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昨日のスケッチのFB

ほとんど寝たきりだった状態から、リハビリとはいえ9,000文字程度かいた。
かなり読みずらかったと思います。
読んでいただいた方はスケッチとはいえありがたく思う反面もうしわけなかったと思ってます。

自分へのフィードバックなので備忘録です。

❶原稿はやはり縦書きで書きたいなと思った。(ワードソフトをダウンロードしたので使えるのだが、次回から使おうか、まだ迷っている)

❷朝起きて気づいたのだが、今は雑誌記者という職業は、原稿をどこに書く(掲載する)のか? という疑問が湧いた。2010年くらい(あるいはもっと前から)誌面の週刊誌はすべて廃刊になっているはずだ。昨日の書いているときは蒼ヰ記者はワープロに文字を打っていたが雑誌は店頭に並ぶ書物を想像していたが、そもそも存在しないのでは? WEBの記事のみだとしたら(そこまで筆者って考えますよね)? 読者の感覚ってどうなるのだろうかと思った。

❸メインのストーリーラインからブレすぎている。メリットでもあったけど、noteでスケッチをサクッと読み返すと粗がよく見える。本筋(純粋にサスペンス)以外のことを書きすぎている。スケッチだからそれでいいのだが、展開にしろ、
⑴インタビュー形式(宮部みゆきの「理由」)を意識しながら書いていると、どこでインタビューしているのか?『公園にて』が浮かび、インタビューに盛り込み、日高真美の家族構成を描くにつれ、日高真美の子どもの環境(日高家の血)などを盛り込み始める。
⑵日高真美のインタビュー原稿を書きながらインタビューの裏側(ボイスレコーダー)の存在に気が付き、日高真美の本音(本性)を暴くと面白いかなと、また本筋と要らぬ肉付けをしはじめてしまった。それからさらに、
⑶『週刊毎朝編集室の場面』を付け足した。わけだが。

❹キャラのディフォルメの面白さとセリフの説明と描写の省略
ずっとインタビュー記事の原稿をかいていたその途中にて「リアリズム小説の描写に対しての拒否反応」があった。小説をかいていて急につまらなくなった。体力がなくて集中力が続かなかったのか? 書いていた原稿に対して「これは読んで面白いのか?」という疑問に悩まされて筆が止まったわけだが。描くべき原稿はまだあった(日高系の家系図)のだが、急に場面を『東京の某毎朝新聞社本社ビルの週刊毎朝の編集室』にしたら筆が走り始めた。とりあえず、書けるところまで決着(逆にいえば着地点、オチ)をつけようとかき続けたが、どうだったのだろうか。
でも、浦嶋デスクの登場で、二人の会話はかいていて楽しかった。がまた同時に自分は漫画の影響を受けているんだな。と思った。ラノベの会話で無理やり会話の間に描写を盛り込もうとしている自分がいた。すごく悩んだが自分に自然体に「会話はラノベでいいんじゃないか?逆にいえばだが、ディフォルメされたキャラクターの存在の力が背景描写を筆者からも削除させているのでは?」と思ったのである。漫画はそれぞれのスタイル(コメディやギャグ漫画の筆者の作風の違い)で背景が異なる。何が書かれていて何が書かれていないか?小説も同じだと思った。が小説は、読者が文字を積極的に想像(読み取って解釈)すれば、さらに背景(行間)が描かれる糊代があるわけだが。
蛇足の余談。
そういうふうに小説を絵画に置き換えて考えると面白い。色々なスタイルの絵があるように、キャンバスに細やかに細密にびっちりと描けば余白がなくなり、一見手数が少なくみえる荒いスケッチなら解釈する余白が多い。それをラノベと見て古い文壇のような旧体制が「あたかもそれは小説の本流じゃない」ような目線で見下すのか、外観描写を細密にリアリズム小説をかいて古い文壇(大手既成出版社)に評価されようとする(時代遅れだが)のか? 作家固有の抽象画のような近代アートのような新たな純文学と言われる文章を書くのか? それは筆者の道だ。

今作は「王道サスペンス」を念頭に書いているので、❹で冒険するのは控えたい。というよりも今後もずっとできれば控えたい。
だが、ディフォルメの楽しさ。は発見だった。
《ディフォルメのされたキャラとセリフと地の文の質の均衡と配置のバランス》は今後の課題だ。

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