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ずっと傍にあるもの

月に一回ある2連休。
実家に帰ってきました。
来月は2回くらい2連休あるといいなあ

実家は驚くほど静かで、レースのカーテンが涼しく揺れている。真っ白なレースには、椿だか牡丹だか芍薬だかの花が散りばめられている。

夏目漱石「こころ」を読み、大学で親しくさせてもらっていた先生を思い出し涙を流す。
夏目漱石の作品はこの「こころ」の他に「三四郎」「坊ちゃん」「ケーベル先生」「夢十夜」を読んだことがある。ほとんど代表作しか読んだことがないのだが、「こころ」と「三四郎」は筋がきちんとしていて爽やかな印象がある。でも内容は「爽やか」と言っては失礼なほど深いところにあり、それを考えるのが又たのしい。

なぜ筋がきちんとしていると感じたかと言うと、私はこの半年、川端康成ばかり読んでいたからだ。
川端康成で1番最近に読んだのは「片腕」。
片腕を読んだことがある方なら分かると思うが、あれはとても非現実的かつ芸術的な作品である。(と、私は思う。)

川端康成の作品はエロティシズムとグロテスクと芸術的な美しさがあると思う。
エロの要素で言えば「眠れる美女」が強く、グロテスクで言えば「禽獣」が強い。芸術的な美しさというのは個人的には「白い花」がたまらなく好きだ。
(ここで追記として記したいのだが、エロ、グロテスクというのは私なりの褒め言葉です。エロいグロいといえば普通は良くないように聞こえてしまうかもしれないが、私は「エロティシズム」という言葉を使うのに抵抗がない。また禽獣をグロいという3文字で括ってしまうにはあまりにも言葉足らずですがお許しください)

しかしそうした川端康成の世界観にばかり触れていたので、夏目漱石の世界観に久しぶりに触れてみたらその違いに驚いた。夏っぽく、爽やかで、夏目漱石の神経質な性格が現れているのだと感じます。

歳をとるごとに言葉の美しさというものをひしひしと感じています。
そして明治文学が好き。大学で「あーこういう作品が好きだなぁ」と思ったものは全て明治のものでした。
あと少し話は逸れるが、明治くらいの言葉遣いも好き。今の大阪弁というとキツイ感じがしますが一昔前の大阪の言葉は(地域にもよると思いますが)今よりも親しみやすく、かといって汚いわけでもなくなんだか好きです。

ではでは、本と論文とを照らし合わせて考えを巡らせる時間に戻ろうと思います。


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#近代小説 #文学 #小説 #エッセイ #思いを巡らせる #日記 #備忘録

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