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生きるから生まれてくる言葉

 久しぶりの2連休を楽しくすごくために金曜日の仕事は心を清く保って務めようとしたがだめだったのだけれど、それでもなんとか仕事を終わらせ、念願の休みを過ごすだけとなった喜びをどうにか抑えつつ、彼の運転で深夜から高速を走らせ、京都へ向かった。

 深夜から京都へ直接行ったわけではなく、淡路島のSAで車中泊をするために深夜から出発したのだった。子どもの頃から、家族で旅行に行くときは必ずと言っていいほど車中泊をしていた。凝ったことはせず、ただ、寒さを凌いで眠れる毛布があればそれでよく、寝るためだけの車中泊。淡路の最後のSAには大きな観覧車があって、深夜はライトアップもなく真っ暗なのだけど、ひんやりとした夜風にさらされてひっそりと存在しているのを眺めるのが好きだった。家族みんなが深夜テンションだったので、わざわざ寒いのに海を眺めに行ったり、お土産売り場やフードコーナーを練り歩いてみたりして、それに満足したら仮眠する程度に眠るのがいつもの流れだった。
 今回もその頃と同じく観覧車を眺めようと思ったが、思いのほか寒かったので、道中のコンビニで買った軽食をお供に、ノンアルコールの檸檬堂を飲みながら過ごし、眠るときには一人一枚の毛布と、持参していた湯たんぽを彼に渡して眠った。
 彼は車中泊をしたことがなかったらしく、車中泊のイメージがまるでキャンプのようなものだったため、(そういうおしゃれでガチな車中泊をしている人もいるが、私たちのやるべき車中泊は違うので)何度か軌道修正した。(ランタン買わなくちゃ、と意気込んでいたのを止めた)
 車の中で眠るとき、最大限に快適にはしているつもりでも最高の快適になるわけではなく、多少の窮屈さや寝心地の悪さは避けられないのだけれど、それでもいつもと違うってだけで楽しく、面白く、多少の寝不足はワクワクでカバーできるから、なんてことはなかった。
 そうして朝の5時ごろにトイレに起きると、駐車場は同じく車中泊をしている車で一杯になっていた。大型車の快適さはうちの軽に比べたら全く違うだろうけれど、ファミリーカーのだいたいが子どもの乗っている車だろうから、幼い頃の私のように、ワクワクして観覧車を見たのかもしれないと思うとなんだか嬉しくなった。

(深夜、あの観覧車に乗りたいと母に言ったが、もう運行時間はとうに過ぎていて乗れないと言われ、すごく残念だった日を覚えている、でも、その旅行の帰りにはライトアップされた観覧車が動いていて、無理を言って家族で乗ったのだった。狭くて風が強くてよく揺れて、怖かったのだけれど、海の向こうで神戸の街がきらめているのがとても綺麗だった)

 そしてついに京都へ向かうために淡路SAを出て、確か7時半ごろに出発をしたはずだったが、目的地の銀閣寺へ着いたのは10時半ごろだった。混み具合が半端なく、途中で吹田SAに寄ったのもあったが、とにかく人人人。紅葉シーズンであることを、道中の鮮やかに色づいた紅葉とイチョウの木で思い出した。

 銀閣寺をさくっと観光したあと(銀閣寺、とても空気が清涼で静かで木々たちも上品に伸び、気品あふれる場所でした。哲学の道が二人して気に入り、ここを毎日通れるのいいなあなんて言い合いながら歩きました)、お目当ての本屋巡りへ。今回の旅は観光ではなく本屋巡りだった。最目的地は恵文社さんだったので、まずはそこへ。
 佐原ひかりさんとも会えるかも、という話だったけれども、今回は予定が都合つかず見送った。でも、おすすめされた恵文社さんはもう、店の構えから既に素敵で、もう絶対いい本があるのが確定しており、一歩入った瞬間に、
(あっ、終わった。)と思ったのだった。これは、もう、出られない。
瞬時にこのお店の良さを嗅ぎ取った私は、脳内でさまざまなことがよぎった。

 財布の中身はいくらだったか、あと回りたいお店はどこらだったか、一体何時になるのか。
 
 そんなことより本だ、本。とにかく目の前の本を見る・・・!

 彼もまた同じような気持ちだったのだろう、私たちは入店してすぐに、単語みたいな会話を二、三度ラリーしたのちに、自然と散り、各自で本棚を見回った。

 私と彼とで棚の周りかたが違い、彼は順番に一つ一つの棚を見るが、私はまず、ざっくり棚を見回ってから、気になる棚を重点的に見ていく。だからお互いに見ている棚見ていない棚があったり、あっちにこの本が、ここにはこれが、と時々すれ違うときに情報交換をしたり、手に持っている本があれよあれよという間に増えていき、これ買おうかなそれともこっちにしようかな、それ俺も読みたい、おっじゃあ買うわ、ここやばいね、ほんとやばい、とか言い合っていた。
 熟考した末に決めた本をレジに持っていき、満足な買い物をした反面、あまりにも良過ぎて、色々置いてあり過ぎて、ちょっと疲れていた。幸せな疲れ。こんなに情報量のおおい本屋見たことない。本当によかった。いい本に出会う時のビビッと来る感じが何度もあった。これだ、これが読みたい、ああこんなところにいたのね、しーーーあーーーわーーーせーーーー!と心の声はずっと喋り続けていた。

 そうしてほくほくな買い物の後はぷらぷらと歩いてアリバイブックスとマヤルカ古書店に行き、またここも素敵な古書店で、そこでもまた本を買った。徒歩でこんなに本屋さんがあるだって、もし京都に住むならばここがいいと思った。

 満足な買い物をして互いに満たされたので、帰りはちょっと早めに出ることにしたがまた渋滞に巻き込まれた。空腹の極みになったまま淡路SAに辿り着き、そこのレストランでガッツリ食べて帰ってきた土曜。現実味がなくてふわふわしていて、楽しくてしょうがなく、でも疲れはちゃんと溜まっていて、早々にお風呂を済ませてすっこんだコタツで爆睡し、そのまま朝を迎えたのだった。日帰り旅行のいいところは、次の日が休みだとその余韻にいつまでも浸れるということだ。
今日は彼も私もひたすら読み、今年のボージョレーを買ってきて飲み、読み、今に至る。

 買った本たちはどれも素敵なものばかりで、読みたかった歌集を見つけて嬉しくて抱きしめたあの瞬間、私はやっぱり短歌が好きなんだなと思った。全然うまく作れないけれども、もっと作っていきたいと思ったし、文筆家としてやってけるようにもなりたいし、とにかく、生きていないと言葉で表現はできないのだと思い、もっとちゃんといきたいと思ったのだった。

 自分の好きなものを作っていけるようになりたいと思った休日。とことん楽しんでやりたい。

 楽しすぎるのと、まだまだ読みたいのとで日記が走り走りになっている。まあいいか。楽しかったのよ。まだ楽しむのよ。それじゃあまた。

ちなみに買った本たちです。彼と私でたくさん買いました。まだ買えたな、と今更思っています。半年に一回くらいはいきたい、恵文社。


私の選んだ本



彼の本。

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