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インドネシア滞在記㉑ジャカルタの話

 インドネシアの首都はジャカルタなのに、私は初めて訪れた時どこか別の国にいるような気がしてならなかった。ビザや研究の許可申請などでどうしても必要な時は頑張って電車で出て行ったが、帰りが遅くなって怖い思いをしたのがトラウマで、普段はめったに行くことはなかったし、あんまり行く気にもなれなかった。こんなこと言うと怒られそうだが、景色がきれいな湖とか、花がきれいな公園とかのほうが断然楽しかった。

 そんな折、私の滞在中に父と母がインドネシアまで遊びに来てくれたことがあり、せっかくなので3人で一緒にジャカルタを探検しようということになった。普通の日本人なら多分タクシーに乗ってさっさと目的の場所に移動するであろうところ、私たち家族はトランスジャカルタという公共のバスと、徒歩という原始的な移動手段を駆使して、くそ暑い炎天下を汗を流しながらせっせと移動して回った。日本から駐在できているビジネスマンなどが聞いたら多分ドン引きされるレベルだが、空港でしつこく声をかけてきて、隙あらばだまそうとしてくるタクシー運転手も嫌だった。
私はただでさえボゴールで何度もスリにあい財布や携帯を盗られていたので、ジャカルタと来た日にはバスの乗客全員がスリに見えてきて、常に目をギラギラさせて臨戦態勢を取っていた。どこからどう見ても外国人観光客にしか見えない私たちは格好のカモに違いないと思い、リュックを体の前でしっかり握りしめて離さないようにと父と母に指示し、いつもより緊張しながら慎重に移動していた。案外地図さえあればタクシーに乗らなくても何とかなるもので、昔のオランダ領の名残のある観光地とかも色々行けたし、父も母も結構楽しんでくれていたのでホッとしたのだが、はっきり言ってジャカルタ観光で一番テンションが上がったのは数ある観光地ではなかった。

 ジャカルタの中心地には、超高級デパートがそびえたつ地域がある。高級と言っても、日本の百貨店とはまるでレベルが違う。手の届かない様なハイブランドのお店ばっかりが入っており、ウロウロしているのはお手伝いさんや乳母を引き連れた桁違いの金持ちのインドネシア人か外国人ばかりで、まるでドバイにでもいるかのような気分になる。入り口には警棒を持った警備員がいて、入る前には持ち物などを検査される。汚い恰好をしていたらそれだけで入館を拒否されそうな勢いで、自分の場違いな感じに居心地が悪くなってしまう。もちろん何も買うものもないのだが、物は試しにと一応入ってみたところ、中のお店よりも何よりもトイレがものすごくきれいなことに感動してしまった。普段は、家では手桶でお尻を流すスタイルだったし、外に行けば行ったでめちゃくちゃ汚いくせに、なぜかトイレに入るだけでお金を取られたりしていたので、「なんだ手でお尻をふかなくてもいい無料の清潔なトイレがあるじゃないか」と興奮して、ここぞとばかりに何度もトイレに行きまくった。結局何も買わずにタダできれいなトイレだけを満喫し、名残惜しく超高級デパートを後にした我々はまた徒歩で次の目的地に向けて歩きはじめたが、さっきまでのクーラーが馬鹿みたいに効いた優雅な空間はどこへやら、今度はごみだらけの汚い川沿いを汗だくになりながら歩くことになり、川から漂う謎の異臭にものすごくテンションが下がった。

 あんなにきれいな超高級デパートを一歩出れば、そこら中に怪しいおっさんはウロウロしているし、道にはゴミがたくさん落ちてるし川は異常に汚いし、物乞いもたくさん道に座っているしで、なんだか頭が全然追い付かなくて、歩いているだけでちょっと不安な気持ちになってしまう。歩きながら私はこのいびつな共存を一体なんと呼ぶべきなのかを考えていた。貧富の差とはよく聞く言葉だが、なんだかそうではなくて、みんながそれぞれの価値観で他人を気にせず自由気ままに生きている様がそこらじゅうで溢れかえって渦を巻いているような、そんな雰囲気だった。多様性というべきか、あるいはカオスというべきなのか、とにかくそれはそれで面白かったし、何よりトイレがきれいだったことで私のジャカルタのイメージは格段に向上した。
アゲやアグスもこんな高級デパート絶対行かないんだろうなと、心の中で思いつつ綺麗なトイレに行くために超高級デパートに入ったよとも言えなかったことも含めて、ジャカルタ観光の一番の思い出として心に刻まれている。

 今後首都がカリマンタンに移転する計画があるし、いまは地下鉄もできたりしてだいぶ街も変わっているかもしれないが、あの何とも言えないカオスな渦が巻いている感じは街がどれだけ綺麗になってもいつまでもなくならないような気がするし、なくなったらそれはそれで寂しい気もする。

 空港で両親を見送ると、びっくりするくらい急に心細くなった。ちなみに父は出国前に最後に空港で飲んだシルサックという果物のジュースでお腹を壊し、格安航空の狭い機内で下痢と腹痛に襲われて、日本に着くまでひたすらトイレに籠り続けるはめになり、帰り道は地獄だったらしい。
 今度は、ジャカルタの高級デパートじゃなくて世界遺産のあるジョグジャカルタとかリゾートのあるバリ島とかで、お腹を壊さなくていいホテルを予約して、もう一度両親をインドネシアに連れて行ってあげたいなぁと思っている。



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