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愛する人との執着を断つには?メーチー・ジュン師

質問「愛する人との執着を断つにはどうすればいいですか?」

愛する人との執着を断ち切ること

信じられないかもしれませんが

本当は相手の事を愛していないのです

私たちはマーヤー・チット(悪魔の心)に

間に合っていないのです

心の始まり「ぱっ」と生じてくる

思考の始まりに

気づきが間に合っていないのです

感情に気づきが間に合っていないのです

本当は誰もが他人の事を愛していないのです

私がいるという時には

自分中心の事しか観えていないのです

サティが十分でないので

感覚や感情や心を相手に預けてしまうのです

もしも相手が良い事をしてくれるならば

自分自身は気分が良く幸せを感じるのです

相手が良い言葉をかけてくれるのであれば

気分が良くなって幸せを感じるのです

もしも相手を本当に愛しているのならば

相手の行っていることを信用できるはずなのです

そうですよね?

しかし

あなたを愛していますと言っているにも関わらず

ほんの少し気に障る事をしただけで

不満足に感じるのです

結局私たちは誰を愛しているのでしょうか?

私は相手に不満足を感じていて

相手は私にしたことに満足を感じているのです

お互いに違う見方をしているのです

誰もがディッテイ(見解)を持っているからです

自分以外の人々が自分にあわせて満足させてくれる

果たしてこんなことは出来るでしょうか

ではどうすれば不満足を感じさせる人々と

一緒に居られるのでしょうか

私たちは自分自身の心を観ることが出来て

初めてそのことがわかるのです

しかしながら

毎日誰かを待っているのです

誰か愛せる人を待っているのです

以前お坊様先生が

このように言ったことをありました

「愛する」という言葉は

自分中心ということから引用した言葉ですと

私たちは自分中心なのです

相手を愛していないのです

しかし

感情を相手から欲しいのです

わたしが満足できる感情を

相手から欲しいだけなのです

心はその感情を摂取して酔っているのです

このようにしなければいけません

私だけを愛さなければなりません

そうすれば私は貴方を愛します(笑)

もしも私たちが本当に相手を愛しているのならば

相手が幸せになるのであれば

相手に恋人が10人いても構わないでしょう?

心が相手に対しとても広いということになりますよね?(笑)

本当は私たちは自分自身を愛しているのです

わかりますでしょうか

ですから

サティの訓練をするのです

そして悪魔の心(マーヤー・チット)に

気づきを持たせるのです

毎日私たちは

自分自身の感情に浸り込んでいるのです

ありとあらゆることにはまり込んでいるのです

ポイントはこの感情というのものは

自分自身で作り出しているという事なのです

自分で作り出して自分自身ではまり込み浸っているのです

そして 自分で苦(ドゥッカ)になっているのです

おかしなことですよね

そして

「誰かが私を苦しめている」と観てしまうのです

今まで一度もこの部分に

焦点を当てたことが無いのです

それは

自分で作り出した感情を

自分の心に注ぎ込んでいるという事をです

しかし

「相手が私を責める」

「相手が私を不満足にさせる」と

観えているのです

原因は他の人が引き起こしていると

思っているのです

しかし

サティの訓練(ジャルーン・サティ)を行うとき

「この感情を心に連れてきているの自分自身である」と

観える様になるのです

感情を作っているのは自分自身なのです

もしも信じられないのであれば

森の中に入り

誰の影響を受けずに六根(目・耳・鼻・舌・身・心)

を閉じてみてください

静かなことろで瞑想するのです

すると「それ」が飾り立てられ

動いている様子が観えるのです

誰とも話す必要はありません

誰にも会う必要はありません

すると

心はすぐに探し始めるのです

心がかつて味わっていた感情を探し始めるのです

それは

今まで多く集めてきた感情なのです

そこには業が生じているのです

怒りが表れてきたりするのです

誰にも満足したことが無いのです

それは自分自身に満足したことが無いのです

これなのです

この性格を修習によって直していくのです

「それ」が観えても

「それ」と一緒に行ってしまってはいけないのです

クソン(善)をしうる限り高めるのですよ

これがバーワナー(修習)なのです


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