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考えるって何?(ヨシタケシンスケ展かもしれないの感想かもしれない)

ヨシタケシンスケ展かもしれない
の感想かもしれない


ヨシタケシンスケさんの絵本が好きだ。
代表作は「りんごかもしれない」かしら。

私が好きなのは,
それしかないわけないでしょう」である。

(両方,最後にリンクを載せてあります)


ついついマジメに生きていると,
こうしなきゃ
あれしなきゃ
こうでなきゃ
みたいに,選択肢が狭まってしまう

(きっとみんなどこかしらマジメなんじゃないかな)

そうするとさ,
どんどんどんどん視野が狭くなって
他にも選択肢はあるはずなのに,
他にも可能性はあるはずなのに,
それしかない!って決めつけちゃう


何かを食べようか止めようかって悩むとき,
選択肢は,食べる/食べないだけじゃない。

ちょっとだけ食べる
後で食べる
眺めて食べた気になる
熟成させてから食べる
誰かと半分コして食べる

別にそんな選択肢があったっていい。


そんなふうに,
ついつい狭くなっちゃった視野を広げてくれる
あるいは,
自分が勝手に決めていた「当たり前」に気づかせてくれる

ヨシタケシンスケさんの絵本にはそんな力がある。


ヨシタケシンスケさんは,
どうしてこんなにも考える絵本を作れるんだろう?
彼はどんなふうに世界を見ているんだろう?


ヨシタケシンスケ展かもしれない」では,
絵本になるまでの過程を見ることができた。


例えば,「それしかないわけないでしょう」の始まりは,
これからの子供・若者に必要なことってなんだろう?
という問いから始まっている(と見えた)。

この問いについて,
思考は進む。

どんな変化にもじゅうなんに対応できるしなやかさ
ひとつのことにとらわれない
自分にとってだいじなことって何だろう?と常に頭のどこかで考えるよゆう

自分にとってしあわせって何だろう?たくさんの価値観を知っておく
様々な価値観を持つということはつまり想像力がより大事になってくる
ものごとは考え方しだいでどうにでもなる

「ヨシタケシンスケ展かもしれない」より抜粋

なんていうふうに,ヨシタケシンスケさんの思考は進んでいく。
1枚の紙に書かれた彼の思考を私が抜粋したので,
順序は全く違うかもしれない。

それでも,彼の思考を見て思うのは,
?を抱いて,自分なりの答えを出して,
さらに?を重ねて,自分なりの答えを出して,
さらに?を積み重ねていく。

私はそんな印象を抱いた。


「きれい」な形に整えられているわけではない。
イラストがあったり,文字があったり,
単語だったり,文章だったり,
書き加えられていたり・・・

それこそが,
思考の姿そのものであろうと思う。


記録に残すとき,あるいは書きながら考えるとき,
「きれい」に書くことにこだわる場合もあるだろう。

しかし,考えるという行為は,
散らかったものを整える行為だけを指すのではない。

考えるという行為は,
混沌の中に混沌を重ね,溺れそうになる中で,
もがきながら自分なりの答えを見つける行為

とも言えるのではないだろうか。


私は文章を書くのも好きである。
しかし,物事を理解するときは,視覚的に表現する方がわかりやすい。

(だから,グラフィックレコーディングを練習中)



「考えろ」とか「考えなさい」とか,
大人はついつい言いがちだけど,
「考えるって何?」って聞いたとき,
この疑問に向き合える大人はどれだけいるんだろう。



自分の仕事にとってもいい刺激になった
ヨシタケシンスケ展かもしれない
の感想かもしれない
でした!


ーーー

りんごかもしれない
「実は○○かもしれない」と想像してみる。
知識は想像の足枷になるのかもしれない。
知識があったって,自由でいたい。


それしかないわけないでしょう
「ふつう」という枠に気づいたとき,
私たちはいろんな選択肢に気づくのかもしれない。


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