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インドネシア滞在記⑮カリマンタン島のエコツアー

 年が明け、気持ちも新たにヘンドラさん、ヘンドラジュニア、御田さん、私の4人はバイクにまたがり、遂にグヌンパルン国立公園に向けて出発した。整備されていない砂利道の悪路に脳が揺られながらの長旅の末、といっても時間にしたらせいぜい3時間くらいだったと思うが、ようやく港までたどり着いた。道中、休憩のたびにヘンドラさんと御田さんは、しょっちゅう仲良くタバコをふかしながら、熱くて甘いインスタントコーヒーを仲良く飲んでいて、私はそれを横目で見ながら、働く男とたばことコーヒーの組み合わせは万国共通なんだなとどうでもいいことを考えていた。

 港でバイクをおり、そこからはエンジン付きボートに乗りこみ、一気に大きな川を上っていく。遂にグヌンパルン国立公園に足を踏みいれて、我々が滞在する村へ向かうのだ。ボートで川を登っている途中では、違法に伐採した木を運んでいそうな明らかに怪しい船にもすれ違った。
 ボートを降りるといくつかの世帯があり、私たちはその中の一軒のお宅に滞在させてもらうことになっていた。川のすぐ近くなので、家は高床式になっていて、玄関までは木でできた橋でつながっていてちょっと素敵な雰囲気だがこの村には電波はもちろん電気とガスが通っておらず、あるのは簡易な発電機だけだった。いかにも旅行好きの欧米人が喜びそうなシチュエーションだと思いつつ、私もご多分に漏れず「これはいよいよエコツーリズムらしくなってきたぞ」と胸をときめかせた。
 エコツアーのメインイベントは、着いた日の夕方と翌日の早朝の2回、ガイドのおじさんがボートに乗って川を北上しながら森の中のオラウータンがよく現れるというスポットに連れて行ってくれるというものだった。オラウータンは、インドネシア語が語源で「オランフタン(orang hutan )」と書く。オランは人、フタンは森という意味で、直訳すると「森の人」というちょっとおしゃれな名前なのだ。
結局残念ながらオラウータンには近くで会うことができなかったが、代わりにテングザルの群れと素晴らしい景色に出くわすことができた。テングザルは体が赤くて、本当に鼻がぶらーんと垂れ下がっていて、私は心の中で国語の授業で習った芥川龍之介の「鼻」を思い出しつつ、思ったより高速で移動しているのがなんだか忍者の集団みたいに見えて、こっそり隠れてニヤリとした。だんだん日が落ちてくると、空がピンクとも水色ともオレンジともなんとも言い表せない夕焼けとなって頭の上に落ちてきて、それが鏡のように川に映り、思わずため息がでるほど美しかった。私はなんとかそれを目に焼き付けようと必死で空を見上げた。

 ツアーが終わると、他に何もやることもなければ行くところもないので、あとはご飯とマンディ(水浴び)をして寝るだけだったが、家にはそのマンディをするところすらなかった。聞くとみんな川で水浴びをしているという。川で水浴びなんて、漫画の世界の話だと思っていたので思わず「え?」と二度聞きしてしまった。まさか自分が川で水浴びをする日が来ようとは思わなかったが、エコツーリズムを研究する者としてこれは何としても体験しなければ帰れない、と自分に喝を入れ、懐中電灯を片手に御田さんともう真っ暗になってしまって何も見えない川に向かった。
 こんな怪しい2人組、日本だったらすぐに不審者で通報されて職務質問まっしぐらだが、真っ暗な川にひものついたバケツをたらし、体を流すための水を汲みあげる。ところが川の水が引いていて一向に水が汲めない。なんとかかんとかちょっとずつ汲み上げて水を体に流したが、体なんてほとんど洗えず、ただ汚い水を体にかけただけで、来た時よりももっと汚くなって、また暗闇の中を歩いて家に戻った。
家に戻ると、私はなんだか背中に少し違和感を感じていた。最初は気のせいかな?と思ってしばらく我慢していたが、明らかに様子がおかしくなってきて、耐えきれなくなったところで御田さんに「背中が痛いです」というと「うん、俺も」という返事が返ってきた。そうだったんかい、と思いながら背中を見せてもらうと、背中一面、もう刺されてないところが残ってないですよ、というくらい虫刺されで真っ赤にはれてとんでもないことになっていた。これは、アガスという南国にいる超強烈な蚊の仕業だった。暗闇なので全然見えなかったので、のんびりと汚い水を体にかけている間にやられてしまったのだ。もちろん私の背中も漏れなく同じ状態になっていて、しばらく何か月も後遺症に苦しみ、その後一年くらいは背中に刺された跡が残った。
 体を洗うためにマンディをしに行ったのに、もっと汚くなった挙句に、大量の蚊にさされて帰ってきました、なんて恥ずかしくて口が裂けてもインドネシア人の友達には言えなかった。
 こうして、この伝説の川マンディと、忍者のテングザルたちと浮世離れした美しい景色、滞在させてくれた親切なご家族と渋くてカッコいいガイドのおじさんの思い出をお土産に、私のグヌンパルン国立公園でのエコツーリズムは幕を閉じた。






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