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あなたの日常生活で起きた演劇的な事柄とその理由を教えてください。(改稿Ver.)20230221tue

792文字・30min


二十五年前ぼくは演劇をやっていた。
《演劇的とは何か?》
ぼくはいまだにわからない。
演劇の三大要素は「劇的行為」「観客」「俳優」と言われている。
逆にいえばこれらが揃えばどこでも演劇的な事柄になるはずだ。
ぼくは思うに日常で一般人が一瞬にして観客に変わってしまう事柄が起こると演劇的になる。

体験を二つあげる。

■一つ目は二十五年前。
世田谷シアタートラムで野田秀樹作演出の「農業少女」を観た。公演中に男役は汗だくになって女役の腕をさわろうとした。女役は「うわ、キモ」って顔をして腕を引いた。他の観客の反応はわからなかった。だがぼくは心臓が止まるほど驚いた。公演を観た劇団の演出に訊ねると、演出か異化効果だ。毎公演であれば演出だ。といった。
次の稽古でぼくは稽古場の汚れた床を舐めた。
そこの空間には異様な緊張が走った。

■二つ目は大学病院の心療内科の外来にて。
待合室ではみんな静かに本を読んだりしていた。
入院病棟からやってきた男の子は突然さけび始めた。
「ん?癲癇(てんかん)かな?」くらいの感覚でぼくらは読書にもどった。
廊下の角から看護長が走ってきた。それから体格のいい男の看護師が五人がかりで男の子を羽交締めにした。そこで驚愕すべき現場の声を聞いた。
「トシくん!ここは普通の人がいる所ですよ!静かにしなさい!さもないと拘禁室に入れますよ!」
ぼくたちは一斉に顔をあげた。見て見ぬふりをした人もいた。
ぼくをふくめた大多数は観客になった。

この二つの事柄は「演劇的」であったのか。今でもわからない。
今「劇的」や「非日常」を演出するのに脚本は要らない。
SNSや動画サイトやアプリが発達した今は人類総演出時代だ。
今「演劇的」はどこにあるのか。
「演劇的」に「同時体験」は必要条件なのか?
ぼくにはわからない。
3.11。
ぼくはあの揺れを感じた。
その後の日本は演劇的だったと思う。
「再現的」という点では「小説的」なのか。


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