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空気を読める、読めない?|『あしたの幸福』(理論社)いとうみく・著 松倉香子・絵  を読んで

「空気を読めない」国吉さん

「空気を読む」「かぶる」「寒い」「スベる」「ドヤ顔」「からむ」などなど。これらはダウンタウンの松っちゃんが使い始めた言葉って知ってました?先日テレビで紹介されていました。
 今では私たちも当たり前に使っているので、むしろこの言葉が無い時はどうやって会話していたのか?と思うくらい浸透している言葉です。確かに「空気を読む」や「ドヤ顔」などはダウンタウンがデビュー以前の、僕が子供の頃の80年代には使っていなかったような気がします。

 そして、その「空気を読む」ことが全くできない国吉さんとうキャラクターが登場するのがこの物語です。国吉さんは主人公の中学生の雨音の実母ですが、いわゆるお母さん的な優しい人物像ではありません。むしろ、場を凍らせる発言をしたり、TPOをわきまえなかったり、臨機応変、ケースバイケースが苦手です。義理のお母さんには「欠陥人間」とまで言われてしまいます。でも、本を読んでいるうちに「欠陥人間」は言い過ぎじゃない?と思うようになり、読み終えた後にはこの国吉さんが僕はとても好きになりました。そして「空気を読む」ってそこまで大事なこと?と思うまでになったのです。

 この物語は、父子家庭で育った中学生の少女の雨音がある日突然、その父を交通事故で亡くします。保護者がいなくなったと思った時に、幼い頃に家族を捨て出て行った生みの親の国吉さんがあらわれたのでした。一緒に暮らすうちに、父の今カノも登場し様々な事件が起こります。「家族の形」「シングルファザー」「ヤングケアラー」「友達との距離感」など、いろいろな要素が詰まっている作品ですがその中でも、やはり国吉さんの人柄と行動力が物語を動かしていくのです。

国吉さんはASD傾向?

 この国吉さんの特徴は物語の中では明記されていないですが、発達障害の一つのASDの傾向だと思われます。こだわりが強い、決まったルールが好き、急な予定変更が苦手などです。
 私は自分の子供が発達障害なのでとても共感できました。こういう人は周りから変な人と言われてレッテルを貼られてしまいがちです。でも、特性とその人の気持ちは別なんですよね。そっけない返答だったとしても、相手を嫌いなわけじゃないし、優しい気持ちはちゃんと持っているんです。でも、往々にして「欠陥人間」と言われたりなど周りからは誤解される場面が多いのです。
 国吉さんは、雨音の家にやってきたその日から空気を読めない行動やこだわり行動をして雨音をドン引きさせてしまいます。でも、熱中症の時に助けてくれたり、新学期ににはお祝いしたりなど、その“行動力”で愛情を示していきます。雨音も、そんな国吉さんと暮らして少しづつ心を開いていくのです。
 この物語の国吉さんの“行動力”を見ていて「空気を読む」よりも大切なことがあるんだなと感じました。最近は「空気を読まなきゃ」という圧力があり、的を射てない発言をすると「空気を読めないね~」となりがちです。しかし、本来コミュニケーションで大事なのは気持ちが通じること。言葉以外にも行動によって心が動かされることも多いのです。空気を読めなくても優しさや相手に対する愛情をもっていれれば、行動にそれが現れるものです。だから、国吉さんは不器用ながらも娘を愛する気持ちで行動をおこしていくのです。

空気は読めなくて大丈夫

 逆に、空気を読めても人を踏みつける大人もたくさんいます。その場その場で表面的に取り繕う発言ができても、行動で人を傷つける人に度々出会います。確かに、空気を読めない発言をした人に、僕も困惑した事はあります。逆に自分が空気を読まなきゃと思ってうまい返答ができなかった事もあります。でも「空気を読む」ことが最大目標ではいけない。そして、それでだけで人を判断するような社会ではあってほしくないのです。「空気を読めたらいい」でも「読めなくても」それもアリ。「あいつ空気読めね~な~」とすぐレッテルを張るのではなく、もう少し長いつきあいで人との関係を築ける寛容を持ちたいですよね、自分も含めて。

松っちゃんが使い始めた言葉は全部ツッコミの言葉です。
「かぶる」「寒い」「スベる」「ドヤ顔」「からむ(からみにくい)」「空気を読む(空気を読めないヤツ)」この言葉があることで、人から突っ込まれることばかりを気にし過ぎている気もします。本来はちょっと場違いな発言をした人を、ツッコミによって笑いに変えて場を和ませる愛のあるコミュニケーションの言葉だと思います。しかし、それはあくまでテレビのお笑いの世界の人達のこと。一般人が過剰に気にする必要はありません。空気を読むという言葉がなかった時代は、そんな事は気にしていなかったのですから。
 逆に、雨音は国吉さんと出会って「空気を読めなくてもいい」ことを学んだ気がします。シングルファザーの家庭でそれを卑屈に感じていましたが、自分達が幸せな道を堂々と歩けるようになったと思います。
 そして、この家族は最終的にかなりオリジナルな家族構成に発展していきます。普通の家族の形じゃ逆に苦しいし生きにくいから、自分達に合った幸せの形を選ぶのです。大きな意味では世間の空気を読めない決断なのです。でもそれでいいのです。私たちの幸せというゴールに行くためならみんなが通る普通の道じゃなくて、脇道を通ってもいいと思うのです。幸せの形というのは人それぞれだし、何を幸せと思うかは人から押し付けられるものではないのですから。わたしの幸福は、わたしだけのものなのです。そして、読み違えなのか、老眼なのかだんだん「あしたの幸福」が「あたしの幸福」に見えてきたのでした。

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