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年うつる

湧きたての白湯にふーと息をかけながら、壁に貼ったカレンダーに目が留まる。この1週間に大晦日とお正月があったのだ。それはつまり2022年から2023年の分かれ目を越したということだ。因みに令和は3年目ぐらいからもう、自信を持って数えられない。

年末に病院が一斉に休みに入った途端、息子が発熱した。
晩ごはんを食べるまでは至って普段通りの様子で、友達とはしゃぎ合いふざけ合い、落ち着かない仔犬みたいに駆けまわっていたのに、帰宅してお風呂に入った途端しゅるしゅると元気がなくなった。風呂から出るとしぼんだ風船みたいな声で、もう寝る…と言って、自分でベッドに入っていった。
あんなに動いていれば疲れて当たり前だろう。珍しく漫画を開かずに布団を被った姿を見届けて、私は残りの家事を片付けに戻った。

昨年は夫が休める時期を待って、正月に両親に会いに行った。料理上手だった母が作った雑煮が、具も味も変化していたこと。整っていた冷蔵庫の中が、醤油やタレの滴りで汚れ、野菜室は入りきらないほどの葉物野菜が押し込められていた。私は別れ際に母をきつく抱きしめた。家を出る順を最後にして、誰もいない母の台所に立ち、冷蔵庫や流しや電子レンジに向かって頭を下げた。
母を見守ってくださいと言いながら。

それなのに。
私はこの年末になっても自分の両親に会いに行こうとも、電話をしようとも思ってはいないのだった。正確に言うと、父のいる所へ行きたくないのだった。あの年明けから師走までの間に、私達の間にそうならざるを得ない事が数多起こったからだった。いや、そうならざるを得なかったのは娘の私の側だけなのかもしれないが。

帰るつもりはないので、父が送って来た蜜柑のお礼の電話はしなかった。
帰るつもりはないので、父が送って来たLINEを開かなかった。
もう迷惑かけん、こっちから連絡せんと連絡してきた2週間後だった。

拭いた皿を棚に戻しながら、「ひどい娘」という文字が波になって心に打ち寄せてくる。分かっています、ちゃんと傷にしておきます。だから今は背を向けさせてください。
私は今は亡き祖父に向かって伝えている気になる。

用事を終えて寝室に戻ると、息子が寝苦しそうにしている。半分起きているようなので声をかけると寒いと言う。手に触れるととても冷たい。足首から下がとても冷たい。これから熱が上がるサインである。
深夜になってやはり熱が跳ね上がった。手遅れかも知れないけれど自分もマスクをする。夫は帰宅後にそのままソファで寝てしまっていた。ひどく疲れているようだったので掛け布団を持ってきて掛ける。私が脱水対策の麦茶を水筒に入れたり、氷枕を出したりするのに音をたてても、夫は起きる気配がない。
息子はサッカー選手なのにポカリが飲めない。味が嫌いなのだと言う。
「ポカリ飲めないの致命的…、私なんて水を与えられない時代でスポーツしてきたのでポカリ大好き人間なのに。」
ソファの後ろに立って声に出して言ってみたけど、夫は起きない。

ほんの少し離れていただけなのに、寝室に戻ると息子が泣いていた。私の顔を見てどんどん泣き出す、わんわん泣きだす。あらあらあら。背中をさすりながら熱を測ると39度を超えている。左目の横の皮膚が赤い。急激に熱が上がった為だろう。お茶飲もうねと身体を起こして水筒を口に運ぶと、今度は気持ち悪いと言ってトイレに駆け出し吐いてしまった。
いよいよ脱水が心配になる。やっぱりポカリが飲めないのは致命的なのだ。彼の今後の為に飲めるに越したことは無い。私はポカリの鬼になろう……元気になったらね。ついでに甘酒も飲める身体にしよう、飲む点滴だからね。

・・・

それから丸三日ほど息子は高熱が続いた。開いている病院にお世話になり診断が下り、結局これ飲むしかないのだと、家にあるのと同じお薬を頂いた。息子の友達など方々に謝りの連絡を入れたけれど、皆さん体調に変化なく帰省の予定などを無事過ごされたみたいで安堵した。

そういえば、発熱の二日目にこんなことがあった。
解熱剤を飲んでいても38度からなかなか下がらないので、さすがに私も不安になっていた。とにかく口にできる水分を取らせるだけが出来る事のような気になる。ポカリの鬼はどこかに行ってしまった。

午前中、息子が寝入った隙をみてさっと犬の散歩に出た時のこと。家の近くの緑道を一周して帰って来ただけの短い時間だったのに、戻ると息子がまた泣いている。呼んだのに誰も来てくれないと言って、声を上げて泣いている。1日目に続きこんな風に泣く姿を見るのは久しぶりだから、不謹慎だけど懐かしくて観察目線になってしまう。
保育園の時はこんなだったな。いつからわーんて泣かなくなったのかな。

聞けば、怖かった痛かった言う。
本人の証言を聞くと、大きな燃える石が猛スピードで飛んできて、息子は必死に逃げようと体が動いたらしく、現実のベッドの脇に積んであった漫画につまづいて頭を打ったというのである。ほらここにぶつけた。ママもどーんて音聞こえたでしょう?家があんなに揺れたから。そう泣きながら訴える。泣きながらだからしっかりとは聞こえなかったけど、確かそう言ったと思う。
混乱しているのはきっと高熱のせいと思う私は、話を合わせながらもう大丈夫だよと声をかけた。
燃える石が飛んできたら怖かったよね、でももう大丈夫、ママがいるよ。

その日の夜中。
まだ熱の下がらない息子の横でうとうとしていたら、突然パチパチと瞼の向こうが明るくなった。部屋の灯りが点いたのだ。ん?と思って起き上がると隣の息子がいない。声が聞こえてそっちの方向を見ると、部屋のスイッチのそばで息子が立っている。泣きながら私を呼んでいる。
ここは石が飛んでくるから危ないから逃げようと言っているのだった。

(昼間のあれ(夢)??同じのをまた見たの?)
夜中に外に飛び出していきそうな勢いである。私も慌てて、でも話についていった方がいいと感じてそばに行き、私の手をひっぱって階段を下りる息子についていく。
降りると夫は再びソファで眠っている。私たちが降りて来たのにも、息子が泣いているのにも気が付いていないまま、深く寝入っている。因みに私と夫は発熱もなく、状態は良好である。
息子はもう一つ下の階へ降りようとする。
できるだけ下がいいの。怖いから。危ないからと泣くのである。

1階はここよりもっと寒いよ。大丈夫、ここで守ってあげるから。
ソファが占拠されているので、座布団に息子を抱えたまま座り、暖房をつけて落ち着くのを待った。もう腕からはみ出してしまう身体を抱え、膝で揺らしながら背中をトントン叩く。この感じは久しぶり。幼子を抱く愛しさを思い出す。暫くはしがみつくようだった腕の力が、次第に柔らかく抜けて来た。緊張がとけてきたのだろう。
母:お水飲む? 息子:首を振る
お茶にする? 首を振る
ポカリにする? 身体ごと強く振る
机の上に、父が送って来た蜜柑が一つ残っていた。
母:蜜柑食べる? 息子:少し考えてから、こくりと頷く。

私は息子を膝に乗せたまま、蜜柑の皮を剥いた。
丁寧に薄皮を剥いた一粒を、口元までゆっくり運んだ。いつからかこんなこともしてやらなくなっていたなと思いながら。
二日間ほぼ食事をしていない息子が、ポカリを拒む息子が、熱の引かない身体のままで真夜中に蜜柑を平らげた。これで君は生きる道を選んだよ、とたいそうな事を耳元で呟く。父が箱で送って来た蜜柑。不義理な私ではなく息子の喉を潤して、この子の身体に取り込まれていく。

”ひどい娘”という文字がぐにゃり曲がったまんま、波に運ばれて私の膝の下まで流れつく。
帰らないのではなく、帰れない正当な理由を膝に抱いている。
ふとそんな考えが頭をよぎった。
ー本当にそう思います。私はずるく、ひどい。
濡れた文字は水に溶けてバラバラになり、正座した私の両足に嫌にぺたりと貼りついた。
息子が小さな寝息を立て始める。胸の鼓動は落ち着きを取り戻し、力の抜けた身体は私にずんと沈んでくる。どうやら、眠りに落ちたようだ。

***

白湯を飲んでいるのは、今年は白湯を飲もうと決めたからだ。すっかり快復した息子と今年の目標をいくつか立てて紙に貼りだしてある。白湯はそのうちの私の目標の一つ。ふるさと納税で求めた南部鉄瓶があるのだから。

大きく燃える岩が飛んでくる夢と、貼りつく文字を引き受けながら、2022年から2023年の分かれ目の日々を過ごした。
白湯をすすりながら、暫くカレンダーを眺めていた。




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