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インドネシア滞在記⑳アゲの故郷

 修行のような現地調査を終え、やっと肩の荷が下りて身軽になった私は、旅行の事ばっかり考えて過ごしていた。インドネシア語では旅行のことを「ジャランジャラン(jalan jalan)」という。「ジャラン」単体だと「道」という意味なのだが、二回重なると旅行という意味に変わる。道が長く続いていくイメージが頭に浮かんできて、なんだか好きなインドネシア語の一つだ。私がしょっちゅう家を空けるので、ニルマラにも「またジャランジャラン?」と呆れられたが、私は旅行も社会経験という立派な勉強なんだよと適当なことを言いながら、次はどこに行こうかなと考えていた。
そんな私だったが、調査が終わったらまず一番に、先に卒業して故郷で小学校の先生として働いていたアゲに会いに行くことに決めていた。アゲの故郷はスマトラ島の東に位置する、バンカ島という小さい島の端っこにあるムントックという街である。錫の精製で栄えた街で、道中では違法に錫を採掘している怪しい人にも何度か出会ったりした。
  
 出発当日、私はお土産をたくさん持って、渋滞に備えて張り切って朝早くに家を出た。おかげで少し余裕を持って空港に到着し、チェックインも済ませて搭乗をのんびり待っていたが、なかなか搭乗案内が流れない。もしかして案内を聞き逃して乗り過ごしたかなと段々焦り始めて、係員に聞きに行くと、どうやら飛行機が遅延しているようだった。まぁインドネシアだしそりゃ飛行機も遅れるよなと思いながら、アゲに「飛行機が遅れているみたい」とメッセージをしながら待っていたが、そのやり取りは何度も何度も繰り返され、結局その飛行機が飛んだのは6時間も後だった。平気な顔して案内する添乗員には、心の中でさすがにやりすぎだろとツッコミを入れながらこの飛行機が落ちないことだけを祈って乗り込んだ。

空港に着いたのは夜の8時を過ぎていて、あたりは既に薄暗くなっていたのにアゲはずっと空港で私が着くのを待ってくれていた。申し訳なさすぎて何度もごめんねと言ったが、いつも通り笑いながら「ティダアパアパ(大丈夫)」と言い、何事もなかったかの様に、よく来たねと明るく迎えてくれた。頼んでくれていた運転手さんもとっくに帰ってしまっていたので、急遽その日は空港近くに住んでいるアゲの親戚のお宅に泊めてもらい、翌日気を取り直してムントックに向けて出発することになった。
 アゲの家は風通しのいい平家で、家の周りには家庭菜園とバイクが置いてあるガレージがある。その辺を鶏がコケコケ言いながら歩いていて、日中は窓も扉も全開でとても素敵なおうちだった。お父さんは早くに亡くなっていてお母さんと二人で暮らしていたが、お母さんは足が悪かったので、アゲは卒業後地元に帰ってきて仕事をしてお金を稼ぎ、掃除、洗濯、料理と家のことを全てやりながらお母さんを助けていた。彼女にとっては当たり前だったのかもしれないけれど、私はその後姿をただただ何度も見つめていた。

その日は久しぶりにバイクの後ろに乗って市場にビーチ、灯台や博物館と街を沢山案内してもらった。バナナの木に囲まれた道をどんどん走り抜けていくと、背の高いヤシの木が揺れる海沿いの道に出る。私は海で服のまま泳いでいたのでびしょ濡れで、その体にアゲの背中から吹いてくる風が涼しく通り抜けていき、その柔らかさに私は思わず目をつむった。
翌日はアゲの働いている小学校にホイホイと軽い気持ちでついて行かせてもらったが、日本人なんて島の子供達は見たことないのでまるで芸能人が来たかのような大騒ぎになってしまった。せっかくなので前に出て自己紹介をするようにと言われたが、まん丸のキラキラした沢山の瞳が、一斉にこっちを見つめている。一体この人は今から何をゆうのだろうとワクワクしているのが嫌というほど伝わってきて、子供たちを前にドギマギしてしまった。私は皆と一緒にお昼ご飯を食べたり、持ってきた浴衣を女の子達に代わりばんこに着せてあげたりしたのだが、その間中男の子たちはずっと後ろで変な顔をしたり暴れたりと大忙しで、女の子にちょっかいをかけては先生に怒られていた。どの国の男の子も同じだなと、その様子を私はニヤニヤしながら見守った。授業が終わると、お母さんやお父さんがバイクで迎えに来てその後ろに乗ってみんなそれぞれ家に帰っていき、小学校はようやく静かになった。

 帰りはまた車で3時間かけて空港まで戻り、今度は飛行機が遅れることなくボゴールに帰りついた。帰り際に、アゲの結婚式には日本から参加しに来る代わりに、いつか日本にも招待するから桜を一緒に見ようと言って別れた。その約束のうちの一つは果たされたが、もう一つはまだ果たされていない。あれから10年がたったが、毎年桜の季節が来ると、私は必ず桜の写真を撮ってアゲに送る。そうこうするうちに、気づけば2人ともお母さんになっていた。一体いつになるかはわからないけど、いつか写真ではなくて本物の桜を一緒に見れる日が来るだろうか。もう一つの約束を果たせる日がやってくることを、私は想像してやまない。


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