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16世紀のポーランドの貴族にとって、農民のようにビールを飲むのは家名を傷つけることだった。

読書会用ノート。ブローデルの本を読んでいて面白いのは、ミクロとマクロの視点が交互にリズミカルに使われることだ。歴史上のディテールは重要だが、さらに重要なのはディテールの位置づけである。

ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』第3章 余裕と通常ー食べ物と飲み物 飲み物と《興奮剤》

本章で取り上げられる主なネタは、水、ワイン、ビール、蒸留酒、リンゴ酒、チョコレート、茶、コーヒーそしてタバコである。どんな文明においても、贅沢な食品、刺激剤、興奮剤は必要とされ、食糧事情が悪化している時は何らかの埋め合わせを試みるー16世紀から17世紀にかけて全世界を席捲したタバコはその一例だ(タバコの服用時期は各国政府のタバコ禁止令と専売公社の設置によって明らかだ)。

ワインの普及は地域の気候に影響を受ける。ぶどうの木の生育が北緯49度(パリ郊外)を北限とするからだ。そしてヨーロッパ人がワインを米大陸に持ち込んだのは16世紀である。一方、東方にはイスラムの壁でぶどうの木が普及しずらかった。ドイツなど北部では南欧のワインが大量消費されー16-7世紀のドイツの版画には酒で酔いつぶれた農民が描かれていることが多いー、ワインの大規模流通を促した。同時に飲酒癖がいたるところで広まる。

但し、ワインにも価格の高低があるが、ビールと比較するとワインの方が金持ちの飲み物で、16世紀のポーランドでは貴族が農民のように自家製ビールを飲むと「家名を傷つける」と危惧した。更にフランスやイタリアで銘酒が確立されたのは18世紀であり、ローカル間での相違が拡大するにつれて贅沢品として扱われる。

ビールは古代バビロニアにもあったが、小麦やライ麦など複数の穀物を材料としての醸造が続き、ホップの使用開始は8-9世紀とみられ、麦芽はその後の時代である。地域はぶどう畑以外である。イギリス、ネーデルランド、ドイツ、ボヘミア、ポーランド、モスクワ大公国など。フランスでもビールは飲まれたが、18世紀後半のパリにおける消費量(ワイン対ビール)は13.5対1、19世紀前半で6.9対1である。暮らしにくくなるとビールの消費量が増えるとの現象が、ビールの位置を語っている。そしてビールの対抗馬としてリンゴ酒の存在があった。

蒸留酒は12世紀頃に起源があるが、ブランデーは薬用として発達し、16世紀はじめから薬用以外への適用がはじまった。17世紀のブランデー商人に上流階級の名前をみることができ、儲けの良い商材であったことが分かる。特にドイツ、ネーデルランド、ロワール河以北といった北の地域でブランデーは普及し、ワインよりも少量で高価なため、輸送上のメリットを享受して内陸部での生産拠点をつくった。尚、18世紀、戦闘に先立って蒸留酒を飲ませる習慣ができ、ブランデー製造は軍需産業にもなったー刺激剤、カロリー源であったからこそ、国家はここから財源を得るようになるし、アメリカ大陸では新しい欲求をえさー蒸留酒ーに政治的優位性を獲得する材料として使われた。

このように4世紀に渡り、アル中の絶えざる増加がある一方、衛生的に問題のないの提供を可能にするシステムは常に頭痛の種であった。上水道の整備がされるのはロンドンやパリで18世紀に入ってからだ。地方においても計画があったが、実際に普及するまでに相変わらず「水運び」という仕事が存在し続けた。

(トップの画像はヴェネツィアの貯水槽井戸の立面図で、雨水が細かい砂を半分固めた間(3)を通り、不純物を除き、中央の井戸(1)に湧き出るシステム。水に囲まれた都市であってさえ、ブレンタ川の水を毎日、舟で運んできた。この井戸だけでは生活で使う水量には不足したのだ)

チョコレート、茶、コーヒーの普及においても「薬用」の性格が使われた。興味深いのは茶は、ぶどうの木のない国で好まれたという点だ。

<分かったこと>

この30-40年ほど、大量生産の発想によって生み出されてきた食がさまざまなアングルから問い直されている。豚の生ハムやクラフトビールへの人気は、それらの流れにある。ただ、大量生産の発想以前の食とは、例えば第二次世界大戦以前の食ではなく、実は15-18世紀に経済的に豊かな人々が選択しなかった食なのだ。19世紀の産業革命による影響で喪失したものではない。かつて金持ちが愛でたとは言い難い領域にあった食の発見だと言える。最近、ぼく自身のイタリア地方経験史を思い返しているが(以下)、イタリアの新しいライフスタイルで求めているものが何なのか、ブローデルを読んでいて気付くことがある。




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