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東京と私のLove and Hate Relationship

東京が嫌いだ。

大晦日の午後に嫌いなことについて書くナンセンスさを、どうか心の大掃除に付き合ってると思って受け入れてほしい。
いいじゃないか、時には好きなだけ嫌いなことについて語ったって。醜いものは全部、今年のうちに吐き出して(掃き出して)おこう。

電車のアナウンスがでっかすぎる東京。広告の文字が目に痛すぎるトウキョウ。家賃高すぎるTokyo。よく分からない業界多すぎるTOKIO。

いや〜〜嫌いですね。心底嫌いです。エクストリームに嫌い。

嫌いなはずなのに、私はなぜ東京に7年間も居座っているのだろう?なんでこんなに中毒性があるんだろう?いったい何を東京に期待しているんだろう?

殊、東京のこととなると、突如メンヘラの恋人と化する人はきっと、私だけではないはず。

離れたくても離れられん!そんな東京への熱い執着の想いは、大学1年生の春からはじまる。

2015年春ー吉祥寺

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1日10時間の受験勉強の末、すべり止め以外全落ちし、失意の底にいた大1の私。普通の人よりちょっと頭が弱めに生まれてきたらしいこと察しはじめた。泣くほど悔しかったなら浪人すればよかったのだけれど、そこまでの覚悟を持てず、中途半端なプライドだけぶら下げて入学式に向かった。

それから毎朝、吉祥寺の交差点で信号を待ちながら、ミスチルの「くるみ」を聴いた。毎朝、吉祥寺を憎んだ。

ねぇ くるみ
この街の景色は君の目にどう映るの?
今の僕はどう見えるの?

ねぇ くるみ
誰かの優しさも皮肉に聞こえてしまうんだ
そんな時はどうしたらいい?

「くるみ」作詞作曲:桜井和寿

サークルには入らないという選択もできず、幽霊部員を兼部した。新歓にも行かず(…というのは嘘で、結局2つくらい参加した)、授業が終わったら一目散に中央線に飛び乗った。

授業には誰よりも真面目に参加した。読めもしない分厚い参考書を数ページかいつまんで、レポートで引用するなどした。バイブルは春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』だった。一刻も早く東京から出たくて、留学を決意した。1年生の12月、イギリスへの留学が決まった。

今思えば、こんな斜に構えたヤツと友達になりたい人なんて一人もいない。でも、有り難いことに私にも何人か一緒に授業を受ける友達ができた。一匹狼にはなり切れない、中途半端に八方美人な私らしいなぁと思う。

2017年夏ー吉祥寺、再び

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1年の留学から帰ってきた私はすっかり吉祥寺という街の虜になっていた。

中道通り!ハモニカ横丁!!井の頭公園!!!
といった具合に、遅ればせながら吉祥寺に恋した。

1年ぶりに「くるみ」を聴きながら、自分の心がずいぶんと癒えたことに気づいた。大嫌いだったはずの街を愛せるようになった自分が誇らしかった。生意気でクソガキだった1年前の自分が愛おしかった。反骨精神とかハングリー精神に溢れていた歯がゆいあの頃の自分が少し羨ましくもあった。(そして今もなお、大1のクソ生意気な自分が好きだ…)

2019年秋ー府中

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同期が新卒1年目でせっせと働いているなか、私はシェアハウスの一室でうたた寝していた。東京の外れの府中の外れ。引っ越し初日の夜11時、窓の外から
ヴウウゥゥーーーン パラリラリ ラリラリラ
と暴走族的な集団が通る音を聞いたときには、東京でカブトムシを見つけた少年みたいに感動した。

大学卒業後、どういうわけか、大学院に進んでいた。

吉祥寺よりちょっと先にある、無人駅が最寄りの大学だった。大学からさらに3駅先の場所に、シェアハウスを借りた。光熱費込で月35000円。日本人とアジアからの外国人の若者が5人程住んでいたようだった。

このシェアハウスを思い出すたび、私はゾワっと身の毛がよだつ。籠もった食べ物と洗濯物の匂い。「中国に帰れ」と書き殴られた共用のホワイトボード。一階の一室から漂うタバコの香り。ペットボトルが大量に転がっている105号室。バイト先で酷使される出稼ぎ中国人。東京の薄汚い部分を垣間見てしまった気がした。

月35000円の激安シェアハウスに帰ることが憚られるようになった。3ヶ月で引き払い、さいたまの実家に戻った。

2021年冬ー新宿

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就職。結局私は、東京から離れることができなかった。離れる気さえなかったのだと思う。

この街にいると自分の(少なからずある)個性が矮小化されてしまう気がする。一方で、この街を離れてしまうと、自分は何者にもなれなくなってしまう気がするのだ。FOMO(取り残されることへの恐怖)はSNSだけでなく、東京にも蔓延っているように私は思う。

でも同時に思うのだ。

吉祥寺が嫌いとか、新宿がゴミゴミしてるとか、そんな東京に対する愚痴は全部、何をやっても上手くいかないことの腹いせなのだと。

東京に罪はない。勝手に期待されて、勝手に失望されて、東京だってたまったもんじゃないよなぁ。1000万もの夢を受け入れてきた東京の懐の大きさは偉大だ。

嘘が多いとか 冷たいとか 星が見えないとか 苦情の嵐
上手くいかない事の腹いせだろう ここは幾つも受け止めてきた

何をしに来たんだっけ 誰のためなんだっけ

「東京讃歌」BUMP OF CHICKEN 作詞作曲:藤原 基央

今まで7年間、ありがとう東京。2022年も何卒お手柔らかに。

感謝しつつ、愛を込めて贈る──。やっぱり、東京が嫌いだ。

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