見出し画像

オフモードがないと、オンモードもなくなる

アメリカでは、11月後半のサンクスギビングは大型連休だ。多分日本でいうお正月のようなもので、各地から家族や親族が集まってきて、みんなで七面鳥とかパンプキンパイを食べるのが慣例になっている。

サンクスギビングは祝日なので私の会社ももちろんお休みだった。でもアメリカに家族もいなければサンクスギビングを祝う慣習もない私は、一人でニューヨークから動かず、四日間のお休みを過ごしていた。

四日間何をしていたかというと、基本的にはだらだらしてYoutubeを見たり、本を読んだり、散歩に行って人気のない街をぶらぶらしたりと、仕事のことを一切考えずにひたすら自分のために贅沢に時間を使った。ブラックフライデーと言って、一斉にセールが開催されるのに合わせて、買い物も色々とした。自分が欲しかったものばかり買いまくって、とても心が満たされた。

今週末もそうだ。外が寒くなってきたので、スーパーに買い物に出かけた以外はずっと家でぬくぬくと本を読んだり昼寝したりしていた。

そうしてだらだらしていて気づいたことがある。最近の私は、休日に完全にオフモードに入るということが、とっても久しぶりにできるようになった、ということに。ここまで読んだ方は「こいつ、いつでもだらだらしているのでは...」と思ったかもしれないけれど、正直、この数年間というもの、休日こそあれど心があんまり休む暇がなかったのだ。どんな休日を過ごしていたのか詳しくはこの記事に書いたけれど、簡単にいうと恵比寿とかの繁華街をショッピングして回ったり、レストランに外食しに行ったり、義務感にかられて仕事関連の本を読もうとしてみたり、コロナになってからは家で悶々と将来について思いつめたり、いまいち休めていなかったように思う。日曜日の夜はいつも少し憂鬱で、でもどうして完全に憂鬱ではなかったかというと、土日も何となくオンだったために境目がなく、デフォルトで少し憂鬱な日々を過ごしていたからなんじゃないかと今になって気づいた。

流石に休まないといけないと思って少し遠出したり、長めに有給をとって家で寝ていても、心の奥底では仕事への不安とか、将来への絶望とかがかすかにあって、どんなに楽しい気がしても「でも不安は払拭されてないんだよな」という諦めがあった。

でも今週末めちゃくちゃ休んで、ああ、明日から仕事か、と思った時に、今週末、自分、休んだな、という感覚がかすかにあった。本当に、本当に長いこと、感じていなかった感覚だった。

そして、こうも思った。これまで、オフモードがなかったということは、オンモードでの仕事もできていなかったんじゃないか。多分、この感覚は真だと思う。うまく説明できているかわからないけれど、仕事をしている時も、没頭するとか集中するとかいうよりは、焦りに焦りまくってひたすら手を出しまくるみたいな、そんな働き方をしていたような気がする。ギア1の自転車でペダルを必死に漕ぎまくっているような、スカスカした感覚だった。ギア付きの自転車に乗ったことのある方は分かるかなと思うのだけど、しっかりと正しいギアに入れて、足をグッと踏み込むと、自転車はすーっと進む。走っている道に合わせてギアを変えて、その都度適応すると、心地よく前に進める。その感覚を長く感じていなかった気がする。

今だって、将来の不安がなくなったわけでは全くなくて、また不幸せに戻ってしまう可能性は存分にある。でも、過去に一度「めっちゃ不幸せだなー」と思った経験のある身としては、そこからでも、きちんと時間をとって自分を大切にすると、また幸せな感覚は戻ってくるんだ、という希望の兆しも感じている。


この記事が参加している募集

休日のすごし方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?