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煩悩に立ち向かうには段階がある ルアンポー・プラモート師

ローパ(欲)・怒り・無知

これらは表に現れてくるので

容易であることがわかります

怒りならば

膨れ面になり

歯をむき出し、食いしばるのです

殴り合い

平手打ちをし

刺し合ったり

撃ち合ったり

ひどいことですが

解りやすいのです

そして罵りあうのです

インターネットを見ると

書き込みをする人は

いつまでも罵詈雑を罵り合っているのです

そして

自分は賢いと思っているのです

本当は

煩悩(キレーサ)を表現しているだけなのです

自分が耐えきれない煩悩で

あれこれと書き込んでいるのです

煩悩に流されているのです

自分は誰よりもすごいと大きく思っていることは

自分自身には見えていないのです

自分は良い

私が正解なのだ

と自分だけがそう思っているのです

これは

煩悩が身体と話す言葉として

外側に出て行っているのです

無作法なのです

煩悩の力がサティ・サマーディ・パンニャー(智慧)よりも強い時に

煩悩に立ち向かうことができるのは戒です

サマーディとは煩悩とサティ、智慧が均衡している時に

立ち向かう道具なのです

戒とは忍耐するする道具なのです

自分自身を忍耐させるのです

戒を破らせないのです

煩悩に流されないのです

サマーディは煩悩を我慢させる道具なのです

煩悩の次元の一つを我慢させるのです

それは煩悩に心を覆いつくさせない様にする為なのです

智慧とは煩悩を根絶させる道具なのです

それぞれ別々の次元の事なのです

それぞれが違う役割なのです

ですから

まず初めに戒(シン)が無ければいけません

自分自身を忍耐させるのです

煩悩に流されてはいけないのです

もしも煩悩に流されてしまうのであれば

他人や他の動物に危害を加えてしまうのです

盗みを働き詐欺を行うのです

様々な手で相手を騙したりするのです

戒を破ってしまい

誤った性行為をはたらき

他の人が愛している人を奪い取ってしまうのです

他の人が好んでいるものを奪い取ってしまうのです

嘘をつき

人を騙し

戒とは私たちが煩悩に流されない様に

五戒を破らない様に

忍耐させるものなのです

サマーディは煩悩を我慢させる道具なのです

心に入り込まない様にさせるのです

サマーディを抑えてしまうのは五蓋です

それは真ん中にある煩悩です

それが働き始めたのならば

心を覆いつくして

私達の心のバランスを壊してしまい

上下に揺れて集中力を無くしてしまうのです

智慧(パンニャー)とは

煩悩の根を根絶する道具なのです

ですから

煩悩にも

いくつもの段階があるのです

そして

煩悩に打ち勝つ道具も

いくつもの段階があるのです

もしも

経典の基本に従うのならば

煩悩は

欲(ローパ)・怒り(ドーサ)・無知(モーハ)なのです

中間にある欲

これはまだ外側、身体と口から出ていないものです

これを”アサワキレーサ”と呼びます

4つの柱になるものがあります

1.業(ガム)

2.見解(ディッテイ)、これは考える事、観えるものなどです

3.生(ポップ)

4.無明(アヴィッチャー)

これはどこからこの働きが来るのでしょうか

それは

煩悩の深いところから生じるのです

それは”アヌサイ:潜在的欲望*”なのです

*アヌサイ อนุสัย 7 潜在的欲望
1.カーマ 欲望(感覚-快楽への欲望、感覚-快楽への欲望)
2. パティカ(憤り、怒りです - 反発、苛立ち、恨み)
3. ティッティ (間違った見解、意見を持っている) 意見を真実として受け入れる — 間違った見解; 推測的な意見)
4. ヴィチキッチャ(ためらい、疑い — 疑い、不確かさ)
5. マナ(傲慢 – うぬぼれ)
6. バーワラガ(世界への欲望、存在への大きな欲望、持続可能性への憧れ、成ることへの欲望)
7. アヴィジャ (真の無知はモハ — 無知)

http://84000.org/tipitaka/dic/d_item.php?i=288


仏歴2564年6月5日


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