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私のカタログ:写真の部屋

先日、コントラストが低い光の中で撮るのが好きだと書いたら、過去に仕事をしたことがある雑誌の編集長からコメントがついた。

「私はどうやら作風を勘違いしていたようです。コントラスト強めがお好きなのかと思っておりました」

と書かれている。彼女は生活雑誌や女性誌を担当しているので、どちらかと言えば柔らかくフワッとした写真を見慣れているのだろう。その人に俺の写真はコントラストがガチガチだと認識されていたのはマズい。どうりで仕事の依頼がないと思った。これは非常にマズいのである。俺は自分がどんな写真を撮る人であるかが確固として決まっているアーティストではないので、仕事で撮る写真は目的に合わせた方法で撮る。だからソーシャルメディアに無意識にアップしている写真は「自分の商品カタログ」でもあることを自覚して誤解のないようにしておかなければならない。

本当はネコが好きなのに仕事でイヌの写真ばかり撮っていて、たまに自宅のネコを撮ったら「ネコ好きなんですね。意外です」と言われてしまったようなものなのだ。喩えにまるで芸がないが、伝わればいいと思っている。

こういうのがいけないんだよな

雑誌の印刷や、1メートルに伸ばしたプリントをギャラリーに展示するならコントラストが低くて繊細な写真でもいいんだけど、小さなスマホやパソコンの72dpiでは繊細な描写は何も伝わらない。デジタルの特性を生かしてわざとやっている部分もあるけど、いつの間にかそこにコントラストの基準を合わせてしまっていたのかもしれない。

小さなスマホでも強く見えるように

広告写真だと、女性用化粧品とクルマを撮る人はだいたい別の人だ。前者のコントラストは低く、後者は高い。そしてその仕事を見た基準で次の人も仕事を発注するから、結果として「作風」に見えるトーンの蓄積ができていく。ソーシャルメディアであらゆるタイプの写真をアップすることはその先入観を崩すことができるから、いつもフワフワの化粧品を撮っている人も「コントラストがバチボコに高い写真も撮るのだ」「ネコも撮るのだ」と主張できる意味がある。

さて。自分の写真家としての、誤解されない商品カタログとはどういうものがベストなのだろうか。

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写真の部屋

¥500 / 月

人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。