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どうコミットしていいかわからない? / 20240712fri(1762文字)

HIU(堀江貴文イノヴェーション大学)を悪く言う記事ではない。
これはじぶんの実力の無さの嘆きだ。

例えば「今までにない新たな形態の劇団、ケータリング劇団を立ち上げたい」と出ると保守派(HIUの先輩方)はこう言う。
「あなたはプロアクティブすぎる。まず自分ができること(手が届くこと)を提示しなければ、だれもついてこない。まずは周りと仲良くなれ」
と言われる。

これは「卵(アイデア)が先か鶏(会社)が先か」の議論だ。

⑴儲かるアイデアがあって起業をする。
⑵起業してから儲かる事業にさせていく。

⑵はないだろうと思うのだが保守派は⑵をやれと言う。
まず起業をしなければ、いくらおれのアイデアはすげえんだ! と豪語してもすべては絵に描いた餅だ。それは一片の小説を書き上げることに似ている。
ぼくはHIUの保守派が理解できない。保守派にも「君のことばは理解ができない」と言われた。ホリエモンは⑴か⑵か。わからない。
オン・ザ・エッジ(ライブドア)を立ち上げたときは⑴ではなかろうか?

「がんばっていきまっしょい」(敷村良子原作の青春映画)の冒頭のシーンで悦子は体育の教師にこう言う。
「ボート部。作りたいんです」
「一人ではできんぞ。五人集めてから来い」
「でも、ボート部がなければ人は集まらんとおもうんです」
「……道理じゃのぉ」
悦子は五人の部員を集めて高校のボート部の青春をかけぬける。

HIU内で学長であるホリエモンに直に進言するのは禁止されている。

これは良くも悪くもヒエラルキーができあがっている。
そう思った。
私は〇〇月よりホリエモンの側近になりました。
私は〇〇月よりホリエモンの金庫番になりました。
とか。

どんどんと、アイデアを出してそれを実現させていこう! という風潮よりも、禁止行為(HIU内でべつの組織への勧誘や、酔った勢いでのセクハラ行為)などの規則での締めつけるメッセージがはるかに多い。

人生一度きりだ。一ヶ月はホリエモンに死ぬ気で張りつく。

だが、どうコミットすればいいのか? 正直わからない。

「劇団の企画にせよ、小説の持ち込みにせよ、まずはホリエモンに起業時の「バランスシート(貸借対照表)」を見せて「これは儲かりますよ」と提示すべきなのか? では彼がやっている「宇宙開発(いつかは黒字転換させるつもりだろうが、いまの所赤字だと思うが)」はどうなのだろう?
劇団設立に必要な機材、資金集めの手法(クラウドファンディング?)、集まらなかったら一人でも演じる? そうやって考えれば考えるほど、「面倒だな。年齢だしな。資金なんかねえよ」と尻込みが始まる。

十九歳のとき、劇団を作ろうと思いついた。ぼくはなにも考えずにニンゲンを集めた。実際に、いろんなところでいろんなひとに声をかければ、ひとが集まった。簡単に劇団ができた。それは、ぼく自身もまわりも、無知な十九歳だったからだ。ぼくは夢中だった。まわりから「おまえ、すげえな」といわれたが、ぼくはそのどこがすげえのかがわからなかった。若さとは無知で世間知らず。ということに尽きる。老人にない時間という資源だけはある。
HIUのなかに無知で突っ走れる人間はいない。そのように感じる。まず「それは実現可能か? 」と提案者の足元を見て、じぶんで足踏みをする。提唱者の顔(色)をうかがい「はて、こいつの頭は大丈夫なのか? 」と不安を抱き「あいつはだいじょうぶなのかな? 」と、となりの人間に探りをいれる。キミたちは「齢」なんじゃないか? キミたちはホリエモンの「多動力」が言っている真逆のことをやっているんじゃないのか。とぼくはいいたいわけだ。おれは四十七歳だぜ。

結局のところ、提案する先(じぶんのボス)の好みでは? つまりこれは「運」なのではないか? ホリエモンが食いつかなくとも、べつの実業家や富豪が「それ面白いじゃん! 」となればいいのでは? と思った。今般のぼくのケータリング劇団なんて25年前のアイデアだ。すでに存在していてもおかしくない。が、なぜまだだれもやらないのか? すでに失敗した集団の例はあるのだろうか? ぼくがやろうとしていることは昔からの浅草の芸人やよしもとの営業とおなじで、じつはなんの新奇性もないモノなのだろうか? 

短歌:

ホリエモン
大学つくり
飽きてきた?
みんなはかれの
ただのファンかな

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