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18世紀、欧州に広まった新しい贅沢が、植民地を下にみる動機をつくったとも言える。

読書会メモ。一読すると矛盾を抱えた説明と思えるような箇所を目にするのだが、歴史の記述において矛盾がない方が疑わしいということを、ブローデルの本を読みながら思う。

ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』第3章 余裕と通常ー食べ物と飲み物 食卓ー贅沢と大衆的飲物

必需と余裕が交差する領域ー例えば、肉もーは複雑だ。前回までのような小麦や米の話をするのと難しさが違ってくる。どのような基準でどう評価すればよいか見えにくいからだ。贅沢は対象となる時期・国・文明によって違った顔をもってくる一種の階級闘争だが、それが社会に弾みをつけてきたのも確かだ。社会学者・経済学者・精神分析家・歴史家が共に観察し議論すべきテーマである。

ヨーロッパの食卓に関していえば、凝った料理の登場は15世紀のイタリアの富裕な都市である。これは中国(5世紀)、ムスリム(11-13世紀)と比較して極めて遅い時期である。そして16世紀のフランスも美食の国になっていく。その頃、金持ちの家で食事専用の広間を設ける習慣が作られる。これまでは大きな台所で食事をしていたのだ。

とはいうものの、パリで料理の流行を得意がる現象がみられたのは18世紀前半以降とみられる。ブイヨンがブルジョアから古臭いと侮蔑されるのも、この時期だ。同時に食事の儀礼が確立されていく。

食卓の道具はスプーン1本とナイフ一丁それに皿。これが16世紀パリの豪華な食卓である。肉も指で食べていた。個人用フォークは16世紀はじめにヴェネツィアから広まっていったが、欧州で一般化したのは18世紀中ごろだ。この食事の作法とフォークの普及に代表される新しい贅沢な習慣が、植民地の住人を下にみる契機をつくったともいえる。

肉は、肉が贅沢だとなっていくに従い、塩漬け肉は貧乏人の食べ物になっていく。特に牛肉ではなく豚肉の塩漬けが貧乏人の肉摂取源として扱われるようになる。18世紀のブルゴーニュで新鮮な肉は回復期の病人の贅沢品であり、高価であったので、農民の家で消費されることは少なかったとの記録もある。

しかし、これもあくまでも一つのエピソードであり、地域によっては異なった。なぜなら生活水準とは、常に住人の数と利用可能な資源との関係だからだ。一方で、この肉を贅沢とみる文化があるから、ヨーロッパ人は中国の凝った料理を評価する目をもてなかったのでもある。これは明らかに文化差の興味深い点で、中国では乳・バター・チーズのような乳製品も一貫して無視しており、中国での牛はあくまでも肉を得るためでしかなかった(ヨーロッパでもバターは北であり、南の油はオリーブ油)。尚、魚をもっともたくさん食べたのは日本である。

また、胡椒や香辛料が交易の材料として引用されやすい。1648-50年、アムステルダムの東インド会社において胡椒は全体交易の33%を占めていた。だが、1778-80年では交易品目中4位の11%に落ちている(1位は織物の32%だ)。贅沢品から日常消費に移行した表れかどうかは断言しづらい。因みに、フランスで18世紀、香辛料の次にきた交易品は香料である。

最後に砂糖。サトウキビはベンガル湾の原産で、ササン朝ペルシャやビザンチンでも砂糖はハチミツと競合する医薬品だった。それが15世紀末から16世紀にかけ、欧州や南米にたどり着き、食品として利用されるようになる。ただ、砂糖の生産には大量の労働力と高価な設備が必要で、砂糖をつくる地域は自給自足ができない。食糧のための土地が確保できないのだ。

<わかったこと>

ラグジュアリーの認知は文化圏により異なるのは、食材と料理についても当てはまる。それとラグジュアリーとは流行に関わるものなのだ。庶民が手にすると富裕な人の手から離れるのだが、その次にまた金持ちの手に戻る。20世紀後半における高級塩漬け肉の存在はそれをよく物語っている。また、砂糖の生産がいかに奴隷制の象徴となるかも知った。栽培と生産のロジックからいって豊かな食生活など望むべくもないのだ。

来週15日、イタリアの地方再生に関するオンラインイベントを行うが、ブローデルから学んでいることが活用できそうだ。



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