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第3回 第二章 (『ノラら』堀戸から見た世界 ) ~開発するには研究が要る・・・超新蝶の恣意的運動~

『ノラら』
第二章:堀戸から見た世界
第三回



「チョウ順調?」

超なのか蝶なのか、それともチョーなのか、
音だけでは判然としないが、
何にしろ僕が研究している
超新蝶のことに違いは無い。

「研究している」には、
語弊があるかもしれない。
この会社に研究部的なものは存在しない。
ただ僕が独自に
仕事の合間でやっている
超新蝶の飛翔方法の研究のことだ。

開発するには研究が要る。
ただ生憎僕はその成果を
会社から求められたことは無い。


「蝶でいうところの
 胴部分にある筋肉の再現は
 MEMSで出来つつあるけど、
 アクチュエータに
 電磁力系のものを使ってるから
 重量がこれ以上軽くできなくて。
 今の百分の一にはしないと
 飛翔力は十分でも見た目や飛び方に
 飄逸(ひょういつ)さが不足してしまう」


僕は昨日とほとんど同じ回答をする。
今までには、劇的に変化した回答を
用意出来たこともある。
もう一匙の閃きがあれば、
今度こそ完成したという名回答が
実現するのだけれど。
卓球をする時間が無くなるから、
そんな蛇足は胸の内に仕舞っておく。
紗英さんが、僕の回答に感想を述べる。

「そうなんだ。よく分かんないけど、
 確かに動力みたいなものの起点が
 羽の付け根にある従来型のやつは、
 どうしたってロボティックになるから、
 ロマンティックには欠けるだろうけど、
 あれはあれで、
 浮世離れしててカッコいいよね。
 堀ドン考案の蝶は
 どんなふうに飛ぶんだろう」

さっきから紗英さんは椅子に座って
コンバースの靴紐を丁寧に結び直している。
蝶には関係ない返答が
打ち返って来る時もしょっちゅうだが、
今日はボールが
ラケットの芯を得たような感想が返って来た。
どちらにしても、
毎度ほとんど違う返答が
僕の前に放り投げられる。

片足ずつ紐の手入れをしている彼女の
血色よく磨かれた爪に反射した白い艶が、
テキパキと動くのを
僕はぼんやんりと眺めていた。
すると急に彼女は手を止めて、
僕のほうを見遣った。

「今日でこの会社に来て一年になりました」

なんと返したらいいのか戸惑い、
その言葉に何も反応せずにいると、

「なので今日ぐらいは
 手加減のほどよろしくお願いします!」

と力任せな声を発し、
ひとり愉快そうに胸を鳴らして笑った。
紗英さんは立ち上がると、
ラケットの青いカバーを取って、
赤いラバー部分を右手で撫でながら
東の窓へ近づいていき、
一ヶ所だけ窓を開けた。
そこから外を眺めながら、
横にしたラケットを両手で持ち上げて、
ポキポキッという音と共に
大きく背伸びをする。
今度はそのまま左右に傾けて脇腹を伸ばし、
次に体を元の位置に戻し
左右へ捻りを加える。
僕はその様子を視界の端に感じながら、
クッキーの空缶に盛られている
ボールの中から
割れていないものをいくつか取り出して
左ポケットに詰めていく。
こういったルーティンを、
僕は心地良いと感じることが出来る。
紗英さんがここに来てから
もう一年になるのかということにも、
同じような心地よさを感じた。


もうそろそろ、
こんなルーティンを
あっさりとぶち壊してくれるものが現れる。
その出現時間は日によってまちまちだ。


すたん、すたん、すたん。
階段を気怠そうに上る靴が
地面を擦る音が近づいてくる。
無言でスマホを凝視しながら、
卓球の部屋に入ってくると、
すでに脱いで手に掴んでいた
上着のユニフォームを、
近くの椅子へ適当に投げ捨てた。
その気配に気づいて後ろを振り向き、
吉岡さんの存在を捉えた紗英さんだったが、
彼の不機嫌そうな、
普段のテンションの数十分の一程も
ないような雰囲気を察してか、
「ハロー」という
聞き慣れた呼び掛けもせず、
ラケットのラバー部分を愛でながら
卓球台の位置に就く。

「機嫌良くないなら
 来なくていいのにね。
 ここに来たら私と堀ドンに
 直して貰えるとでも思ってるのかなあ」

数日前にも同じようなことがあったときに、
紗英さんが僕に
耳打ちしてきた言葉を反芻した。

軽くラリーをしたあとゲームを開始する。


「じゃあ私から」
という軽やかな声が室内に響き渡る。
「よし、今日こそ勝ったるで~」
スマホから目を離した吉岡さんは、
紗英さんの声に呼応するようにして
急に調子付いた声になる。
首を肩に擦り付けるようにして
関節をゴキゴキいわせて、
自分なりに準備体操をしている。
そこへ不意打ちを狙うように
紗英さんが持っていた球を打ち放った。
唐突に始まった試合に
吉岡さんの右腕だけが反応して打ち返す。

右腕以外の関節は、
試合が始まると同時に
突然関節としての機能を放棄してしまう。
透明なギブスで
全身を覆われているような
ぎこちない動きをする吉岡さんが
フルスイングで打った無回転の球は、
あっさり卓球台を越えて
コートからアウトしていった。

「あ~も~、またや!
 油断してもてたわ~」

吉岡さん達が
ゲームに参加するようになってから
もう九ヶ月が経とうとしている。
紗英さんが「よっしゃっ!」と
意地悪そうな笑顔で
軽くガッツポーズを取って、
部屋の隅まで飛んで行った球を拾いに行く。

「足は肩幅より若干広めに広げて、
 落ち着いて
 腰から下を使って打つ感覚です」

僕はもう何十回と言葉を変えてみては
吉岡さんにアドバイスをしている。

「分かっとんねんな~、
 紗英さんやりよるなぁ。
 急に来るから力任せに打ってしまうねや。
 それでも急に来た球やのに
 よう見て打ち返せたんやから、
 俺も大したもんやろ?」

吉岡さんは右手だけで素振りをしながら、
足幅だけ僕に言われた通りに
広げてみせる。
サーヴは二回交代で、
基本的には先に五点取った方が勝ちだ。
また、五対四となった場合は
相手との点数差が一点しかないので、
先に二点差で引き離した方が勝者となる。
ただ、サーヴミスをしてしまうと
その時点でアウトとなり、
得点に関係なく
次の人と交代しなければならない。
吉岡さんは一度だけ
スマッシュのようなものを決めて
一点は勝ち取ったが、
結局自身の二回目のサーヴの時に
打った球がネットに掠(かす)ってしまい、
あっけなくアウトとなった。

「紗英さん強なってるよな~」

と感心しながら、
扇風機前に移動していく。
二人とも自分で点数を
記入しに行かないので、
僕が黒板まで行き結果を記入する。
僕の手だけが
チョークのせいでいつも
白い粉を吹いている。
指先に付着したチョークの粉を
叩きながら卓球台の前へ行き、
今度は僕が紗英さんと差し向かう。


僕らの打ち合う様子に反応して
「おっしいなぁ!」
「よっしゃ!次、俺。
 え?まだ一回休みなん。
 なんのいじめやねんそれ」
等と言いながら、
いつもの調子付いた吉岡さんが
顔を出し始めたのを皮切りに、
三人は卓球台越しに
ゲームを遂行するため一致団結し始める。

「なんでエアコン無いねん」

と昨日と同じことをぼやきながらも
蒸し暑さに塗れた体で卓球に興じる。
そこへ僕のスマウォが
「十五分前です」と、
昼休憩の残り時間を告げる。

「はいよ」
「よっし、終わろかぁ」

僕等はそれぞれに球とラケットを
定位置に戻し、
部屋を後にして階段を下りる。


踊り場辺りで吉岡さんが、
卓球を始める前と同じように
不貞腐れた顔をして僕らに話掛けてきた。

「もう二日後やろ?
 ビオンホールでのライブ」

「はい」
「うん!楽しみだね」

僕等はそれぞれ吉岡さんの問いに返答する。

「ええなあ、行きたかったわ。
 何回も言うてまうけど、
 なんで俺も誘ってくれんかってん」

今週の金曜日の夜に、
シエナビオンホールで
Peel Of Temporationという
バンドのライブが開催される。
今年は全国三か所でしか
ライブをしないので
貴重なチケットになりそうだ。

僕はもう何年も前から
彼らのライブを鑑賞している。
元々僕はDeadhead Screwという
アーティストのライブに
よく行っていたのだが、
そのライブの前座として出ていたのが、
ピールだった。
それを切っ掛けに
彼らの音楽をよく聴くようになり、
単独ライブにも
足を運ぶようになったのだ。

今回のライブには
紗英さんも一緒に行く予定だ。
数ヶ月前に、
僕が紗英さんに貸した
十数個のカセットのうち、
ピールのカセットに痛く感動したと、
興奮気味に紗英さんが言うので、
近々ライブがあるから
一緒に行ってみるか尋ねると、
彼女は二つ返事で誘いに応じたのだった。

勿論吉岡さんが
僕にも優る音楽好きだということは
知っていたので、
ピールの話をしたことがあるのだが、

「なんかあいつらの近頃の音楽って、
 ど真ん中過ぎて俺無理やねん」

と言われたことがあったので、
ライブに行くことも伝えず仕舞いで
終わってしまったのだった。



【YouTubeで見る】第3回 (『ノラら』堀戸から見た世界)


【noteで読む】第2回 (『ノラら』堀戸から見た世界)

【noteで読む】第4回 (『ノラら』堀戸から見た世界)

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