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神々の遊ぶ庭

ごうん、ごうんと大きな音を立てながらドラム式洗濯機が今日も元気に動いている。そっと手をあてると、触れている面から吸収しているかのように音が少し弱まり、リツコの体に洗濯機の振動が伝わってくる。この様子なら明日も問題なく動くだろう。できれば自分がここにいる間は動き続けてほしいとリツコは思った。自分と同時にこの旅館にやってきたこのドラム式洗濯機は、今やリツコにとってたったひとりの同期でもあるからだ。

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カムイミンタラ。北海道に住む人間であれば一度はその言葉を耳にしたことがあるだろう。古くから北海道に暮らすアイヌ民族が使うアイヌ語で“神々の遊ぶ庭”を意味し、北海道中心部に連なる2000m級の火山群の総称でもある。大雪山とも呼ばれるその山々は、日本最大の国立公園である大雪山国立公園の中に存在する。リツコはその大雪山のひとつである黒岳の麓、北海道上川町・層雲峡に点在する温泉旅館のひとつで30年以上も女将として働いている。ともに旅館を経営していた旦那は数年前に他界した。

リツコは北海道で生まれ育った。北海道の広すぎる大地で春夏には新緑の下を駆けまわり、秋冬には赤や黄に染まっては葉を散らし、からりと乾いた落ち葉を踏む音を楽しみ、冬にはほとんどすべての音をなくしてしまう雪の怖さに身を震わせる夜を過ごしながら、朝日を反射して目に見える世界を明るく照らしてくれることに感謝する温かな日もあった。50年以上、何度も繰り返される四季にそのたび心を揺らされながら生きてきた。層雲峡は、道外の人がイメージするような北海道そのものが詰め込まれた場所で、初めて訪れる人はもちろん、そこに住む者にとっても容易に特別な場所として記憶されうる魅力を持っている。

洗濯機の液晶に表示されている時間は、あと10分ほど。このあと乾燥機にかけてさらに30分。それが終わったらリネン類に丁寧にアイロンをかけ、畳んで種類ごとに積み上げ、フロントに立たねばならない。源泉かけ流しの温泉は朝7時からあけることになっている。一番風呂に入るお客さまは絶対にいらっしゃるから、お風呂に続く廊下の途中にあるフロントには、必ず誰かがいなければならない。昨年から雇いはじめたスタッフが数人いるが、朝一番にフロントに立つ役目を、リツコは誰にもまかせたことはなかった。

乾燥機の開始ボタンを押し、洗濯室の外に出て廊下突き当たりに目をやる。突き当たりにある小窓の向こう側で、黄色い葉をちらほらとつけた銀杏の木がいくつか折り重なっているのが見える。層雲峡は日本で一番最初に秋が訪れる場所だ。9月の上旬には層雲峡温泉をかこむ山々が赤や黄色に染まる。黒岳の五合目まで登れるロープーウェイに乗れば紅葉した木々が美しいグラデーションを描いている様が一望できるが、リツコは小窓を遠くから見た時にだけ見える、切り取られた紅葉が好きだった。冬はその空気の冷たさで到来を知らせるが、秋は体感ではなく視覚的に訪れを実感させる。

洗濯室に戻ろうと振り返ると、渡り廊下の先にリニューアルされた新館の真っ黒な廊下が目に入る。工事がされていない旧館の生成色の壁と見比べると、温かさは感じられないが現代的な印象だ。リツコはリニューアルに対してはじめ否定的に見ていた。表面的な美しさを取り入れるだけでは、旅館のお客は増えないと思っていたのだ。でも今は思いきって若いスタッフの意見を取り入れてよかったと感じている。しかしそれは今でも昔のお客さんが歩いている様子が浮かんでくる休館の存在があるからかもしれない。

がこん、と洗濯機のふたのロックが外れる音がし、すぐさま乾燥の終了を告げるアラームが鳴る。乾燥が終わったばかりでほわほわと温かい衣服を自室に置き、ぱたぱたと小走りでフロントへ向かう。50歳をすぎた今でもエレベーターは使わず階段を昇り降りするリツコをスタッフたちは褒めてくれるが、旅館内を縦横無尽に駆けまわる日々に、時たま足腰が体に電気を流すかのようにして警告してくる。そろそろフロントに立つだけが業務になる日も遠くはないのかもしれない。

7時を少しすぎてフロントに到着すると、チン、とエレベーターが1階に到着し、朝風呂一番のお客さまがひとり降りてきた。半分しかあいていない眼でリツコの方にちらりと視線を向けると、軽い会釈をして通りすぎてゆく。その背中にリツコは「おはようございます」と返す。この瞬間から、リツコのいちにちがやっと始まる。

ロビーに面した大きなガラス張りの入り口の向こう側で、成人男性ほどの大きさの鹿が一頭、歩いていくのが見えた。これも層雲峡で過ごす日々では珍しくない光景だ。一歩外に出て雑草が生える地面の上を歩けば、ころころと小さなボールのような鹿の糞が転がっている。層雲峡に訪れたはじめの頃はまき散らされた糞の多さに辟易としていたけれど、その土地に住む者たちを置き去りにするような勢いで巡っていく季節と、代わる代わる姿を見せる動物を見ていたら、カムイミンタラには人間の方が住まわせてもらっているのだという考えに変わった。

それ以来、野生の動物を見るとリツコは安心するようになった。1年を通して、ここ層雲峡には多くの人々がやってくる。層雲峡の美しい景色を見に、入れ替わり立ち替わり様々な人が山に登っていく。それでも神の使いと言われている鹿が姿を見せる限り、ここは神々が遊ぶ庭としての秩序を保てているのだと感じる。そのたびにリツコは、今日もカムイミンタラの様々なところで、神々が遊んでいる様子を想像することができた。

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