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他の誰でもない,その人が,心地よく健やかであれるように。

健やかに心地よく過ごせる、ということ。
「正しさ」が曖昧な時代、一人ひとりの考え方が尊重されようとする結果、私たちは「正しさ」にすがりたくなる。唯一の正しさ、絶対的な正しさは、およそないにも関わらず。

私たちは同じ人間ではない。感じ方も、考え方も、捉え方も、何もかも違う。
だからこそ、健やかに心地よく過ごすことを目指したい。

職場に来ている研修生が,車いすを使っている。
比較的バリアフリーだからという理由で,数ある職場の中から選ばれたわけだけれども,それでもスロープがない場所もある。そのため,簡易スロープが設置されたり,彼の動線がスムーズになるように,担当部署等の配置を行なった。私は彼を指導する立場にある。そして,管理職は彼を支援する組織と連絡を取っている,私をccで入れながら。

彼はすごく誠実で,車いすを理由に業務に支障があるということもない。他の研修生と同じように,悩んだり,緊張しているようすはあるけれど。今までも研修生の指導をしてきたが,さまざまなことがオンラインになるなか,ただでさえ流動的な世の中において,どうあればよいのか,私は答えを持っていない。例えば,実際に職場に来てもらった方がよいのか,オンラインで済ませた方がよいのか。私には具体的にどうあればよいのかイメージができない。しかし,私は研修前から彼と連絡を取り,人と人との関係を,他の研修生と同様につくってきた。

車いすを使う人,ではなく,他でもない彼を知りたかった。

車いすは,目に見えやすい。だから,どうしても先回りして,こうした方がよいかなとか,こうしない方がよいかなとか,色々考えてしまう。しかし,車いすを使う人にもさまざまいる。実際に職場に来たい人もいるだろうし,オンラインで済ませられるならオンラインで済ませたい人もいるだろう。これは,車いすを使っていなくたって同じである。車いすを使う人ではなく,他でもない彼がどうしたいのか,また,こちらとしてはどうしてほしいか。ただ,一緒に考えればいいだけのことである。
ところで,学習障害等の目に見えないからこその困り感も世の中にはある。今でこそ,さまざまな名前がついていて,その名前も認知されるようになってきたけれど,みんな何かに困っていて,どうすればよいかわからないのではないかと思う。その「みんな」は,この世にいるみんな。もちろん,私も含めて。私たちは同じ人間ではない。だからこそ,一緒に考えることが必要なのだと思う。

言葉にしたかったのには理由がある。管理職の無機質で事務的な態度,実態を見てもいないのにというメールにモヤモヤしたのだ。車いすを使う人ではなく,他でもない彼を見てほしい。彼を見ずに,大きな主語の枠組みの中にいる誰かとして,接しないでほしい。大きな主語の枠組みだけで正しさを決めないでほしい。目の前には,他でもない彼がいる。唯一の正しさ,絶対的な正しさはない。だからこそ,どうあればよいのかを都度考えたい。

大きな主語で語られるというのは,よくあることだと思う。不確実な世の中,わからないことが多くて,情報が多い中で,すがることのできる「正しさ」があると安心する。大きな主語になりうるのは,車いすだけではない,性別とか出身地とか,学歴とか。大きな主語で語られるレッテルには気をつけたい。と同時に,今一度,大きな主語で決めつけていないかを見直したい。

他の誰でもない,その人が,心地よく健やかであれるように。

一人ひとりがそんなことを考えていたら,みんなが幸せになれるんじゃないかと期待してしまうのだ。

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