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写真の部屋

人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。
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2022年11月の記事一覧

私のカタログ:写真の部屋

先日、コントラストが低い光の中で撮るのが好きだと書いたら、過去に仕事をしたことがある雑誌の編集長からコメントがついた。 「私はどうやら作風を勘違いしていたようです。コントラスト強めがお好きなのかと思っておりました」 と書かれている。彼女は生活雑誌や女性誌を担当しているので、どちらかと言えば柔らかくフワッとした写真を見慣れているのだろう。その人に俺の写真はコントラストがガチガチだと認識されていたのはマズい。どうりで仕事の依頼がないと思った。これは非常にマズいのである。俺は自

かけ算の九九:写真の部屋

英文法解説のYouTube動画を5時間続けて観ていた。技術を手に入れるためにはセオリーに近いモノがあり、それは何となく体感できている。 教科書に100個の「重要な情報」が提示されているとして、理解力が低い時期は真剣に本を読んでも40個くらいしか理解できない。さらにその中の10個は時間をあけると忘れてしまうから「こんなに勉強しても30個しか憶えられないのか」とやる気がなくなってしまう。ここで諦めると何もできない。ある英語講師は同じテキストを繰り返し読む重要性についてこう言って

曇りの日に撮る:写真の部屋(無料記事)

幡野さんがTwitterで「晴れの日が好きで、曇りの日は苦手」と書いていてちょっと驚きました。自分の方法しか知らないので、人の話を聞くと学ぶべきことは多いな、と感じます。 自分で撮りたい気分になるのは「曇りの日一択」です。スタジオで言えば光が回っている(満遍なく均等に当たっている)状態の自然光で撮りたい。強いコントラストや影が苦手なのかもしれません。だからロケ先でクライアントが、「ああ、曇ってきちゃいましたね」と言ってもこちらとしては上機嫌なのです。 撮影用語に「ワンパラ

日常の否定:写真の部屋

都内から動かずにいるとHDDに残るのは都内の写真ばかりになり、とないなっとるんじゃ、と思います。しかしそれは当たり前なので違う場所に出かけて行くことになる。この凡庸な行動を考えてみると、やはり料理の喩えを持ち出す流れになります。毎日和食もいいんですが、たまにはイタリアンや中華料理も食べたい。これは決して「日常の否定」ではないのです。 写真を撮る衝動は、何かをじっと見つめることと同じです。街でカッコいいファッションの人を二度見する、変わった建物を見上げる、そういう自分の琴線に

微差を競う戦い:写真の部屋

何かを創造する意味というのは、「それに触れた人がそれまでに感じたことのない価値と出会えること」だと思っています。簡単に「驚き」と言ってもいいかもしれません。 ですから驚きのない創造に価値はないと言えます。驚きを提供することは誰にでもできることではありません。科学で言えばわかりやすいと思いますが、地動説は、それまで天動説を信じていた人々が「ああ、地球の方が回っていたのか」と驚いたわけです。 創作者で言うと、今与えられているものに満足している人はここから脱落することになります

RAW現像:写真の部屋

まずこの写真を見てください。 こういうトーンが好きな人は多いですね。特に女性。技術的には適正露出よりも2絞り半くらいオーバーにしています。撮影時の露出は適正ですが、RAW現像で明るくしています。では次の写真を。

写真と差別:写真の部屋

昔、現像してみると、「正月、入学式、海水浴、紅葉、スキーが一本のフィルムに写っていた」なんていう笑い話がありました。家族が撮る記念写真なんていうのはそんなもので、目的はほぼ『できごとの記録』だけでした。 いまだにフィルム・デジタル論争をしているのをあちこちで見かけますが、貴重だったフィルムで一枚写真を撮るときは、残すべき価値があるかどうかを吟味していたんですね。ですから今のように何でもない日にパチパチ撮るようなことはありませんでした。写真というジャンルの洗練から考えると、ス

やりたいことへの報酬:写真の部屋

またまた平林監督と考えていることがシンクロしてしまった。シンクロにして、シンクロニシティ。 企業も個人も方向転換は厳しいという話で、ついさっきそのことを書こうとしたところだった。平林監督の具体性のある提言というか実感については定期購読マガジン「平林勇ストア」を読んでもらうことにしよう。強く言っておくが自分のためになる情報は無料では得られないと思った方がいい。本を買うにも映画を観るにもお金がかかるのと同じで、ネットに書いてあることだけは無料だと思うのは大間違い。 特に平林監

切るか、切らないか:写真の部屋

「あなたは仕事以外の時間、どうやって仕事を忘れてリフレッシュしていますか」と聞かれて気づいた。24時間、気持ちが切り離されることがない。 仕事のジャンルに関係しているだろう。つねに目の前にあるものを「撮るべきか否か」と判断している。いい状況なら撮るし、撮らないならなぜ撮らなかったのかの理由も説明できるように考えている。写真はシャッターを押せば写るからこそ「その衝動の明確さ」が大事だと思っている。 写真を撮っている人にもいろいろいて、スタジオでセットアップされた商品やモデル

絶対音感:写真の部屋

音楽の世界には「絶対音感」というのがあります。もしかしたら聴覚情報の脳内処理の問題なので医学的なジャンルなのかもしれませんけど、音を音階として認知するという、あれのことです。本日は「写真にも似たような現象があるかもしれない」という、ある意味では絶望的な話をしますよ。

設計図を大きく:写真の部屋

写真を撮るのとデザインする脳は、似ているところと違うところがある。似ているのは「構築」という部分で、具体的に言えば配置する感覚。だから最低限デザインを学んでいる人は最低限の写真は撮れると思うし、反対に言うとデザインを学んでいない人の写真を見るのは厳しい。 デザイン的、という言葉は写真においては褒め言葉ではなく、俺が撮り始めた頃にも「デザイナーが撮った写真だね」と言われたものだ。完全に貶している。我々アートディレクターは、仕事が発生するとどんな写真をどうレイアウトするか、着地

はいチーズ:写真の部屋

写真を撮るときに「はい、チーズ」と言う。チーの部分が口を横に開き、笑顔に見えるからだろう。そんな昭和的な作法はどうでもいいんだけど、ちょっと根本的な話をする。写真には笑って写っていなくてはいけないんだろうか。 『かもめんたる』のコントに、「笑顔、笑顔って、お前は笑顔を発明した人か」という台詞が出てくる。写真というのは記念写真でも同じで、そこで何を残したいかが重要なはずだ。それはその場にいる全員がビールジョッキを持って笑っていることなのだろうか。 さて、ここからは定期購読メ