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本日は、お日柄もよく。

友人代表スピーチ、と検索エンジンに入力していたあの頃はもう5年前になる。

高校以来の親友が結婚式をあげるというので、私に友人代表スピーチを頼んでくれた。
それまで何度も友人の結婚式に参列しスピーチというものを見聞きしているはずなのに、いざ自分がやるとなると「あれ、どう話し始めたらいいんだっけ」と右往左往してしまう。
ふむふむ、と色々なサイトのアドバイスを読み込み、エピソードの盛り込み方なんかもそのサイトには事細かに記されていたおかげでおおよそのルールを把握することができた。

あとはどのような構文にすればいいのだろうかと頭を悩ませ、スピーチ手ほどき本を探しに書店をぶらぶらしていた矢先、目に入ったのがこの本である。

私は、書店員さんが作成した手書きのポップを読みこの本がスピーチライターにまつわる話であることを知った。文庫本でお手軽価格だしちょっと読んでみようと思って、またもやレジに並んでしまったのだが、その頃にはスピーチの構文がどうだとかそういったことはすっかり頭から抜けていて(親友よ、ごめん)、この本がどんな内容なのか胸を高鳴らせていたのである。

「本日は、お日柄もよく」

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普段あまり耳にすることがないこの謳い文句は、なんともぱーっと晴れやかな気持ちにさせてくれる。結婚に限らず、なにかしらの一歩前進に背中を押してくれそうな言葉だ。

今日、なにかをスタートするのには絶好の日よりである。


主人公のOL二ノ宮こと葉は、想いを寄せていた幼馴染の結婚式に参列するのだが、10分以上続く乾杯挨拶のスピーチに眠気を催しスープ皿に顔を突っ込んでしまう。顔を洗いに向かった先で、同じく式に参列していた伝説のスピーチライター久遠久美に出会い、彼女の祝辞スピーチに魅了される。
会社の同僚に自分が祝辞スピーチをお願いされたことをきっかけに久遠久美と再会することになり、こと葉は祝辞スピーチの作成を久遠に依頼するが、なぜか彼女の仕事を手伝う流れになってしまう。

仕事小説と称された本書は、序盤から胸を打たれるフレーズたちにうるっとくるし、主人公以外の人々も勤勉で熱い人たちばかりで読んでいて清々しいものがあった。あぁ、やっぱり熱中するものがあるのはいいよね、とうなづける。

私が本書に強く共感し熱中したのには理由があった。
熱中できるものがあるということが、いかに日常を豊かにしてくれるかを私は痛いほど知っていたからだ。

私がかつて後にも先にもないくらい打ち込んでいたもの、それは吹奏楽だ。

そしてその私の親友もまた、そこに所属していたのである。

私は文化部という名目の運動部で年中駆け回り、青春のすべてを吹奏楽に注ぎ込んでいたと言ってもいいかもしれない。
黒い。とにかく黒い。アルバムの中にいる10代の自分はどこを切り取っても日焼けしていて真っ黒で、度々隣に映っている親友もまた黒い。そして2人とも汗で顔はギトギトにテカっていて、だいたい片手にそれを拭うためのタオルを持っている。この格好が私たちの当時のスタンダードなものだ。きっと今どきの女子高生はタオル片手に走り回ったりしないのではないだろうか。
部活に関してはエピソードがたくさんあってここには書ききれないので、また機会があれば書きたい。

小柄な親友が身の丈もあるほどのバスクラリネットを片手に闊歩する姿は勇ましいものがあった。
とにかくストイックで負けず嫌い。時には弱気になることはあるもの、「いや、やらないわけには」と再びリングにあがる。人懐っこく、いつでもノリがいい。男子からも女子からも好かれるような子だ。


プン、という弦楽器の弦がはじくのと同じ音が出したいと、四分音符いちオ音にそのアタックと長さにこだわり続けていた姿が今も鮮明に思い出される。そういう所から彼女の繊細な一面も垣間見える。
もともとの要領の良さと地頭の良さ、そして努力の結果、国立大学に進学を決めた彼女は、当時の校訓にあったように「文武両道」を極めていた。


そんな親友は、自身の結婚式より前にあった私の結婚式で友人スピーチを担ってくれたのだが、予想だにしなかったひとことが彼女の口から出てきた時、私は高砂の上でひとり堰を切ったように泣き出してしまったのである。


「本人も知らないうちに無理をしてしまうことがあります」



自分の傾向を自分で把握するのも難しいが、それを言葉にするのはさらに難しいことだと思う。誰にも言われたことがなかった言葉を投げかけれた時、それが核心を突きすぎていて私は「あぁ、これまできついこといっぱいあったんだな」とやっとそこで自分に気がつくことが出来たのだ。


自分で言うのも小っ恥ずかしいのだが、たいてい私は「努力家」と形容されることが多い。あとは「雑食」とか。これに関していい意味で言っているのかはよくわからない。そこは「好奇心旺盛」でいいのではないかと思う。


話は戻る。親友のその言葉はさすがだなと思うのと同時に、自分でも自覚していなかった一面をそこでようやく気付かされたのだが、話は中学生の頃にさかのぼる。



高校受験を控え、連日夕方から深夜0時くらいまで塾で過ごすという生活が続いていた頃、突如として動悸が襲ってきて、私はわけもわからず自室の床にうずくまった。とにかくドクドクして苦しい。晩御飯の時に親に言おうかと自室でそのままじっとしていたら、今度は手足に力が入らなくなった。

次にやってきたのは眩暈、味覚・手先の感覚障害、さらに尿意があるのに尿が出ないという症状。尿が出ないのには本当に苦しめられた。出したいのに全然でない。何度も何度もトイレへ通い詰める。

とりあえず親に事情を説明して、熱もないのになぁ、と首を傾げられつつもかかりつけに翌日向かった。15分間目を瞑って立つとか、片足で立ってみるとか、なにやらわけのわからない検査を諸々して、小児科の先生はにこやかに「自律神経失調症ですね。あと膀胱炎にもなってます」と言った。「なんか学校でいやなこととかあった?」
先生が私に優しく尋ねる。

「えっ」
と母親が私の横顔を凝視する。たぶん、あまりいい想像をしていなかっただろう。
でも私は本当に心当たりなかったので、「いや別に」とだけ答えた。

薬は飲んでも飲まなくてもいいと言われ、私はよく病気のこともわからなかったので「いいです、べつに」と言って、病院をあとにした。
薬を飲んでも飲まなくてもいい病気ってなんなんだろう、とやや疑問に思いつつも「徐々に症状は落ち着くと思いますよ」という先生の言葉を信じた。

シャーペンが持ちにくいとか黒板の字が揺れて読みづらいとかはあったものの、結局2か月くらいですべての症状はなくなった。

今になって思うと、なにかしらの緊張をずっと抱えていたのかもしれない。それがまさに私自身が「知らないうちに無理をしていた」ことだった。

そんなアクシデントがありつつも受験を乗り切って無事高校入学を果たしたのだが、今度は家庭崩壊が始まった。
あぁ、こういう家庭崩壊ってドラマの中だけだと思ってたけど実際にあるんだなーとしみじみ思いながらも、色々とつらいことは多かった。


それでも、私が高校3年間乗り切れたのも親友を含む友人と吹奏楽があったからだと今になって思う。きっと親友はその時の「無理しがちな」私の記憶があったのだろう、これから一緒に人生を歩んでいく夫にストッパーの役割を託したのだ。



そういう私の人生の中でもかなりハードだった時期に支えになってくれた親友のために私は本書を読み、色々な記憶を思い起こしながら、ペンを握った。


感謝の想いを言葉にするのは難しい。結局言葉にできなかったことばかりだったが、なんとか便箋2枚におさめ、私はスピーチマイクの前に立ったのであった。


スピーチの極意 十箇条

一、スピーチの目指すところを明確にすること
……

十、最後まで、決して泣かないこと。

――本書より


千葉の、かわいらしいディズニーテイストの式場で私は便箋を読みあげた。


しかし、このスピーチ十箇条の最後の項目、「泣くべからず」を、序盤からさっそく破ってしまうことになったのは、今となってはいい思い出である。





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