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「家族のため」のあとが長すぎる:私の実家の片付け

私の85歳の母は、青森で一人暮らしをしています
実家に帰省するたびに、少しずつモノを捨てています。
先日帰省した時にも片付けをしました。
その時に感じた話です。


「家族のもの」と「もらったもの」


少し前に片付けたのは、4.5畳の「物入れ」。
モノが積み上がり、部屋の奥まで入ることが出来ませんでした。

その次に帰省した時は、「小屋」と呼んでいるもう一軒の家(笑)。
昔使っていたタンスなんかが入っています。
タンスの処分までは出来ませんでしたが、中身をかなり捨てました。

私や兄が小学校や中学校の頃に使っていたものが、大量にありました。

賞状は10枚ほども、丁寧に「額」に入っていました。

作文や絵のコンクール、弁論大会、英語のスピーチコンテスト。
兄も私も優秀だったのね、、田舎の優等生(笑)
母の編み物の先生の免状も。。
額には「ガラス」が嵌っていて、捨てるのも大変でした。

私の娘は賞状をもらってくることもなかったけれど(笑)、
もらって来たら飾ったかしら?

母はモノを飾るのが好きな人です。

私や兄が美術や家庭科の授業で作った作品は、
今もリビングの壁に飾られています。

従弟が美大時代に描いた大きな油絵。
私や兄が海外旅行で買ってきたお土産。
父が陶芸教室で作った作品や、趣味だった写真。
家族で旅行に行った時の、熊の木彫りやこけしなどの民芸品。

食器棚の上の段には、手つかずの引き出物が今もたくさん入っています。

また「小屋」には、大量の食器が食器棚に飾られています。
そのほとんどが引き出物です。

家族のもの
もらったもの

こうしてみると、母が「自分のために買った」ものは、
ほとんど無いんですね。


「死んだらやる」のは本人じゃない


先日の帰省の時。

古いボックス型の洋服掛けが廊下の隅にずっと置いてあるのですが、
兄が「何が入ってんの?」
と。

洋服掛けは、
「俺が中学校のときのもの」だと。
ちなみに兄は還暦を過ぎました(笑)。

中には、5年前に亡くなった父の服と、母の昔の服が入っていました。
母は、臭いものにフタをするように、扉を閉めようとしました。

「(母は自分ではやらないので)私たちがいるときに捨てようよ。」
と私が言い、中身を出し処分しました。

ボックスは空になりましたが、
大きいので、すぐに処分することは出来ません。
せめて「(家とは別の)小屋」に移動させよう。」
と、私が言いました。
そうしないと、また中にモノを入れてしまいます。

しかし、母はがんとして聞きませんでした。

「私が死んだら、家ごとつぶすから良いのよ。」

それやるの、私たちでしょ?
「死んだあと」ほど、無責任な話はないのです(-_-;)

皆さんご存じとは思いますが、、

家が古くて「どうせ壊す」場合も、
今はリサイクル法で「全て分別」が基本です。
家のなかを「空」にしないと、取り壊しは出来ません。


家族のあとが長すぎる


私も兄も、40年も前に実家を出ています。
もう世話すべき家族はいなくなって、40年も経つのです。

もらってきた賞状や、授業で作った作品を飾ってくれたのは、
愛情だったに違いありません。

家族を大事にしてくれたことには、とても感謝しています。

でも、「そのあと」が長すぎる

過去のもの、使わないもの、「好き」でもないもの。
それらが大量にあることに、何も思わなかったのでしょうか。

家族への「愛情」を引きずっていたのでしょうか。

面倒だっただけ、ですよね。
だって、賞状は小屋にあったんですから。
歳をとると全てが面倒になりますから、
捨てる「判断をする」こと自体を、放棄します。

あるいは風景になっていて、何も感じなかった。


「気付ける」うちにやろう


毎日は連続していて、気付かないことはたくさんありますよね。

老化は確実に、ゆっくりと訪れます。
心にも体にも暮らしにも

長く生きるとは、老人でいる時間が長くなること。

今のうちに過去のものは処分し、「自分のため」のものを選択する。
家族から「自分」に軸を切り替え、後半戦に備えたいですね。

自分の「これから(後半戦)」を今なら、自分で作れます

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