「こんなの要る?」私の実家の片付け
50代は自分の家の片付けの前に、難題があります。
「実家」の片付けです。
自分の家とは全く異なる困難さがありますよね。
今回はお恥ずかしながら、私の実家の片付けの現状をお伝えしようと思います。
飾り物オンパレード
私の実家は、父が3年前に亡くなり、84歳の母が一人暮らしをしています。
母は物を「飾る」のが好きな人です。
パッチワーク、刺繍、編み物、裁縫といった手芸が趣味で、
いたるところに「作品」が飾ってあります。
リビングの壁には、和風のパッチワークの隣に、ファンシーな洋風のパッチワーク。
私が中学の授業で作った、花束をモチーフにした木彫りの壁飾り。
その隣には兄の海外旅行土産の、50センチほどもありそうな銅板のプレート。
いとこが美大在学中に描いた油絵が大きな額に入って飾られています。
リビングに鎮座するサイドボードには、北海道旅行のお土産の「熊の木彫り」や、「こけし」「赤べこ」の置物。
兄が中学の工作で作った、白と黒でペイントされた犬の車輪の付いたおもちゃ。
サイドボードの上には貯金箱が7個。
サイドボードの手前には私の娘(母にとっては孫)の写真の入った写真立てがおかれています。
テーブルの上にはレース編みの敷物。
イスの座布団もパッチワークです。
テレビの台の上には、おそらくは兄が昔買ったクラッシックカーのプラモデル。
父と二人で行った台湾旅行でツアーの案内のまま民族衣装を着せられ写真を撮られ、プリントされた絵皿。
そしてその隣には、おそらく兄が要らないからと送ったマガジンラック。
トイレには、私が小学生のときに作ったフェルトのマスコット人形。
陶器の入れ物に入ったアロマキャンドルは、私が30年前に「いい香りがするよ」とあげたものです。
廊下には、亡くなった父が生前趣味だった「写真」を大伸ばしにしパネル化したもの。
玄関には、父が工作した焼き杉のシューズラック。
それから、父が生前趣味だった陶芸の作品が棚に50個くらい並べてあります。
こう書くとヤバいですね(笑)
いやー、物を作るのが好きだったのね(笑)
悪い事ではないですよ。
父も母も器用でした。
おかげで私もかなり器用なほうです。
洋服を直したりは全く苦なく、絵を描いたりもしますし、料理も得意です。
それが普通だと思って来たので、わが娘がボタン付け一つまともにできないことに心底驚いたのでした。
教えない私が悪かった?
というか、興味無さすぎで、そこから違うんですよね。
とにかくめんどくさがる。
モノ作りが楽しい家庭に育ったのは、私も良かったと思っていますよ。
父も母も、作る一つ一つのクオリティは高い。
父の作った陶芸作品も、本当に上手です。
でもね、使えないんですよ。
何度も何度も見ましたよ。
もしかして使えないかなと。
花瓶だけでも20個はあります。
その20個を使えないかと何度見たことか。
華道をやっている人にしか使えない。
ちょっとお花を部屋に飾りましょ、という気軽さで使えない
重厚な花器ばかりなんですよ。
あと、抹茶茶碗。
うち、お茶やってる人いたっけ?
これっておかずも入れられないし、ご飯も入れられない。
入れられたとしてもすんごい重いんですよね、、
話を戻しましょう。片付けの話でした。
全てが思い出のモノ
実家の片付けがなぜ難しいか。
そもそも必要ないのにあるのだから、
捨てる理由が見つからないんですよね。
そして、お分かりの通り全てが「思い出のもの」なのです。
キッチンの吊戸棚(幅約3メートル)を一掃した時
大きな鍋や蒸し器、大きなサンドイッチケースなどが出てきました。
確かに昔使っていました。
大きな鍋は、山菜を山に取りに行った後、大量に湯がいていました。
蒸し器は、お菓子作りの得意だった母が、蒸しパンや、もち米を蒸して餅を作ってくれていました。
サンドイッチケースは、運動会の朝早くから場所取りをして、家族みんなでお弁当を食べました。
押入れを一掃した時
布団が何組も何組も出てきて「なんで?」とその時は思ったのです。
ある時古いアルバムが出てきました。
親戚大勢で、すぐ近くの海で録った写真がありました。
母は9人兄弟で、女兄弟はみんな仲が良かったのです。
写真には、母の妹、姉のそれぞれ夫婦と子供たちの計11人。
私たちも合わせて15人が映っていました。
15人も泊まるだけの布団が必要だったんですね。
全てが思い出に紐づいてしまうのでした。
次回へ続く
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