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輪廻の危険を観る人① ルアンプー・プラモート師

この世には沢山の人がいますが

本当に仏教に興味を持つ人は少ないのです

仏教は小さい宗教です

本当の仏教徒は少ししかいないのです

タイでは仏教徒が幽霊を崇拝していることもあるのです

何にでも手を合わせてしまうのです

トカゲに二本尻尾あると言っては手を合わせ

三本足の牛がいるといっては手を合わせるのです

何にでも手を合わせてしまうのです

仏教の三宝(仏法僧)を拠り所にしない心は

他に幸せをもたらしてくれたり

安全だと信じているものを拠り所にするのです

そういうものを探し続けているのです

ある人はそういったものをを意図して探しているわけではありません

しかし

幸せを意図して探し求めているのです

今日幸せだったからよかった

明日はどうなるかわからないけどどうでも良い

これは仏教徒ではありません

身体と心を投げ出して

これまでの行い(ヤターガム:業)に流されているのです

良い仏教徒は危険なことが判っているのです

それは

私達の未来は老いが待っていること

病気が待っていること

死が待っている事

愛するもの好ましいものから離れなければならないこと

愛する人から離れなければならないこと

これらの事が私達を待っているのです

好きでは無いこと好きでは無い人と

これらの事は私たちの人生に共にあるのです

「欲しい」と浴した瞬間に「苦(ドゥッカ)」が訪れるのです

このように苦(ドゥッカ)が私たちの事を待っていると

その危険が観えているので

放逸(気づきの無いこと)ではいけないのです

十分に準備しなくてはいけないのです

もしも早く修行を高めることが出来るのならば

今、解脱することが出来るのです

死ぬ瞬間に解脱するまで待つ必要は無いのです

遅すぎるのです

修業が出来る間に解脱しなければならないのです

苦(ドゥッカ)から解脱する事

生老病死から解脱する事

愛別離苦から解脱する事

この苦から解脱する事は可能なのです

解脱に死を待つ必要は無いのです(続き)

仏暦2562年5月11日


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