見出し画像

インドネシア滞在記⑭空を飛んだお正月

 ボゴール生活も半年が過ぎ、年末に近づいた頃、増田研の大先輩の御田(オンダ)さんから「あなた年末年始どうせ1人で暇なんだろうから、カリマンタン島にきてグヌンパルン国立公園でエコツーリズムに参加したら?」と電話があった。御田さんは昔このグヌンパルン国立公園をフィールドに研究をしており、博士課程を卒業後某日系企業に引き抜かれて、カリマンタン島で駐在として働いていたのだ。インドネシアではちょっと目立つくらい背が高くて、薄い色が付いた眼鏡と口の悪さによって若干近寄りがたいオーラを放っていたが、人一倍研究に熱い思いを持っていて、出来の悪い後輩だろうがオラオラ言いながら最後まで絶対に見放さずに面倒を見てくれた。

 エコツーリズムとはインドネシアの国立公園保護政策の一つで、ものすごく簡単に言うと「観光業で地域住民の雇用を生み出し、公園内の森林伐採を防止する」というものであるが、実はこれが私の修士論文の研究テーマだった。
ところがインドネシアに来て半年過ぎても私の修士論文の調査が一向に進んでないことに薄々勘づいていた御田さんが「百聞は一見にしかずだろ」と言うことで声をかけてくれたのだ。貧乏学生だった私を気遣って、御田さんは全ての旅程をいつの間にか手配してくれていて「金ならある」という、後の増田研の後輩達に語り継がれる明言を残した。

 そんなわけで私は年末の12月31日、ジャカルタから西カリマンタンのポンティアナックという街に飛行機で飛んだ。ポンティアナックは赤道の真上にある珍しい街で、街には赤道記念碑なるものがあり、自分で赤道を歩いてまたぐことができる。私はその街で御田さんと合流し、赤道をさっさとまたいで記念写真を撮り、観光もそこそこに今度は小さいプロペラ機に乗り換えて「クタパン」という次の目的地に降り立った。クタパンは海沿いにあるのんびりとした港町で、グヌンパルン国立公園までは約90㎞くらいの距離がある。そこから先はきちんと整備された車道もないので、バイクで向かうことになった。
 この町で私たちは御田さんの友達でグヌンパルン国立公園職員のヘンドラさんと合流し、彼が案内人として一緒に来てくれることになった。ヘンドラさんはちょっとオラウータンに似た髪型のとても穏やかな性格の人で、小学生くらいの息子がいたが、御田さんからは日本語で「クソガキ」とよばれていた。

 とりあえずクタパンに一泊してから出発しよう、ということになり私たちはクタパンの市場に足を延ばした。私が住んでいたボゴールは内陸だったので、市場に売られているのは大抵鶏ばかりで魚なんてほとんど見かけなかったし、あったとしても目が死んでハエがぶんぶんしているナマズくらいだったが、クタパンの市場には新鮮な海の魚が所狭しと並んでいた。青空市場みたいになっていて見晴らしがよく、品ぞろえも独特で、食べるとおしっこがめちゃくちゃ臭くなる「ジェンコル」という豆もあれば、何に使うのか全くわからない生首みたいな牛の頭まで置いてあった。
その市場で買った魚にケチャップマニスという甘いソースを塗って、自分たちで炭火で焼いてバナナの葉っぱをお皿にしてみんなで手で食べたがこれは格別だった。これまでイカンバカール(魚の炭焼き)と言えばナマズばっかりだったので、遂に本物のイカンバカールに出会えた気がして嬉しくなった。

 だがこのクタパンでの最大の思い出は間違いなく、空を飛んだことだ。御田さんの友達のうちの1人がウルトラライトプレーンという2人乗りの小さい飛行機を持っていて、なんとそれに乗せてくれるという。今考えると結構無謀だった気もするが、そんな機会二度とないだろうと思い、ホイホイと喜んで乗せてもらうことにした。最初は御田さんが挑戦することになり、メガネの奥をキラキラさせながら嬉しそうに空を飛んで戻ってきた。

今度は私の番である。飛行機には小さい操縦席が一つあって、私は運転手のおじさんの後ろにドキドキして乗り込んだ。このおじさんだけが、唯一の命綱なので「頼んだぞ」と心の中で祈りながら
広場を一直線に助走して一気に空へ駆け上がる。海岸線には一面に広がるマングローブ林が見えて、それがどんどん小さくなっていったと思ったら今度は海の上を滑るように飛んでいく。こんなにも速く動いているのに、いつの間にか辺りの音は消えていて、まるで時間が止まっているみたいだった。
ボゴールとはまた全然違う、西カリマンタンにゆっくり流れる時間と雄大な自然に包まれながら、気づけば年が明けて2013年になっていた。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?