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命を守ること、心の平衡を保つこと

 
 彼が猫を拾った。子猫。しかも黒猫。
雨の降る寒い日に彼の職場にやってきて、小さく丸まっているところを保護したとのことだった。
 私はそれを聞いて呑気に喜び、彼の家にはすでに先住の雄の黒猫がいて、私の家にも同じく同性の黒猫がいるから、まーた黒猫か〜不思議な縁だあなんて言いながら、うきうきして帰った。
でも、対面した時、子猫はタオルに包まれぐっすり眠っていたのだけど、一目見て、何だか様子がおかしいと思い、触ってみると、全く動かず、ぐったりとしていた。普通、どれだけ人になれていたって、警戒するものではないか、とか、物音に敏感になるものではないか、すっこんで逃げられるかな、なんて瞬時に考えたけれど、全くそうはならなかった。
弱りきった体のすぐそこに骨があり、肉球も体も冷たく、どう考えてもこれは、危ないという状況だったと思う。低体温になっていると思い、慌ててお湯を入れたペットボトルをそばにやり、体をさすり、暖房器具を近づけ、温かいミルクを無理やり、少しずつ口の端から哺乳瓶で流し込むと、ごくりと小さな喉が動いたのが確認できたのでホッとした。
 病院に連れていきたくも、近くの病院はすでに閉まっていて、最短でも翌朝だった。時々虚ろに目を開けるがすぐに閉じるし、口は固く閉ざして、何もかもの動きが停止している状態だった。かろうじて流し込んだミルクが腸を動かしたのだろう、少しだけ便を出したが、これが果たして、最後の気力なのか、良い兆しなのか判断しかねたが、とにかく温め、様子を見続けるしかなかった。

どうしよう、もしこのまま、朝になったら死んでいたら?

たまたま私が仕事が遅出であったことや、状態に気づけなかったこと、雨が降っていて寒かったことなど、全てがこの子の命をこの状態にする運命で、抗えないことだったとしても、もし、もし、このまま、死んでしまったら、と思うと苦しくて、申し訳なくて、涙が溢れてきたのだった。

私たちは、この子を死なせるために拾ったわけではないのに。

でも、最悪の結果になったとしても、この子の最後を見守るために選ばれたのだと思うしかないのだった。

夜は二時間おきに様子を見て、ペットボトルの中身を入れ替え、体をさすり、温め直したミルクを少しだけやった。幸いミルクは口に入れたら飲んでくれたし、息はあった。お腹が呼吸に合わせてゆっくり上下するのを見つめていると、また泣けた。

そして翌朝、まだ太陽も昇っていない時間に彼が見にいくと、なんと子猫は、しっかり立っていたのだった。
昨日までの衰弱は嘘みたいに、でも、少しだけよろよろしながら、立っていた。

鳴き声はまだ弱々しかったが物欲しそうにするので餌をやると、喉を詰まらせる勢いでがっつき、ペロリと平らげ、満足したらまた眠ったのだった。体に触れると温かかった。

野良猫の生命力には本当に驚かされる。
あれだけ辛そうだったのに、こんなに元気になるなんて。いや。よかった、本当によかったと、心の底から安堵した。

その日は私の仕事が休みだったので、念の為午前中に病院に連れ行った。体重は525gしかなく、おそらく生後一ヶ月半は経っているだろうに、平均より50〜100gは足りないのだった。
点滴や目薬の処置をしてもらい、とにかくご飯を食べさせてやって欲しいと言われた。猫風邪の疑いもあるらしく、目やにもあるので目薬をもらった。

連れ帰るころには随分動きが機敏になっていたけど、寝床をコロコロ変えながら眠り、餌を食べ、また眠っていた。暖房器具に最接近していたため、焼けてしまうわ、と突っ込みながらも、それを切ってしまうとまた凍えてしまうため、なるべく危険ではない距離を保てるように温度を調節し、後は餌をやるときと様子を見る以外はそっとしておいた。
二日目になるとすこぶる元気になっていた。
まだひょろひょろはしているが、あちこち動き回り、わたしたちにも擦り寄ってくるのだった。順応性の高く、賢い猫だ。

ちなみに拾ったその日は新月の日だったのと、占いの依頼を受ける日でもあって、なんとなくの直感だけど名前はルーンにした。呼ぶときはルーくんだったりルーだったり。最初は雌だと思っていたが、病院で診てもらうとなんと雄とのことだった。
また男の子。これで私の周りには個性豊かな黒猫ばかりが三匹もいることになる。あっちもこっちも黒猫。そして彼の家の周りに棲む野良猫にも黒猫(おそらくあれも雄)がいるため、本当に、ここは魔女の家ではないかと思う。
黒猫に囲まれて生きていく人生を、私は一度だって想像したことはないけど、こうしていてくれたら嬉しいことこの上なく、何とも不思議な縁だと思った。

一見ひ弱で、脆弱で、ちょっとでも人間の持つ力で雑に扱えば一瞬で壊れてしまいそうなか細い存在であっても、生きようとするタフネスは凄まじいものだ。

生きることってこんなにも本能的なのか。
その強さを目の当たりにしたら、わたしという人間の方が脆いような気がした。
ルーはあきらめていなかったのに、私は死を受け入れる準備をしていた。生きていて欲しいけれど、死んでしまった悲しみを受け入れることで与えられる心の衝撃から耐えたいがためのさまざまな言い訳を考えてしまっていた。

希望だけを抱くと、絶望した時に起き上がれなくなる気がしたから。希望と絶望は半分ずつで心の平衡を保とうとしていたのだった。理解のある人間の在り方みたいなものを選んでいた。それがいい子のあり方かのように。なんて浅はかだろうと恥ずかしく思った。

だけど今、元気でいてくれることを本当に嬉しく思うし、長生きさせられるように育てていきたい。私たちは新しい命を守る責任を担ったのだから、先住猫も含め、そういう日々が、これからも続いていくのだから、もっと、楽しく、幸せに、生きよう。


病院にて。これから幸せになろうね。

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