うしたろう

0歳の女の子のお母さんの会社員です。小一から大学まで柔道をやっていました。大学卒業後は…

うしたろう

0歳の女の子のお母さんの会社員です。小一から大学まで柔道をやっていました。大学卒業後はインドネシアのボゴール農科大学の大学院に留学して熱帯雨林保護政策の研究をしていました。忘れないように、インドネシア留学体験記を投稿していきます。

最近の記事

丁寧な仕事

#私にとってはたらくとは  十年前、インドネシアの大学に留学していた頃、私はインドネシア人の学生七人と一緒にある一軒の家で共同生活をしていた。イスラム教徒が四人、キリスト教徒が一人、仏教徒が一人、そして日本人の私と、小さな家の中は多様性とカオスで満ちていたが、どこか心落ち着く場所に違いなかった。家の前は背の高いヤシの木の道路だけが長く続いており、朝は常夏だというのにひんやりと肌寒く、少し霧がかった空気が頬に気持ちがよかった。 私が住んでいたその家は「ヤシの木通り三丁目」という

    • インドネシア滞在記(番外編)アゲの結婚式

       日本に帰国して2年半が経ったある日、アゲから結婚式の招待状が届いた。帰国してからもアゲとは連絡を取り合っていて、時には彼女が担任をしている小学校の生徒達と文通をしたりもしていた。手紙は船便で送られてくるので、届くまでに2ヶ月くらいかかったりしていたが、それはそれでなんだか素敵だったし、密かな楽しみになっていた。  アゲからは、何度かお見合いをした話とかも聞いていたので、いったいどんな相手なんだろうと私は一人で勝手にそわそわしていた。結婚式の日程はちょうどクリスマスだったので

      • インドネシア滞在記㉒最終話 帰国

         何事も始まりには終わりがあるもので、ついに長かった私のインドネシアでの生活にも終止符を打つ時が来た。日本への航空券を取る時は何度も手が止まってしまったが、授業も調査も終わったし、散々旅行もしたし、よく考えたらやりたいことは大抵やりつくした気がしたので、いざ帰ると決めてしまえば案外スッキリとした気持ちになった。  リリック先生の研究室メンバーが最後にと、大学近くのスンダ料理のレストランで送別会を開いてくれて、そこではイルハムが代表して挨拶をしてくれた。イルハムが、私のことを

        • インドネシア滞在記㉑ジャカルタの話

           インドネシアの首都はジャカルタなのに、私は初めて訪れた時どこか別の国にいるような気がしてならなかった。ビザや研究の許可申請などでどうしても必要な時は頑張って電車で出て行ったが、帰りが遅くなって怖い思いをしたのがトラウマで、普段はめったに行くことはなかったし、あんまり行く気にもなれなかった。こんなこと言うと怒られそうだが、景色がきれいな湖とか、花がきれいな公園とかのほうが断然楽しかった。  そんな折、私の滞在中に父と母がインドネシアまで遊びに来てくれたことがあり、せっかくな

        丁寧な仕事

          インドネシア滞在記⑳アゲの故郷

           修行のような現地調査を終え、やっと肩の荷が下りて身軽になった私は、旅行の事ばっかり考えて過ごしていた。インドネシア語では旅行のことを「ジャランジャラン(jalan jalan)」という。「ジャラン」単体だと「道」という意味なのだが、二回重なると旅行という意味に変わる。道が長く続いていくイメージが頭に浮かんできて、なんだか好きなインドネシア語の一つだ。私がしょっちゅう家を空けるので、ニルマラにも「またジャランジャラン?」と呆れられたが、私は旅行も社会経験という立派な勉強なんだ

          インドネシア滞在記⑳アゲの故郷

          インドネシア滞在記⑲現地調査の話

           私の調査地は、グヌングデパングランゴ国立公園の登山道の入り口にある「グヌンプトゥリ」という小さい村だった。ボゴールからはアンコットを乗り換えながら5時間くらいで、そこからは車道がないのでバイクタクシーで一気に山道をかけあがる。住民のほとんどが畑で野菜を作って生計を立てていたが、自分で畑を持っている人と持っていない人の暮らしは全く違っていて、なんとかその日暮らしをしているような人もたくさんいた。 山の麓なのでいつもひんやり冷たい空気に包まれていて、しょっちゅう雨が降っていたが

          インドネシア滞在記⑲現地調査の話

          インドネシア滞在記⑱授業と蜘蛛の糸

           さて私はインドネシアでただ遊んでいたわけではなく、一応ちゃんと授業を受けたり調査もやっていた。授業に関しては、英語の授業なんてあるわけなかったので来て早々にいきなりインドネシア語の修士課程の2つの授業に放り込まれた。授業は日当たりのいい2階の教室で行われていて、先生の「アッサラームワライクム」というイスラム教式の挨拶に、生徒が一斉に「ワライクムサラム」と答えるところから始まる。ムスリム以外の生徒はどうしてるんだろうと思いながら、私もみんなに紛れてこっそり「ワライクムサラム」

          インドネシア滞在記⑱授業と蜘蛛の糸

          インドネシア滞在記⑰変わった同居人達

           ボゴールに住み始めて、私が住んでいたパルムティガには、どうやら人間以外のメンバーがたくさん暮らしているらしいということが段々分かってきた。しかも割と戦闘力が高い個性的なメンバーが揃っていて、団体戦を組んだら結構いいところまで行くんじゃないかと私は踏んでいる。  まず先鋒の切り込み隊長は怖いもの知らずのアリさん達である。私は住み始めてすぐに、リビングにある大きなテーブルに3組くらいのアリの行列を発見した。キレイに隊列を組み、ご飯やお菓子に向かって一直線、「やーっ!」とでも言

          インドネシア滞在記⑰変わった同居人達

          インドネシア滞在記⑯苦手な食べ物

           インドネシアに来てから私はどんな食べ物も、大抵何でも喜んで食べた。インドネシア料理は本当にどれも美味しかったというのもあるが、同じ料理でも地方によって味付けが全然違ったり、その土地ならではの郷土料理があったりした事も興味深かった。果物なんかはドリアン、マンゴー、ランブータン、マンゴスチンなど日本ではなかなか出会えないものばかりで、旬の季節になるとそれがものすごく安く買えてしまう。一時期は、毎朝マンゴーとパパイヤばっかり食べていてお手伝いのビビにも笑われていた。新しい果物に出

          インドネシア滞在記⑯苦手な食べ物

          インドネシア滞在記⑮カリマンタン島のエコツアー

           年が明け、気持ちも新たにヘンドラさん、ヘンドラジュニア、御田さん、私の4人はバイクにまたがり、遂にグヌンパルン国立公園に向けて出発した。整備されていない砂利道の悪路に脳が揺られながらの長旅の末、といっても時間にしたらせいぜい3時間くらいだったと思うが、ようやく港までたどり着いた。道中、休憩のたびにヘンドラさんと御田さんは、しょっちゅう仲良くタバコをふかしながら、熱くて甘いインスタントコーヒーを仲良く飲んでいて、私はそれを横目で見ながら、働く男とたばことコーヒーの組み合わせは

          インドネシア滞在記⑮カリマンタン島のエコツアー

          インドネシア滞在記⑭空を飛んだお正月

           ボゴール生活も半年が過ぎ、年末に近づいた頃、増田研の大先輩の御田(オンダ)さんから「あなた年末年始どうせ1人で暇なんだろうから、カリマンタン島にきてグヌンパルン国立公園でエコツーリズムに参加したら?」と電話があった。御田さんは昔このグヌンパルン国立公園をフィールドに研究をしており、博士課程を卒業後某日系企業に引き抜かれて、カリマンタン島で駐在として働いていたのだ。インドネシアではちょっと目立つくらい背が高くて、薄い色が付いた眼鏡と口の悪さによって若干近寄りがたいオーラを放っ

          インドネシア滞在記⑭空を飛んだお正月

          インドネシア滞在記⑬町の印刷屋さんとおしん

           最近、5か月になりようやく首が座った娘を前向きに抱っこして家の周りを散歩をしていると、おばあちゃんやスーパーのレジのお姉さんとか、道行く小学生が振り向いて娘によく声をかけてくれるようになった。娘もご機嫌に足をバタバタさせて喜んでいるのでちょっと嬉しくなるのだが、その度に私はボゴール農科大学(IPB)の近くの印刷屋さんを思い出してしまう。  研究室にはコピー機がなかったので、みんな何かをコピーしたり印刷したいときはUSBに入れたデータや本を大学の外にある印刷屋さんに持って行

          インドネシア滞在記⑬町の印刷屋さんとおしん

          インドネシア滞在記⑫喜捨

           今はどうかわからないが、街でアンコットに乗っていると、必ずと言っていいほど遭遇する出来事がある。車が止まると、入り口からひょいっと人が乗り込んできて突然歌い始める。大抵ボロい身なりをした若い兄ちゃんが多かったが、まだ小さい男の子もいて、ウクレレや、手作りの謎の楽器を携えていたり、何もない場合は声だけを武器に、民謡っぽい独特な曲を披露していた。たまに「おっ」というくらい上手な兄ちゃんがいたりしたが、こっちが心配になるくらい音痴な者もいた。一曲歌い終わると、今度は 「プルミシ~

          インドネシア滞在記⑫喜捨

          インドネシア滞在記⑪忘れられない山登り

           ある日、森林学部の友達と話しているときにふと「そういえばアンは山登りは好き?」と聞かれた。私は子供の頃に両親や弟とおじいちゃんと一緒に日本アルプスや富士山を登ったこともあったので、山登りは好きだし日本でも昔よく登っていたよと答えた。その友人は体が大きくて目と顔がまん丸で、ちょっとお調子者の男の子で名前をチャヤ(cahya)といった。どうやら今度5人で登山に行く計画を立てているらしく、イサという女の子も来るのでよかったら一緒に来ないかと誘ってくれた。場所はグヌングデパングラン

          インドネシア滞在記⑪忘れられない山登り

          インドネシア滞在記⑩恐怖のレバラン

          ラマダンも終わりに近づいたころ、「そういえばレバランはどうするの?」とニルマラにと聞かれた。特に何も考えてなかった私は、みんながいなくても1週間くらい1人で家でのんびりすれば何とかなるだろうと思っていたが、その甘い考えは、すぐさま打ち破られた。聞くところによるとレバランの期間は里帰りで空っぽになっている家を狙って空き巣や犯罪が多発するらしい。信仰を深め、慈悲の心を実践するラマダンを終えたお祝いだと言うのに、完全に本末転倒である。かつてIPBに留学していた御田さんという先輩から

          インドネシア滞在記⑩恐怖のレバラン

          インドネシア滞在記⑨ラマダンがやってきた

           インドネシアは人口の約9割がムスリムの国であり、私の友人の多くもムスリムだったが、彼らにとって1年で最も神聖かつ試練の行事が「ラマダン(ramadan)」だった。ラマダンとはイスラム歴で9月にあたる断食月のことで、約1か月の間、プアサ(断食)といって、日が昇り沈むまでの約14時間水も食事も口にすることができない。欲望を抑え、自身の信仰心を深めることが目的とされている大切な期間だが、こんなに暑い中水も飲めないなんて、想像するだけでのどが渇いてくる。  ラマダンが終わると、今度

          インドネシア滞在記⑨ラマダンがやってきた