けた日高を担いで漁協に連れていく。

11時08分、日高は安藤真帆に包帯を巻かれていた。ドアがひらいて三橋が入ってくる。どこへいってたんですか? 蒼ヰがと訊くと、外。別件で今度は県警から電話だ。日高の体がこわばった。蒼ヰは日高に、なんでまた駐在の狭山さんとなんか殴り合いになったんですか。とは訊かなかった。だが日高から口を割る「ほら、前ファミレスでおれがいった通りだ。狭山のやつ警察の金をくすねてんだよ。おれが酒飲んで赤い顔して車運転してんのを捕まえらんねえからってよ、お互いさまじゃねえか、そういうのをもちつもたれつっていうんだ、もしお前がおれをパクったらお前の上司の一万田にお前の横領のこといってやるぞっていったら、テメエ警察を脅しつける気か!ってきてさ腰につけた警棒をぶんぶん振りまわしてくっからこっちから殴ってやったまでよ、ああいうのこそ正当防衛じゃねえのか」安藤は嫌な顔をして日高を見ている。「それにあの野郎、拳銃をこのおれに向け…」三橋がそれ以上いうなという目で制した。それで三橋さんと事務所に来たんですかと訊くと、ああ一度、部屋のチャイムが鳴ったが、あれが三橋かどうかはわからねえな。また二度寝してから、ここ来たからなぁ。笑って日高は安藤に酒グサい息を吹きかける。安藤は歪めた顔を背ける。三橋はそれについて首を傾げている。「それにしても日高さんも日高さんだけど、狭山さんも狭山さんだよなぁ、大人気ないよなあ」と三橋は笑う。「お前は狭山のスパイか? 役所のスパイか?」日高は笑っていうが三橋は目玉をギョッとさせた。「二重スパイだとしたら、面白いですよね〜」三橋は軽く笑って答えてみせる。蒼ヰも安藤もまったく笑えなかった。みなじぶんのデスクに落ち着く。いつもの農協の姿になった。

12時、漁港のスピーカーから時報のサイレンが鳴る。安藤はじぶんの弁当を広げる。みなにお茶を淹れ始める。「いや、ぼくは先生と会食がある」蒼ヰは安藤のお茶を断る。「日高さん、顔、まだ腫れてますよ。無理しないでください」違うんだ、おれは狭山に一発も殴られてない。これは昨日電柱にぶつかったの。日高は笑う。「今日のベイグランドホテルの講演会はぼくが滞りなくやっておきますから」いって蒼ヰは漁協をでる。

12時05分。蒼ヰが車に乗り込もうとする。すると、三橋がやってくる。「おれが運転して日高さんを会場まで連れていくよ。最初から最後まで蒼ヰと日高さんに任せっきりだったけど結局このイベント、役所から委託されたおれが企画の張本人だしな」肩を叩かれる。車に乗り込む。

12時30分、老作家と鮨屋「酉」にて軽い昼食をする。じつは小説を書いていると語る。老作家は蒼ヰのことばに呼応したようだ。では「キミはそのまま府別の歌姫で終わりたいのかな」蒼ヰは心が揺れる。どこまでも紳士的な対応の老作家だ。蒼ヰが生まれて初めてじぶんの目でみた本物のプロの作家だ。弟子のなかに直木賞作家がいる。老作家と話しているだけで不思議とじぶんが本当の作家になれてしまうんじゃないか。「何でもやります、東京で先生のもとで小説を学ばさせてください」一言いえば弟子になれちゃうんじゃないか… そんな幻想まで抱きそうだ。蒼ヰは頭をふった。

13時30分、ベイグランドホテル三階大宴会場にて「作家美月華樹の、モテる作家のファッション着こなし術」開催。三橋は日高を連れてきたようだ。二列前にふたりは座った。だが客足は悪い。天候は申し分なく外は晴れだったのだが。

14時20分、三橋と日高はトイレに経ったまま、帰ってこない。

15時30分、「作家美月華樹の、モテる作家のファッション着こなし術」終了。舞台袖にて蒼ヰは老作家のアテンドに入る。

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三橋眞也 / 37歳☟(住所不定、山手の安藤真帆の部屋)

6時30分、安藤真帆の部屋。まだ暗い。日の出まえだ。いつか、いや今日あたり、じつはおれは三橋眞也じゃない。三橋眞也はこの世に存在しないってことを安藤真帆に話さなければいけない。白けてきた海が見渡せる東の窓を開ける。山の頂を碁盤の目のように均した場所に立つ安藤真帆のアパートから見下ろすと、うす闇と紫が混じった色の蒼ヰが住む鉄筋アパートの屋上がみえる。裏手の駐車場には蒼ヰの乗る車があった。

6時35分、海を眺めていると、寒いわ、閉めてよ。と安藤真帆の声が聞こえてきた。窓を閉めようとすると、蒼ヰのアパートから車がでたのを確認する。振り向くと安藤真帆は裸だった。風邪ひくぞ。いうと。暖房つけっぱだから大丈夫。慎ちゃんがわたしに風邪を引かせようとしてるんじゃないの。閉めてよはやく。窓を閉めると湿った蛇のようになった肢体を慎也のふとももに絡ませてくる。踵で盛りあがった慎也の股間を押さえこむ。ちょっと日高のオヤジどうにかしてくれないかなぁ。慎ちゃんなんかいったの? なんか日高にわたしヤリマンとかに思われてない? わたしそんなんじゃないんだよ。慎ちゃんだけなんだから。そういいながら磁器のように堅くなった慎也の逸物を口にふくむ。東の陽があがってきて部屋が明るくなってきた。掛け時計をみる(このくだり、男性読者にサービスしてない? ^ ^)。安藤真帆の身体を悦ばせるのに、たっぷり1時間あった。安藤真帆はおれにまたがる。壺のようにして開けるおれの口に、糸を引いて白く濁ったよだれを垂らした。飲んでよ。

7時25分、漁協員の服に着替えていると、えーもう行っちゃうの〜。安藤の甘い声がする。バカ、お前だって遅刻するだろ。安藤真帆はまるで赤ん坊のように笑う。この女、どんな過去があるのだろう。ふと思った。「もう戻らないかもしれない」言えなかった。「鍵は玄関マットの下に入れておく」いって安藤真帆の部屋をでた。

7時30分、漁協に到着、ドアを開けると蒼ヰがいた。「あれ、真帆ちゃんは? 」蒼ヰはまだ出勤していないという。じぶんにはタバコを吸わない蒼ヰには昨日コンビニで買っておいたガムを渡し「真帆ちゃん今日は遅いねえ」という。そういえば、日高は、昨晩泥酔いしたあのままの姿で寝ているのか。おれは日高の部屋の暖房のスイッチはつけてこなかった。さすがに真冬だ。心配になった。どちらにしろおれが行って日高を起こしてこなければいけないな。「今日も日高さん、酒で潰れているかもしれないな」という。

7時31分、ドアが開く。ふりむくと安藤真帆が出勤していた。蒼ヰに背を向けながら口パクで「安藤のあほ」といってやる。蒼ヰのほうに振り向くと安藤真帆はおれの尻をつねった。今日、日高が出勤しなかった場合の仕事を蒼ヰと安藤に振り分ける。

7時45分、外にでて日高の携帯に電話をする。繋がらない。ただの二日酔いかもしれないが、どうも最近ようすがおかしい。その上、呑んだときに尋ねてもシラフのときにそれとなしに訊いても、八年前におれを漁協に招き入れた張本人の日高も、おれが本当に役所の人間だとおもいこんでいるフシがあった。

8時00分、三橋は、国道に入る河口橋ベりにたつ日高の実家の荒屋がやはり気になった。日高は日頃、酔っ払うとあんな家ボヤでも火事でも起きて燃えちまえばいいんだ。と愚痴るのに最近になって、ずっとだんまりだ。先月から生命保険がどうのと訊いてくるし、国道沿いからそれた喫茶で地元の組の連中と話しているのを見かけたことがある。入江の向こうをみると、朝一、近場の漁場にでた船が帰ってきた。事務所に戻った。

8時30分、「車で市街地のタカさんのアパートにいって、タカさんを乗っけて、講演会の会場のベイグランドホテルに行くよ」といって自家用車のセダンに乗って市街地にある日高の市営住宅に向かうことにした。

8時50分、日高の住む市営アパートに到着、日高の部屋のドアをノックしようとすると、ラインが届く。安藤真帆からだった。股下から撮ったピンクのパンティの写メを送ってきた。「萌える?」中学生か! だが、安藤真帆は、どこの馬の骨かもわからぬ三橋眞也に、まるで世界に見捨てられた孤児が全幅の信頼もって身を預けるようにじぶんの股の画像を送ってくる。そうおもうと三橋は安藤真帆を憎めなかった。日高のドアノブを握ると静かにドアが開いた。ドアを背にして三橋はカチリ、内鍵を閉める。廊下を抜き足で歩く。三橋はよくこの部屋にきては日高と朝まで飲む。だからこの部屋のなかは熟知していた。部屋を使わせてもらう代わりに三橋は部屋をきれいにしていた。風呂場、洗面所、キッチン、六畳の洋間、となりの敷居を引いて五畳半の畳の間、一応、クローゼットも押しいれも開けてみた。単身用の2DKの部屋に日高の姿はなかった。暖房がつけっぱなしだった。西の窓が開いていたので閉めた。暖房はつけっぱなしにしておいた。タバコでも一腹吸おうと思った矢先だった。

8時53分、また、安藤真帆からのライン。「いま日高さんが漁協にきたんだけど様子が、なんかちょっと変、すぐに戻ってきてくれない? わたしへのセクハラのほうじゃなくて、お酒でもないっぽい。目が真っ赤に血走ってて怖いんだけど…」急いで車に乗り込む。

8時57分、九州の東沿岸沿いをはしる国道231を、速度制限ぎりぎりで飛ばしていると、対向車線の向こうから、蒼ヰの濃紺のミニが見える。いつものようにパッシングしようかと頭によぎったが、やめる。この時間じゃ、老作家を空港に迎えにいく途中だな。となると日高が漁協に顔をだす前に、蒼ヰは漁協をでたことになるのか。

9時07分、漁協到着。ドアを開けてはいると安藤真帆しかいなかった。「どうした。日高さんは、どこにいるんだ?」聞くと、わからない。なんだか金庫から書類みたいなの探してたよ。金庫を見ると空き巣でも入ったような散らかりようだった。まるで夜逃げするみたいなすごい剣幕だったけど、日高さん、なにか悪いことでもしたの? それには答えられなかった。三橋も知らないのだ。さっきの日高さん。できれば関わりたくないなぁ。安藤真帆は先ほどの漁協の金庫を荒らしていた日高をできれば記憶から抹消したいと思っているようだった。すると、ドアが開いた。ドアを見つめる安藤真帆の顔が青ざめていた。

9時08分。漁協にきたのは、二人の県警の刑事だった。三橋は一瞬で、いまの状況を把握しようと頭を高速回転させる。まず蒼ヰは老作家を迎えに空港に行っている。その後、東九州ベイグランドホテルに9時30分にチェックインだ。それからなにごともなく漁協に帰ってくれば、ここには9時45分には戻ってくる。金庫を荒らした日高がここに戻ってくるはずがない。目の前の刑事を30分で帰らせれば、自分と安藤しか金庫のことは知らないはずだ。三橋は安藤真帆に目で「金庫を片付けてくれ」と合図する。

9時43分、県警のパトカーは帰っていった。「で、三橋さんはどうおもうの? 日高さんが関係しているとおもう?」安藤真帆の質問には答えられなかった。県警が動いているということは、所轄が県全域にわたる県警が本部を置いて捜査を行っいると言うことだ。刑事のいうところによれば、ここ半年で東国県の東海岸沿いの国道231号沿いにある部落を狙ったように付け火あるいは放火の事件が多発しているという。十年前、東国空港から大別まで直通の内陸をはしる高速道路が敷設された。それ以来、東九州の海べりに沿ってはしる国道231号沿いは一気に廃れた。たまにコンビニを見かける程度で空き家も荒屋もおおくなった。古い家屋にだれかが住んでいてもほとんど老人だという。それを機にそれぞれの町では市街地に市営住宅を建てて住民を誘致した。さらに漁村は廃れるばかりだった。そこを狙ったのか、空き家を見つけ強盗をして、その後、ガソリンをまいて火をつける。実際に、家に火事で取り残された犠牲者は16名にのぼる。すべて自力で動けぬような老夫婦ばかりだ。つまり大別県の全域とくに沿岸沿いで、悪質でかつ計画的な強盗放火殺人が行われているという。この霧岬漁港でも最近、火事がありましたか? と訊かれ、三橋と安藤真帆と顔を合わせる。そんなこと県警さんのほうが詳しく知っていらっしゃるんじゃないですか? 三橋は嫌味をいった。刑事の背の低い方は肩を窄めて手帳にメモをした。ひや汗がでる。ちなみにあなたは? と三橋は名前を訊かれる。私は霧岬漁協員の三橋眞也。それとこちらが部下の安藤真帆、後はここの所長の日高健治、同僚の蒼ヰ瀬名です。今日は漁協主催といっても役所のイベントになりますが、ベイグランドホテルで13時30分から「モテる作家のファッション着こなし術」なるイベントがありまして、そちらに人員が、責任者として日高と蒼ヰが向かっています。わたしもこれから向かう予定です。嘘をついた。背の低い刑事はそれもメモった。「つまり、私ら県警が動いちょるのはまぁこういう凶悪な事件ですので」それから一息ついて背の高い刑事がいう。「あながち、流しの犯罪じゃないようなのです」「流し?」と三橋は訊き返す。「流しっちゅうのは、例えば九州全域を、巡っていたり、日本全域で悪さするような奴らのことです」つまり地元の地理に詳しい人物の犯行らしいという。「では市民の皆さんからの情報が事件の解決の鍵になっちょりますので」くれぐれもよろしく。去っていった。刑事が来たことは、とりあえず今日は日高さんにも蒼ヰにも黙っておこう。三橋は安藤真帆にいう。「なんで?」と訊く安藤真帆に「今日は、ホテルでイベントだからだよ。明日になって、きちんと説明すればいい。蒼ヰは今日一日、東京からきたプロの作家をアテンドするんだ。接待するかもしれないし、動揺させないほうがいい。それに日高さんが、金庫をどうのってのと部落の強盗放火事件となにか関係があるとおもうか?」逆に質問すると、安藤真帆はおし黙った。三橋の意見に一理あると思っているようだった。

9時45分、日高さん、探しにいってくる。と安藤真帆に告げて、漁協をでる。倉庫の脇に停めてある車に乗ろうとすると、安藤真帆がかけてきた。「日高さん、近くにいるとおもう。すごく酔ってたの、ぐでんぐでんだったもの。だから自転車とか歩きのほうがいいとおもうよ」安藤はいう。車の方が酔った日高をのせられると思ったが、歩いて探すことにした。安藤真帆は準備よく、酔い醒めのピルと、日高がいつもコンビニで買うというハイチオールの瓶を三橋に渡す。「これって女性の美容飲料じゃないのか?」訊くと、バカね。これがいま二日酔いに効くんだって。そういうの日高さん目敏いのよね。それに日高さんの机のなかにこれ、すんごく常備されてるんだから。安藤真帆は笑う。

9時54分、日高の実家に来ていた。県警の刑事との話の後に、三橋が一番に心配したのはここだった。日頃となにも変わりがなかった。いや、八年前とまったく変わっていない。

9時55分、国道231から内陸に入った県道沿いにある病院とその向かいのコンビニの方を回って、駐在の狭山さんに訊いてみるかとあるきだした。

10時04分、コンビニで買ったオレンジジュースを飲んで、向かいに建つ市民病院をみあげる。ふと、ありもしない不安がよぎる。

10時05分、日高がまさか救急車で病院に運ばれたか? そう思った三橋は病院のなかに入る。受付の事務員に日高を見かけたか訊ねてみる。あら、三橋ちゃんおひしぶり。日高さん? 来なかったわよ。あの人って病気にかかるの? 二十代後半の事務員がいうと隣の若い事務員が俯いて、ククとわらう。そうよね風邪とかインフルエンザとか肺炎をさ水風呂とかお酒で治しちゃうような人だもんね。三橋もわらった。そういえば日高さんこの間、肝臓と膵臓の癌を田中鍼灸院で治したってうわさだよ。軽口をたたくと受付のみんながそれに耳をそばだてていたのか、大爆笑が起こった。そういえば、と局のような古株の女性事務員がボソリ。「そういえば、日高さんのお母さん。来ないわね、もう末期じゃなかった?」「え、そうなの?」三橋はそれについて聞きたかったが、携帯に安藤真帆からラインがきた。「沖合で人が溺れているように見えるんだけど、見間違いかな? 」カウンターに手をかけた三橋はうなだれる。ラインを打ち返す。「まず落ちついて深呼吸だ。深呼吸したか?」十秒まつ。「となりの蒼ヰにそれを伝えるんだ」スマホのラインのタスクを切った。なんでとなりの蒼ヰにいわずに遠くにいるおれに、それもわざわざラインで報告をするんだ? 安藤真帆がわからなくなった。悪かったね。ほかを当たってみる。受付の事務員にそう礼をって帰りしなだった。「そういえば、三橋さん、知ってる? 日高さんのうわさ」アル中なのはこの町のみんなが知ってることだろ。軽口を叩くと、眉を顰めて口に手を添えてこういった。「違うのよ、日高さん、どうも若年性の認知症みたいなのよ、昨年の夏祭りのとき喧嘩かなにかだったかでウチの夜間の緊急外来に運ばれてきたでしょ、そのときに診た内科医が問診でどうもおかしいってレントゲンを撮ったの、そしたら日高さんの脳の収縮がね典型的なそれになってたんですって」三橋は驚きを隠せなかった。

10時25分、大別ケーブルテレコムの代理店をすぎた先にある駐在所についた。デスクに狭山巡査長が座っていた。この間の夜、日高と蒼ヰと三人でファミレスで呑んだとき、同級生のなかで狭山は一番のバカだ。あいつは警察組織にぼろ雑巾みたいに一生こき使われて人生を終える、自前の脳みそも主体性もないただのロボットだ。いっていた。「こんにちは、狭山さん。急にすみません。漁協の日高、見ませんでしたか」日報かなにかの書類を書いている狭山は日高という言葉を聞いて奥歯をぐっと噛み締めたようだった。「知りませんねえ。警察はそんなに暇じゃないんでねえ。ま、日高さんの暴行事件だとか、放火事件だとか、殺人事件だとかいえば、警察も重い腰をあげて捜索でもしますけどね」本気とも冗談とも受けとれるような後味の悪い返事をもらう。県警からの強盗放火殺人の凶悪犯罪は駐在所の狭山は知っているのだろうか? ではお邪魔しました。いって駐在所を立ち去ろうとすると狭山は意外なことを口走った。

10時26分、「日高さん、漁協のだれそれの私物とか書類とかなにか、勝手に持ちだしたりしてませんか?」心臓が止まりそうだった。三橋は頭が混乱した。つい先ほど日高が漁協の金庫のなかを漁ってなにかを持ちだした事実は、こ一時間前に漁協にきた県警の刑事さえも知らぬことだ。「どういう意味合いのことでしょうか?」三橋は狭山巡査長に訊き返した。「いやね、ぼくは日高くんのことはね、幼稚園からしっているんですよ。そりゃもうずっとね。ぼくは日高にずっといじめられててね。殴られたり、あと随分と小遣いをせびりとられましたよ。いや、それがいまになって恨めしいとかじゃないんです。日高くんね。盗癖があるんですよ。三橋さん、癖っていうのはね、治らない宿痾ですよ。嘘つきとか病気の典型でしょう。三橋はドキッとした。狭山は話をつづける。性犯罪者なんかチョコレートを舐めるような感覚で女を山のなかで犯して殺すわけだから、そういう癖ってのは貧乏だからとか金に困っているとかでやる奴らじゃないんですよ」そういって狭山巡査長は笑った。狭山の目は笑っていなかった。三橋は日高と一緒のとき彼がコンビニやスーパーや居酒屋で手頃な物をくすねたり万引きしたり、漁協の事務所で備品やだれかの物品を猫ばばする現場を見たことがなかった。それに盗癖と金庫から特定の書類を持ちだすことは「癖」と「計画行為」でモノが違う。もし、警察に一理があるとすれば、県警の刑事が追っている犯人像のほうがいまの日高には当てはまる。荒屋の実家に住む保険金目当ての放火殺人で母親殺し。か。でもそれは三橋からみればあまりにも現実離れをしていた。それは県内全域にまたがる凶悪事件なのだ。三橋は頭をふって駐在所を後にした。漁協に戻ろうと思った。

10時31分、漁協への戻りしなの、国道沿いから段々になってたつ丘の団地の小さな児童公園のベンチで一服しているときだった。安藤真帆からのラインだ。浮かんでたの、ダッチワイフだって。^_^; _| ̄|○  三橋はそれについて2分考えた。ようやくわかった。沖合でひと溺れたのは安藤真帆の見まちがいだったということか。なんなんだ。伝言ゲームかこれは。

10時35分、公園の下をとおる湾岸通りを背が低く小太りの自転車に乗った狭山巡査長がとおりすぎていった。巡回だろう。後ろ姿をみる。と下駄を履かせたら少年漫画にでてくる万年巡査長みたいだな。牧歌的な平和な魚村だなここは。

10時36分、子ども用のブランコから漁港全体がよく見渡せた。ん? あれは日高じゃないか。漁港の倉庫の脇の酒の自動販売機をけっとばしている。笑いそうになった。昭和のテレビじゃないんだから叩けばなにかがでてくるってもんじゃないだろ。また酔っているのか? まったくなにをやってるんだ日高は。そこへ狭山巡査長が駆けつけてきた。それからすぐに揉み合いになった。三橋の胸に、虫の知らせのような、嫌な予感がはしった。

10時45分、全速力で走ってきて息があがっていた。両膝に手をつけて中腰で顔があがらない。声がでない。肺が針が刺すようにいたむ。からだが熱くほてっている。できればアスファルトの上に大の字になりたかった。真冬の一月のさなかだが十分に気持ちが良いだろう。だが、そんな場合ではなかった。漁港の倉庫脇の酒の自販機の前で、日高と狭山巡査長がなぐりあいの喧嘩をしていた。駆けつけたときにはすでになぐりあっていた。途中からだったし、日高はすでに酔っぱらっていたかもわからない。おそらく自販機をけっていた日高を注意した狭山巡査長に、日高が、三橋や蒼ヰにいったようなことを狭山巡査長当人にいったのかもしれない。むこうは警官だ。口実は器物損壊でも公務執行妨害なんでも引っ張れる。漁協の市場のほうで仕事をおえた人らが日高の声に気づいたのか、またぞろ集まってきた。

10時47分、喧嘩は一方的だった。最初は、まるで繁殖期の猿ように顔を真っ赤にさせた狭山巡査長が警棒を、おもちゃのように振りまわしていた。警察学校で警棒の正しいつかいかた訓練などはしたことがなかったのだろか? あったとしても頭に血がのぼって興奮しすぎて飛んでしまったのだろか? 喧嘩なれしている日高は、右に左にシュッシュッとプロボクサーのように狭山巡査長の攻撃をかわして警棒を腋の下に挟んだ。それから日高は動かなくなった狭山巡査長の腹を思いきりけりあげた。狭山巡査長はまるでボイルされたエビのようになって、白くひび割れたアスファルトの上に丸まった。日高は笑って警棒の紐をぶらぶらさせて見せる。警官と漁協員の喧嘩のたかみの見物をする野次馬はさらに囃し立てる。すると、その場が凍りつくような恐ろしいことが起こった。狭山巡査長は左手を、拳銃のホルスターのボタンにかけたのだった。雪男のような体格の日高は、小さなバンザイをしたまま固まった。指にぶら下がったさ警棒だけが、柱時計の振り子のように左右に揺れていた。プロレス観戦のビッグタイトルでも見ていたかのようだった野次馬連中も、息を殺してその場に固まった。1分だか2分だか、あるいは10分だかわからない。その場にいる全員の時が止まった。日高が、野次馬のひとりの三橋に気づいて、目でなにか合図をしているようだった。だが三橋は恐怖でからだが動かなかった。頭のネジが外れて、脳の回路がショートして焼き切れた警官が拳銃に手をかけているのだ。狭山巡査長の血走った真っ赤な目は、その場の状況を把握しようとしたり分析したりしようとする人間の目ではなかった。ただひたすらに獲物をねらう飢えた獣の目だった。野次馬の外で、おい110番だ110番。さけんでいる。

10時48分、「おい、狭山さん! それはだめだって!」三橋は、野次馬の円のなかから一歩進みでていった。「狭山さん!」倒れこんだ狭山巡査長の足元から三橋はもう一度さけんだ。その後すぐに三橋は、おれは間違ったことを口走ってしまったのかと後悔することになった。それから狭山巡査長はゆっくりとホルスターのボタンをはずして、拳銃を握りしめた。三橋は拳銃に関しては素人でよくわからないが、あの拳銃はすでに安全装置は外されたのだろうか? 野次馬はざわめいた。ちょうど鋭角な二等辺三角形をひいてたつ形で配置された三人が、真冬のアスファルトの上に釘付けになる。あまりにも晴れ渡っていて、まるで極北の白銀の世界の上に立っているようだった。するといきなり日高が叫んだ。「仮性包茎! 仮性包茎! 包茎ボーヤ!」三橋はキョトンとした。子どもの頃の狭山巡査長のあだ名かなにかだろうか。「日高ぁ、ちっくしょうめ! テメェ昔からいつもおれの前でごちゃごちゃうっせえんだよ!」大声でさけぶ狭山巡査長の手が震えたその瞬間だった。日高が、ぶらさげていた警棒を掴みなおして狭山巡査長の拳銃を握る手首を強か打った。ぐはっ。間髪入れずに日高は手首を抱えて苦しむ狭山巡査長の腹を思い切り蹴りあげる。それからアスファルトに転がった拳銃の銃砲を握って、倉庫の屋根の上へ向かって、ピッチャーのように振りかぶって投げた。拳銃は、倉庫の向こう側まで飛んでいった。ゴボ。と小石が沼に沈んだような鈍い音がした。「ばかやろう、どこへ投げてんだよ! 拳銃だぞ!」狭山巡査長は日高に向かっていく。「知るか、おまえの悪行は漁港のみんなが目撃者だ、ばか」それからはもう子どもの喧嘩だった。空気が変わったのを楽しむように野次馬らはわいわいと騒ぎ始めた。銃が沈んだ水深はどれくらいあるだろうか。いやそれ以上考えるのはバカバカしくなってやめた。国道のほうからパトカーのサイレンが聴こえてくる。パトカーのサイレンの音だって漫画じみて聞こえた。

10時49分、漁協のドアを開けた。「蒼ヰちゃん、ちょっときてよ、タカさんが荒れちゃってさ、駐在の狭山さんと揉めてるんだ。殴り合ってるんだ」蒼ヰに事務所を安藤に任せ、「バトンタッチしていいか」喧嘩をしている自販機を指さして蒼ヰを日高のところへ向かわせる。

10時50分。「あ〜、マジ疲れたわ、真帆ちゃん、コーヒー入れてください」ハイ。安藤真帆と事務所では目は合わせないようにしている。五坪ほどの事務所なのに常に連絡はライン(それだって時間差)でやり取りしている。それが祟って、さっきの海難事故のニアミスの件があったのかと思うと笑えてきた。ピンクのパンティ萌えた? )^o^( またきた。後でじっくり見るよその中身もね。返してタスクを切る。顔をあげて安藤真帆を睨む。パトカーのサイレンが小さくなっていった。結局、狭山巡査長がパトカーに連行されたような形になったのだろうか? どの道、大勢が見ている前で民間人に拳銃を構え、魚港の底に拳銃を落とした件では、市民の前では赤っ恥を上司には始末書をかかされるに違いないと思った。

11時00分、か細い文学青年の蒼ヰがプロレスラーのような巨体の日高を担いで事務所に入ってきた。と同時に三橋の携帯がなった。野外にでて、でんわにでると、さっきの県警の刑事からだった。日高さんはそこにいますか? いますが、ちょっと立て込んでます。じつはですね、顛末を話す。先ほど地元の駐在の警官と揉めて、殴り合ってたんです。先方は東国署の狭山巡査長です。いまパトカーで署のほうに戻られていますからまずそちらの方から事情を聞かれてはいかがでしょうか? そうですか。いやね、聞きたいことは別にあったんですが、事情が事情みたいなので出直します。ではまた。切れた。それについて三橋は考えてみた。まさか日高が県警に追われている? 重要参考人? 三橋にはわからなかった。

11時08分、ドアを開けて事務所に入ると、漁協の事務所で日高は安藤真帆に包帯を巻かれていた。三橋さんどこへいってたんですか? 蒼ヰが訊くので、外。別件で今度は県警から電話だった。三橋は日高の体がこわばったのを見逃さなかった。それから蒼ヰは日高に、なんでまた駐在の狭山さんと殴り合いになったのか知りたそうな顔をしている。それを察したのか日高は話しはじめる「ほら、前ファミレスでおれがいった通りだ。狭山のやつ警察の金をくすねてんだよ。おれが酒飲んで赤い顔して車運転してんのを捕まえらんねえからってよ、お互いさまじゃねえか、そういうのをもちつもたれつっていうんだバカ、もしお前がおれパクったら、お前の上司の一万田に、横領のこといってやるぞっていったら、テメエ警察を脅しつける気か!ってきてさ、腰につけた警棒をぶんぶん振りまわしてくっからこっちから殴ってやったまでよ、ああいうのこそ正当防衛じゃねえのか」安藤は嫌な顔をして日高を見ている。「それにあの野郎、拳銃をこのおれに向け…」三橋がそれ以上いうなという目で制す。それで三橋さんと事務所に来たんですかと蒼ヰが訊く。すると、日高の口から意外な言葉がでた。ああ一度、部屋のチャイムが鳴ったが、あれが三橋かどうかはわからねえな。また二度寝してから、ここ来たからなぁ。嘘だ。三橋はさっき日高の家に行った。部屋の中を隈なく探して、もぬけの殻だった。日高はニヤリと笑って安藤真帆に息を吹きかける。日高の酒の臭いなのか安藤真帆は顔を歪める。日高は嘘をついている。だが嘘をつく理由が見当たらなかった。「それにしても日高さんも日高さんだけど、狭山さんも狭山さんだよなぁ、大人気ないよなあ」と三橋は笑った。「お前は狭山のスパイか? 役所のスパイか?」日高は笑っていうが三橋は目玉をギョッとさせた。「二重スパイだとしたら、面白いですよね〜」三橋は軽く笑って答えてみせる。蒼ヰも安藤もまったく笑えなかった。三橋だって心では笑えなかった。日高は嘘に塗れているのか? 狭山巡査長がいった日高が本物の日高なのか? 県警が刑事が追う日高はだれなのか? 三橋の疑問は深まるばかりだった。だが日高、三橋、蒼ヰ、安藤、それぞれがじぶんのデスクに落ち着く。いつもの農協の姿になった。

12時、スピーカーから、漁協に時報のサイレンが鳴り響く。さっそく安藤真帆は、みなにお茶を淹れ、じぶんの弁当を広げ食べ始める。「いや、ぼくは今日の講演会の先生と会食があるんだ」蒼ヰはそういって安藤のお茶を断る。「日高さん、顔、まだ腫れてますよ。無理しないでください。今日のベイグランドホテルの講演会はぼくが滞りなくやっておきますから」いって漁協をでる。「俺は、顔はなにひとつ殴られちゃいないよ、こりゃ昨日酔っ払ってどこかにぶつけたんだ」日高は笑った。三橋はそういった日高の笑いが気にかかった。昨日、何かがあったんじゃないか? だが昨日はおれと日高は行きつけの飲み屋でサシで呑んでいたはずだった。三橋は首を傾げる。

12時05分。蒼ヰが車に乗り込もうとするのを見かけて。三橋が後を追っていく。「タカさんはおれが運転して会場まで連れていくよ。最初から最後まで蒼ヰとタカさんに任せっきりだったけど、結局このイベント、役所から委託されたおれが企画の張本人だしな」蒼ヰの肩を叩く。蒼ヰは車に乗り込んで出発した。

12時10分、漁協にて。三橋は日高から事情が聞きたかった。だが漁協の事務所では安藤真帆がいる。それに食事に誘って日高の口から本音が都合よく聞きだせるとも思えない。安藤真帆は日高を避けているように感じる。日高が漁協の金庫を漁って中身の書類を持ちだしたのか? いや問題の本質は金庫のことじゃない。日高と幼馴染の狭山巡査長との関係、県警の刑事が追っている土地勘のある人物による県全域で起こる強盗放火事件、河口橋にこだわる荒屋の実家、例えば金庫からもちだした書類とが日高が市街地の市営住宅に移り住んだこととなにか関係しているのだろうか? 三橋の猜疑は深まった。

12時15分、漁協の机にて。三橋は安藤真帆が日高健治を介抱している姿をみてハッと背筋が凍った。もしかしたら漁協の金庫の荒らしは日高の狂言じゃないのか?! 三橋慎也はこの世に存在しない。おれは八年前、関東から流れついた湾岸労働者の田川勇作から三橋眞也に生まれ変わった。八年前にこの町の一杯飲み屋で知り合って意気投合した日高に、その夜、日高の実家の荒屋に誘われて呑んだ。田川勇作の運命はそこから狂い始めた。日高の実家は、日に日に一軒また一軒とクレーンで解体されていくさなかの河口橋建設予定地にとり残された部落の最後の長屋だった。その夜、おれと日高は、日高の実母が寝ている部屋の砂利がむきだした北側でキャンプ用の簡易ランタンをつけて酒を呑んでいた。すると突然、ベニヤだかモルタルだかの壁が崩れてきておれと日高は腰を抜かした。男の白骨死体だった。日高の実母の目につかぬところへ運んで、日高は、こいつはとなりの三橋眞也に間違いないといった。そこで日高健治はおれに向かって頭をさげた。おれはてっきり泥酔いしているのかと思った。だが日高は本気だった。「元大学出の田川勇作さん。お前さんよ、このまま三橋眞也になってくれないかね。おれがこの村の漁協で働かせてやるよ。適当な固まった金ができたら田川勇作に戻ってまた関東にでも逃げればいい。その代わりここの実家の立ち退きはどうにか踏ん張りたいんだ」なぜだと訊くと、お袋がね、死ぬまでこの場所からでて行きたくないんだとよ。もうほとんど歯も抜けちまったし目も見えないんだぜ。こんな土地どこに売ったって二束三文にもならぬ雨が降ったら氾濫するような川べりなのによ。ジジババのいうことはおれにはわかんねえ。「漁協に就職した三橋眞也の力量でこのババアが死ぬまででいい。どうにかならんかね」どうにかっていったってよ。どうにかなるもんだよ三橋眞也なっちゃえばよ。

12時20分、問題は複雑になった。もし日高が狂言でなく、認知症の症状で漁協の金庫を荒らしただけなら。おれは三橋眞也のまま霧岬漁協に君臨することができる。だが金庫の荒らしが、県警に調べられたりすれば、おれが三橋慎也でなく、田川勇作であることが警察にバレるだろう。おれはそのまま刑務所行きだ。蒼ヰにいえば警察に被害届を出すかもしれない。「どうしちゃったんですか、顔、真っ青ですよ」安藤真帆に声をかけられて、三橋は驚いた。「日高さん、どうですか、今日のモテる作家の着こなし術の講演イベント行きますか?」「おう、もちろん。いくよ」腕時計を見て、あと小一時間ある。「向こうか途中で、昼飯でもくいながらでも、車、おれが運転します」言うと「頼む。バカを相手にしたら腹が減ったよ」「そういえば、ホテルのなか鮨屋ありますよ」「漁協の組合員がベイグランドホテルの鮨屋で昼飯かぁ、野暮なこというなあ三橋っちゃんは、はっはっは」安藤真帆は苦笑いをしている。

12時25分、三橋は日高を助手席に乗せて漁協を出発する。

12時30分、車は国道231号を北上している。助手席に座る日高はポケットからサイコロのようなものを出して三橋に見せる。「これ、音楽ポッドのワイヤレスイヤホンフォン。最近のはすげえんだな、でも耳から外れてポロポロ落っこちる。すぐになくなりそうだな、こういうもんは」いいながら耳に差しこむ。新しもの好きだ。本当にボケはじめているのか? 三橋は内心、気が気でなかった。

12時35分、東九州ベイグランドホテルに到着、エレベーターで12階のスカイラウンジにあがった。日高とふたりで鮨屋「酉」ののれんをくぐる。すると、一番奥のボックス席に蒼ヰの姿が見える。日高は気が付かないようだった。日高をカウンターに案内して自分も座る。日高は若大将にいつものように軽口を叩いている。左手を上げると蒼ヰがこちらをみてうなずいた。老作家に背を向ける格好で、今日の握りを注文をした。

13時07分、蒼ヰが会計を済ませていた。蒼ヰのとなりのスーツ姿の老人は背筋を伸ばしてしゃんと立っている。老人は首周りにテレビの芸能人が首に巻くようなネッカチーフをつけている。やはり今日の講演会の講師の老作家に違いなかった。おれ運転じゃないから呑んでいいか。日高がいう。鮨屋の天井を見て考えたふりをする。「お猪口いっぱいだけですよ」日高は徳利を一本頼んだ。

14時00分、東九州ベイグランドホテル三階大宴会場にて「作家美月華樹の、モテる作家のファッション着こなし術」開催してすでに30分が経っていた。三橋は日高を連れて、遅れて会場に入った。日高は酔っ払っていて耳にイヤホンをつけたままだ。三橋と日高は二列前に座った。周りを見ると客足は悪かった。朝から天候は申し分なく外は晴れだったのだが。会場がホテルなので天候は関係ないのか。

14時20分、日高はトイレにたった。三橋は後ろの席の蒼ヰに目配せして席を立った。



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日高健治 / 45歳☟(家は市街地の市営住宅)

後日up予定



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安藤真帆 / 26歳☟(家は山手にある、アパート)

後日up予定




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