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「荘」日誌

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函館市弁天町「旧野口梅吉商店ーわらじ荘ー」と「旧西浜旅館-みなも荘-」「旧中国茶屋−きらく荘−」に住んでいる荘民が発信する日々の日誌です。 毎日の生活を10年後も笑えるような、そ… もっと読む
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記事一覧

あれから4年

今日、わらじ荘が四年目を迎え、感謝祭を開催している。 私は、キッチンでおにぎりを握っている。 あたたかな雰囲気。 四年前、ここに初めてきた、掃除から始まった。寒かった。みんなで鍋を囲みまくった。シャワーがないから、銭湯を巡った。 ここで地域と学生がつながり、教科書だけの学びじゃなくて、「生の体験・表現」をする場所があったらな…..というフワッとした妄想から始まった。 あれから4年経ったから、22歳だった私は26歳になった。 当時、大学生ながらいろんなところでいろんな活

やりたいことがない人=愛が迷子な人は、わらじ荘という交番にきたらいい

わらじ荘の代表の下沢杏奈です。最近のわらじを見てて思うことがあって、文字にしました。 前提として、人には愛が必ずあって、それをどこかで純粋に使えなかったり、表面に現れてこれないようになっているんだと思う。 愛っていうのは、自分や誰かや何かへの暖かな綿毛みたいな"おもい"のことだと思う。 そして、その愛の使い方がわからない=やりたいことがない という変換が行われているのではないかと気づいた。 やりたいことがないということは、自分の愛情をどうやって、誰に伝えたらいいかわか

若者アーティストが古民家で創作するエネルギーを、届けたい。

北海道育ちの21歳、函館市の教育大学に通っています。同世代の方も、そうでない方も、目に留まったら読んでやってください。応援する気持ちはハートで充分伝わります。(追記:10月5日)(追記:11月19日) 函館の西部地区で、若者のアートコミュニティーをつくりたい。 今年6月から、若者が築116年の古民家をアトリエとして利用しています。その名も「新・みなも荘2022」。この古民家は歴史ある函館の港まち・弁天町に位置しています。そこは異国情緒溢れる自然と歴史が共存した街並みが魅力的

ちょっと東京にいってきます

窓を覗くときれいな空と山が見える。 本日は北海道の翼 AIRDOからお届け。 つい先ほど私の大切な3人が空港まで見送りしてくれた。zoomでも会えるし6月も函館に来るからって何にも寂しくなくて、涙さえ流さなかった。あんまり実感がないな〜、本当に自分今から東京に行くのかな〜なんてボーッとしている。 もうすぐCAさんがワゴンと一緒に「飲み物いかがですか?」と聞きにきてくれる。私は決まってリンゴジュースと答えると決めている。 私は、さっきもらったみんなからのお手紙を おもむろに

僕たちはまっさらだった

僕たちはまっさらだった。 なんにも持っていなかった。 地位も名誉も学歴もお金も、未来の希望さえも。 僕たちは未熟だった。 互いに依存して、互いをダメにしていた。 ただ、そこにあったのは、風呂・ストーブなしの築108年の古民家だ。 なんとなく掃除をしたり、パーっと飲んだり、なんでもないことを話したり。そうやって僕たちは、この古民家とともに育っていった。 僕たちは、何にも考えずにここまでやってきた。 苦しいこともあった。悲しいこともあった。 でも「うまくいく」の正解がなか

*荘とすみえ 第3巻*【共同生活であったらちょっとよいこと・もの】

こんにちは。すみえです。今回は『荘』にて2年と4ヶ月の間、荘民と共に暮らしを営んできて感じた 【共同生活であったらちょっとよいこと・もの】 を一挙大公開致します!(拍手) 書いていて思ったこと。 それは... 「共同生活」に限らず、生きているうえであったらよいこと・ものだったということです。 ということで 「こんなこと・ものあったらいいな――――――!!!」 ということをまとめてみました。 はじまり~はじまり~ と...思いきや。前段に共同生活に関する抱い

忘れないでいよう。私たちは、人を愛するために生きているのだ。

皆さん、お久しぶりです。 わたしはついに大学を卒業できました。わーい! 多くの人に支えられて今があります。ありがとうございます。 6年間も函館にいました。長い、テキトーに選んだ大学なのに、こんなことになるとは。高校の先生もびっくりです。笑 わらじ荘も3年目に突入し、ついに4月からわたしも函館を離れることとなりました。 今日は集大成のような言葉を連ねたいと思い執筆しています。 テーマはズバリ「わたしたちはなんのために生きているのか」です。前回のnoteの続編です。生きる意味

*荘とすみえ 第2巻*【なぜ荘に暮らすのか?卒業論文執筆完!】

そう そうなんです。 「なぜ荘に暮らすのか?」 この問いを基に卒業論文を執筆しました。 もともと文章や論理を構成することが大の苦手な私ですが、あっち行ったりこっち行ったりしながらもなんとか卒業論文を書き終えました。 ひと安心 ひと安心 ひと安心ということで、近所のお散歩を楽しんでいました。 という訳で、今回の第2巻は荘に関する卒業論文を「なぜ書こうと思ったのか」、そして「何を書いたのか」、「どういう構成でまとめたのか」の三本立てでお送りいたします。 Ⅰそもそ

*荘とすみえ 第1巻*【わたしにとって荘とは】

2021年9月。荘ってなんだろね。が発着点 (この題名を書き...執筆している現在は2021年の12月。 3か月間眠っておりました。) 結論から申し上げると... 荘は…わたしにとって 「小さな社会」であり「家」である。 そして、自分の居場所を創り出す空間でもある。 これが現段階の結論です。 今日のすみえこのリクエスト曲は... Ai iwasaki で「 Twilight 」です。 流しながら、お読みください。 Ⅰ「小さな社会」 「小さな社会」とは...。

他人には他人のパレット、自分には自分のパレット

私には、世界が赤にも青にも、複雑な色にも見えることもあります。それは、私のパレットにいろんな色があるからです。はっきりした色もあれば、名前がついてないような変な色もあります。皆さんのパレットにはどんな色がありますか?たぶん、人間はみんなそれぞれパレットを持っているのではないかと考えました。そしてその色を使って、人生という絵を、描くんだと仮説してみましょう。(私の論であり、一般論ではありませんのでご了承ください) そして、そのパレットに色がたくさんあると、色んな良いことがあり

すみえー荘での5月

改めて数えてみるとわらじ荘に住み始めて1年8か月が経っていました。たかが数年、数か月ですが されど1年8か月です。本当に多くのことを感じて多くのことを経験しているなと更に実感しています。  今月は何かと転換期でもあり停滞期でもありました。旧友と連絡することが増え、それぞれ考えることをただ話す時間。中型バイクの免許を取り始め、マニュアルの運転が楽しすぎる教習。卒業後のことを悠々と計画する時間。こんなに緩くていいのか自分!と喝を入れたくなる時もあるけれども、本当に自分にとって良

こうして私は、なんで生きてるのかわからなくなった

ついに私はわらじ荘に住まないことになりました。今は車中泊をしたり、キャンプをしたりします。でもメインはもーりーさんというおばさんの家に居候させてもらっています。猫がとてもかわいいです。あとご飯が本当に美味しい。心も体も暖かくなります。 「わらじ荘」と言う場所を出るにあたって、今までのことをここに残しておこうと思った。だけどわらじ荘は要素がありすぎて、綺麗な言葉にできないのだ。暮らすということ・働くと言うこと・活動する・地域と関わる・人を知る・・・・もっとあるもっと、もっと沢

のびのびと、あたたかいイベントに。

5月2日に谷地頭町で「本だなづくりイベント」を開催し、無事に終了しました。 イベントってとにかく大変で、充実度が高くて、なんか達成感がありますよね。もちろん、このイベントも大変な部分はあり、とっても楽しく、おわったー!という気持ち、生まれましたよ。 でも、大変や疲れより、「あたたかく、のびのびと」そんな言葉の方が似合うような1日でした。 どんなイベント?タイトルの通り、本棚を作るイベントです。作る本棚は3つ、リトルフリーライブラリーと呼ばれる活動がいいなあ~と思ったのが

わたしー4月

あたたかくなりわらじ荘の入り口がひとつ、ふたつ、みっつと増えていく。 みっつめの扉 縁側を開ける喜びは長い冬をかみしめてきた自分へのご褒美みたいなものだな。 今月から 荘での出来事・わたしの動きの振り返りをきちんと言語化しておこうと思います。今まで概念的なものが多かったので。 2021年4月 出来事 ◎弁天町町内会に学生が侵入 4月の第2・4金曜日に弁天町会での活動がスタートしました。 第2は「しゅくだいくらぶ」:お勉強を一緒にするもの 第4は「スマイルくらぶ」:ボー