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透明化された死



上の記事で私は自分の生の実感の欠如についての考えを簡単にまとめた。そして、その原因として自分の生活を支えているシステムの「確かさ」の無さを挙げた。

システムにおける「確かさ」の無さとは具体的にどんな事であろうか?

たとえば、スーパーで豚肉を買う時にリアルな実感を持って「これは生きていた豚を殺して作られた肉だ」と考えることがあるだろうか?また、街ですれ違う無数の人々それぞれに異なる人生があり、その数だけ異なる欲望、幸福、悲しみや夢があるということをどれだけ想像できているだろうか?少なくとも私自身にはその実感が欠如してしまっているように思える。これが「確かさ」の欠如だ、自分が何とどのような関係性の中で生きているのか分からなくなってしまっている。

これに対する処方箋は自分の中でも明確に見つかっていない。でも、何となく「直視」することが必要な気がしている




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