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ぐるぐる。
久しぶりに本を読めて嬉しくなると感想文を書きたくなるのは、きっと「これおもしろかったから読んで!」と気兼ねなしに突拍子もなく言える身近な人がいないからなのかもしれない……。
みんな私のように暇ではないのだ。
いや、私もそこそこ忙しい。最近になってようやく4週8休、しかも夜勤ありのアルバイトを始めた。
バイト、というものをやるのは学生時代以来だ。
職場にはいろんな人がいる。もう定年が近そうな年配の人もいれば、スーパーロングの髪にピンクのインナーカラーを入れたおしゃれな若い子だっている。
誰がどこに住んでいて、このバイト以外に何か仕事をやっているのかとか、出身はどこなのかとかは知らない。
正社員で働いていればメンタルケアなんていうものをしてくれるもので(「最近どう?」と私はよく聞かれたものだ。)、お互いのプライベートはそこそこ知っていたものだ。しかし、バイトなんでそういうものはないし、第一みんな望んでもない。
仕事上わからないことは聞く、答えてくれる、お礼を言う、仕事終わった?帰れる?と声を掛け合う。そして残業もそこそこにぼちぼち帰る。
もうそれだけで人間関係が完結しているような感じがしている。
この本の主人公もそんなアルバイトをする32歳で、私の好きな山本文緒大先生の長編小説だ。本のタイトルが気になったとか、内容が、というよりは「山本文緒だから」手にしたと言っていい。
プロローグに始まって、478頁の本を2日かけて読み終えた。エピローグを読み終えた時、アウトレットモールでバイトする32歳の女の話だよね?と思い返してしまうほど、なんかもうスリラーな洋画でも見たのかというくらい私の鼓動は早まっていた。
しまいにはエピローグまで読み終えた時「ずるいぞ!」と内心叫んでしまったほどだ。
年々経験を積むのはいいが、どうしても経験を積んだぶん、変な危機管理能力が働いて「これはあぁしないとだめだ」とか「こうしないとあぁなるんでないだろうか」とか、リスクヘッジのためにあれやこれやと考えを巡らせてしまって、ぎゅうぎゅうに狭く苦しくなって結局行動に移せないことが多々ある。
結局どうしたかったんだっけ、ともう一度考える。
料簡が狭いとはこのことか、と読み終えてがっくりきたけど、誰も教えてくれなかったことがこの1冊にはあった。しかも、大々的に、ストレートな言語で示すのではなく478頁をかけてじんわりとやんわりと伝わってくる。
多様性、多様性、と散々言われる世の中で「わかった!もうあなたの言い分んはわかったから!」と正直鬱々としたキブンになっていたけど、こんなにもスッと素直に入ってくるものはかつてなかった。
たぶん一生、いろいろなことに考えを巡らせて、悩みつつ歳をとっていくんだろうなと思い、本を閉じる。
私はずっと自転しながら公転して生きていくのだ。
お盆が過ぎたら夏が終わって、気が付くともう年末じゃん!ってなるのは私だけだろうか。
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