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インドネシア滞在記⑨ラマダンがやってきた

 インドネシアは人口の約9割がムスリムの国であり、私の友人の多くもムスリムだったが、彼らにとって1年で最も神聖かつ試練の行事が「ラマダン(ramadan)」だった。ラマダンとはイスラム歴で9月にあたる断食月のことで、約1か月の間、プアサ(断食)といって、日が昇り沈むまでの約14時間水も食事も口にすることができない。欲望を抑え、自身の信仰心を深めることが目的とされている大切な期間だが、こんなに暑い中水も飲めないなんて、想像するだけでのどが渇いてくる。
 ラマダンが終わると、今度は「レバラン(lebaran)」と言う最大の祝日が待っている。ラマダンが開けたことを祝うお祭りで、日本の正月さながらみんな自分の故郷に里帰りし、親戚や家族で集まって過ごすのだ。この期間だけは首都のジャカルタからは人も車も消え、代わりに地方へ向かう車があちこちで渋滞の列を作っていた。

 私はインドネシアにいる間に、ラマダンとレバランを2度経験したが、1度目のそれはすぐにやってきた。ラマダン初日の朝3時頃、家の近くのモスクから聞こえる爆音のアザーン(礼拝の呼びかけ)で、私はビックリして目を覚ました。同時に家のキッチンからはなにやらパチパチと揚げ物をあげる音やフライパンでジュージューカチャカチャと何かを焼く音がしはじめた。大迫力のアザーンの余韻でまだ胸はざわざわしていて、立ち込める美味しそうな匂いと相まって全く眠れなくなった。ムスリムの同居人達は、これから始まるプアサに備えて朝3時から超ハイカロリーな食べ物と、めちゃくちゃ甘い飲み物をかきこんで、14時間分の食料を体に蓄えまくっていた。
 学部では授業もいつも通り普通にあったが、先生もなんかピリピリしていて、心なしかみんな口数が少なく、少しでものどが乾かないようにしていた。昼過ぎになると明らかに士気が下がりはじめ、昼寝をしたりして気を紛らわせている生徒もいれば、逆に目がギラギラしている生徒もいた。オジェックのおじさん達も全然やる気がなく、木陰で昼寝ばっかりしていたし、アンコットの運転手は空腹でイライラしていたのか、いつもに増してめちゃくちゃなスピードで飛ばしてストレスを解消していた。
私はイスラム教徒ではないので「アンは全然気にせず普通に食べたり飲んだりしていいんだよ」と言われたものの、そもそも昼間は食堂も屋台も閉まっていてご飯を食べるところがなかった。アゲやアグスは1度も喉が渇いたともお腹が空いたとも絶対に言わなかったが、イルハムは「haus(のど乾いた)」と言いながらあからさまにダラダラしていた。口の中がパッサパサになっている友達の前で食事をすることなど到底できなかったので、私はこっそり隠れて水をがぶがぶ飲んでいた。
 夕方になると逆にみんなテンションが少しずつあがりはじめ、プアサがあける18時前になるとみんな屋台の前にぞろぞろと集まり、いまかいまかとその時を待ち構えていた。いよいよ18時頃にプアサが開けると、やっと飲み食いできる喜びと、妙な一体感で大学前の屋台は毎日お祭り騒ぎのような状態になっていた。
 そんな状態が1か月も続くとさすがにうんざりしてきて、屋台で夜ご飯を食べるのもためらわれたので、ラマダンの間は、仏教徒のニルマラやキリスト教徒のフィフィと一緒に家でお好み焼きを作って食べたり、部屋に集まって好きな人の話で盛り上がったりして平和な夜を過ごした。
 こうしてようやく、ムスリムの友人達にとって試練のラマダンが終わろうとしていたが、私にとっての試練はラマダンではなくこれから待ち構えている恐怖の「レバラン」だった。




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