見出し画像

誰がための、受験?~教育虐待から考える無抵抗な子どものココロ

中学受験期に「父から暴力」14%、「母から」13% 教育虐待調査について

【記事】
 日本女子大の大学院に通う浅見里咲さん(33)が、同大4年生だった昨年8月、卒業論文の一環で民間リサーチ会社に委託し、インターネット上でアンケートを実施。東京都内に住む18~39歳の男女543人から回答を得た。

 このうち、中学受験を経験していた133人に「成績の推移や勉強の取り組みに関連して、暴力を振るわれたことがあるか」を尋ねたところ、13.6%が父親から、12.8%が母親から、暴力を受けた経験があると答えた。「人格や人生を否定されるような発言を受けたことがある」は、父親からが10.5%、母親からが14.3%だった。

 また、塾や家庭教師から「わからない問題があった時などに、嫌な態度を取られた」経験があると答えたのは26.3%。「人格や人生を否定されるような発言」「成績や勉強に関連した暴言や暴力」についても、それぞれ1割以上の人があてはまると答えた。

 アンケートでは、中学受験における厳しい指導の必要性についても尋ねた。その結果、中学受験においては一般的な学習よりも「厳しい指導が必要」と考える人が多かった。

 調査した浅見さんは「『中学受験って厳しいものだよね』という認識自体を変える必要がある」と話す。自身も中学受験のため小4の頃から大手学習塾に通い、後から振り返って「教育虐待だったのでは」と思うような場面も経験した。大学卒業後、「自分と同じ思いをする子どもを減らしたい」と学習塾に勤め、主に中学受験生の授業や進路指導を担当。18年に出産し、「我が子の幸せを願う一人の母として、親の心境がよくわかるようになった」という。その後、母校の日本女子大に学士編入し、今回の卒論を書き上げた。

 浅見さんは、社会で自己責任論が高まる中、「子どもの将来の成功は親にかかっているというプレッシャーが強まっていると感じる。親が躍起になり、子どもが苦しむ背景に、そんな社会全体の課題があるのではないか」とみている。

(出典:朝日新聞社)
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6506977

【考察】
 息つく暇もない中学受験の子供たち。それは、父親が会社でハラスメントにビビりながら働いていることと同じように思う。
また、母親が輪を乱さないよう、ママ友たちとうまくやっていこうとする姿ともかぶる。
子供たちは朝から夕方前までは学校。それからの塾。友達にも気を遣い、塾の講師にも気を遣う。イジメにもあってるかもしれない。
好かれたい、好かれなくてもいいにかかわらず、顔色を窺う毎日。
これじゃあ、子供なのに一番神経を遣う会社の中間管理職と同じ。上から下からも来る要求にサンドイッチされてしまう。あとは誰かに食われてしまうのみ。
360度、24時間、回りから管理され、干渉されたら、言いたいことややりたいことはもう吞み込むしかない。
溜飲が下がらぬまま、それを放置。すると、どうなるでしょう?
みんな、胸の奥でつっかえて溜まった言葉や気持ちを材料に、いつの間にか心の奥底に爆弾が作られていく。いつ爆発するか?爆発規模もわからないそれを家族みんなが持つことになる。
そして、爆発! しかし親がイライラして爆発しようが、子供は…。黙っている子もいれば、黙っちゃおれず親へ爆発を仕掛けることも。そんな事件もニュースで耳にする機会がある。
しかし、そのとき、決まって子供は「負い目」を感じています。「なぜできない、なぜできない!」と。責める親はそんな子の心を知らぬまま。子供は「できない」というネガティブな気持ちが大きく育ってしまう。
そして、できないことがあるたびに、さらに「自分はダメだ」と自分で自分に烙印を何度も押してしまう。

ここで親御さんに訊いてみたいのです。親であるあなたの心の爆弾のスイッチを押して爆発させたのは、本当にお子さんですか? 
実は、親であるあなたが自分で押してませんか?
そうなる引き金となったのはお子さんかもしれない。でも…スイッチを押したのは?

 そうなってしまう前に、こんなふうに考えたら楽ではないでしょうか?

「子供が生まれてからまず最初に認められたいのは、他でもない、親であるあなたです。
 その先の人生では、親であるあなた以外に認められたくなりますけど…」
「親から『やりなさい!』と言われたことには子供は反発して、やりません。逆に『やるな!』と言われたら、なぜか逆反発心から子供はやりたくなります。不可解なもので」
「勉強も食べ物や人間関係と一緒で、好き嫌い・得意不得意があります」
「ハードルを高くしているのはあくまでも子供に要求する親や学習塾側。それを乗り越えられないからと、我が子に敗者の烙印を押すのはお門違い」
「子供は放っておいても、このままじゃいけないという気持ちはあります。(中にはそういう気持ちがない子供もいますが…)
 それは、受験勉強だけとは限らないのです。いい学校を出なきゃとも限らないのです」
「どれだけいい学歴であろうが、その先はいろんなことで苦労はする。みんな苦労します。親の皆さんなら、解ってるはずですよ」
「いい学校に入ろうが、突然、子供は今までの勉強とまったく関係ないものに興味を抱くことがあります。果ては、仕事にしたいとも思い始めます。
 そのときはどうぞ、止めないでください。子供のやりたいことを笑わないでください。子供は自分で調べます。ものにしようとやれるだけ頑張りますから」
「勉強とは、この先、生きていくための選択肢を増やすもの。それは学校や受験勉強だけでなく、興味を持ったものを掘り下げるのも立派な勉強です」
「子供は親のロボットではありません。人です。親であるあなたを満足させたり悦に入るために頑張って生きているわけではありません」
「子供は親であるあなたのために生きているわけではないはず。なぜって、子供もこれから親が居なくなっても長い自分の人生を生きていかなきゃいけないんですから」
「親が子供の道を作るべからず。子供の手で開拓させよ! 親がやることは、その子供の道をキレイに舗装するくらいでいい」

 しかし、この考え方はすべての家族、すべての親子関係に当てはまるわけではありません。世の家族には、それぞれの問題があるゆえに。
「なにを無責任にペラペラ書いて、そんな無責任発言を…」とお思いになるでしょう。決まって、さまざまな哲学や言葉は、その人による経験・解釈・思考・引き出しからのもの。
しかも、自信を持って考えを述べているわけではないのです。
それはなぜか? 答えがないからです。
「こうなんじゃないだろうか?」と想像を働かせ、理詰めをしていき、言葉に変換する。
なので、どんなに人の耳には説得力のある聴こえの良い言葉を述べても、危うさがあり、不安も心配もありながら執筆しているのがホントのところなのです。
ただ、そう思いながらこれを書いて言えるのは、なにかの、誰かのヒントや考えるきっかけや何かになれば…との思いから端を発していること。
どんな人であろうと、基本は人が思うこと。
おそらく、論文を書かれた浅見さんもそうなのでは…?

 さまざまに書きましたが、いったい何やつがこの文章を書いてるのか?と。
 では、少し、ご紹介を。
 かく言う書いている私の親は「勉強しろ!」とはまったく言わない放任主義でした。
典型的内弁慶の私は小学生の頃から、深夜の大人向けテレビ番組や深夜ラジオを観たり、聴いたり。
それに対して、ウチの両親は「早く寝なさい!」や「こんなくだらないのは見なくていい!(聴かなくていい!)」などとは一切言いませんでした。
そして、大人が好むテレビが好きな少年時代が、のちにテレビの仕事をしたい私を作り上げることに。
そんな私を親は笑わず憎まず反対もせず。終いには「言っても聞かない。東京に行きたきゃ行け!」と言われ。
ミーハーで「いいんじゃないの?」とばかり言う親でしたが、私が困っているとこは、しっかり親に支えてもらえました。
すると、やはり子供の私は、そういう仕事をしている姿を見せて恩返しをしたくなるもので…。
それからというもの、大学受験ややりたいことの勉強の源は「自分自身の好きなものを自分の手で手に入れてやる!」という意識と
「まだ、このままじゃ、ダメだ」という自分の内から発せられる危機意識から芽生え、自主勉。
テレビ局の報道局で働きながら、大学も通うハードな生活を私自ら好んで送りました。
その後も、AD・フロアディレクターやディレクターに脚本づくり、果ては演者も何度か経験。
現場は「誰かに教わる」というよりも「誰かのを見て盗む」が近道でした。
今まで、見て盗んで自主勉をしてやってきたことが、今現在、お世話になっているA型事業所でこの文章を書いていることでも生かされていると実感。
OnenessAに来て、自分の想像するものを具現化するみなさんの代弁者とまではいかなくとも、
お気持ちや視点や考えていること、そして創作しているものを私なりの言葉にして、これからお伝えさせていただきます。

 これから掲載する文章は、NHKの「今夜も生でさだまさし」でいうところの「意見には個人差があります」なもので…。
これからもどうぞ、長~い目でお読みください。

(執筆:Oneness A・年がら年中IceCoffee)