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死の香り漂ようStand by Me〜ゆるシネマ録〜

少し前に金曜ロードショーで放映していたことで話題になっていた『Stand by Me(スタンド・バイ・ミー)』。金ローは観なかったがTwitterのトレンドに『リヴァー・フェニックス』とか出てきてキュンとしてしまったので、Netflixで久々に観ることにした。

初めてスタンド・バイ・ミーを観たのは小学生のときだったか。テレビで放映していたものを母が録画していて観たのが最初。当時の私にとってスタンド・バイ・ミーはワクワクする青春映画そのものだった。私には3つ上の兄がいるが、ゴーディやクリスたちはちょうど兄と仲間たちのように感じて、少年たちの冒険に憧れた。

時が経って大学生になった頃、再び観たときにはその印象がガラリと変わった。これはただの青春映画じゃない。“死”の話なんだ、と。今回も同じように思った。私にとってはもう、ただのワクワクする青春映画ではなくなってしまったのだ。

この映画にはいつも死の香りが漂っている。そもそも見ず知らずの少年の死体を探しに出掛ける話だし、主人公のゴーディは兄を亡くしたことで両親からの愛情をますます感じられずにいる。そしてこの少年時代の思い出をゴーディが語り始めるキッカケとなったのが、弁護士になった親友クリスの死。さまざまな死が物語をつくっている。

たびたび登場する列車は迫り来る死の象徴のようだ。列車相手に度胸試しをするテディは死を軽んじていて、それを必死に止めようとするクリスは生を大事にしていて。突き詰めると、テディは戦争で正気を失った退役軍人の父を尊敬しているからこそ生きることに拘っていないようにも見えるし、逆境に耐えながらも強く生きていたクリスだからこそ、呆気ない死を遂げる未来がただただ切なかったりする。

クリスが家からくすねてきた銃も存在感を放つ。人の命をいとも簡単に奪える銃は、絶対に敵わないはずの不良グループのリーダー、エースをねじ伏せた。最恐と思える人も、死の前では皆従順だ。

ゴーディとクリスがそれぞれの進路について語り合うシーンは物語の核となる。閉鎖的な田舎町で、少年時代には無謀とも思えた未来を、二人は選ぶことができた。生きている間は、実は、わりとなんでも選ぶことができる。困難はあるかもしれないが、生きていれば大概のことは乗り越えられたりするものだ。でも死だけは選べないし、乗り越えられない。ゴーディの兄の死も、クリスの死も、列車に轢かれた少年の死も、不可避だった。

ゴーディが食料の調達に入った店の店主が話した「生きることは死に向かう事なり」という聖書の言葉が、この物語の全てのように感じた。人は道を選んでいるようで、実はひたすら死に向かって歩いているだけで。少年たちの冒険のその先も、終着地はそれぞれの死であることに間違いはない。

スタンド・バイ・ミーの原作タイトルは『THE BODY(死体)』だそうで、テディやバーンの死についても書かれているらしい。映画よりさらに濃く死の香りを感じそうだ。

それにしても、友だちをイジるのに母親をダシにするのは当時のトレンドなんだろうか。「お前の母ちゃんでべそ」的な。私の子ども時代にはどんなに嫌な奴でも母親を悪く言う子なんていなかった気がして、そのイジり方には「ちょっとちょっと!」と言いたくなった(笑)


コグレアンナ(anna_kogure_)


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